May J.の学歴|森村学園のエスカレーター式からASIJへ!4か国語話すハーフ

May J.の学歴|森村学園のエスカレーター式からASIJへ!4か国語話すハーフ

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May J.さんの学歴に興味を持っている方は多いのではないでしょうか。

小学校・中学校は私立の森村学園、高校はインターナショナルスクールの名門・アメリカン・スクール・イン・ジャパン(ASIJ)という特別な経歴を持ちます。大学には進学せず、高校在学中の2006年にメジャーデビューを果たした異色の経歴の持ち主です。

父親が日本人、母親がイラン人というハーフのMay J.さんは、日本語・英語・スペイン語・ペルシャ語の4か国語を話せるマルチリンガルとしても知られています。

この記事では、May J.さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソード、語学力の秘密まで詳しく掘り下げていきます。

記事のポイント

①:森村学園ASIJへ、大学進学なしの異色の学歴

②:宇多田ヒカルと同じ高校に猛勉強で入学

③:青山テルマと同じジャズボーカルクラスに所属

④:4か国語を話すマルチリンガル歌手

May J.の学歴|小中高の出身校と偏差値

  • 【学歴一覧】May J.の出身校と進学経路
  • 森村学園初等部|宮澤エマと同級生だった小学校時代
  • 森村学園中等部|デビューを夢見た中学時代
  • 【名門インター】ASIJを選んだ理由
  • ASIJでの高校生活と仲間たち
  • 大学進学せずに音楽の道へ

【学歴一覧】May J.の出身校と進学経路

 
 
 
 
 
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まず、May J.さんのプロフィールと学歴の全体像を確認しましょう。

項目 内容
本名 橋本芽生(はしもとめい)
生年月日 1988年6月20日
2026年05月02日現在の年齢 37歳
出身地 東京都出身(神奈川県横浜市育ち)
身長 159cm
血液型 O型
出自 父:日本人、母:イラン人(ハーフ)
話せる言語 日本語・英語・スペイン語・ペルシャ語
所属 エイベックス

続いて、学歴の一覧を表で整理します。

学校種別 学校名 偏差値・難易度
小学校 森村学園初等部(東京都・私立) 非公表
中学校 森村学園中等部(東京都・私立) 55(中の上)
高校 アメリカン・スクール・イン・ジャパン(ASIJ) 難関(名門インター)
大学 進学せず

May J.さんの学歴を見ると、小学校から中学校まで一貫して私立の森村学園に通い、高校からはインターナショナルスクールの名門・アメリカン・スクール・イン・ジャパン(ASIJ)へと進学したことが分かります。

高校卒業後は大学に進学せず音楽活動に専念するという異色のルートをたどっており、その選択が後の大ブレイクにつながっています。

May J.の多彩なルーツと家族のバックグラウンド

May J.さんのバックグラウンドは日本・イランにとどまりません。日本、イラン、トルコ、ロシア、スペイン、イギリスという多国籍な家族の歴史を持つことが知られています。

父親は日本人、母親はイラン人という家庭で生まれ、両親ともに日本語・英語・ペルシャ語の3か国語を話すことができます。

さらに、両親が揃って英会話スクールを経営しており、May J.さんは幼少期から自宅に外国人の先生が出入りする恵まれた語学環境の中で育ちました。

カナダ・イギリス・アメリカ・オーストラリア・ニュージーランドなど、さまざまな国の出身の先生が自宅に来ていたといいます。

ここ、羨ましい環境ですよね。生まれながらにして語学と音楽が身近にある暮らしだったわけです。

本名と芸名の関係

May J.さんの本名は橋本芽生(はしもとめい)さんです。

芸名の「May J.」は、本名の「めい」をそのまま英語読みにした「May」と、苗字の頭文字などを組み合わせたものと考えられています。

芸名の由来について公式な詳細説明は特に出ていませんが、シンプルかつ国際的な響きのある名前で、英語圏でも覚えてもらいやすいネーミングと言えますよね。

本名の「芽生(めい)」という名前も、何かが芽吹くようなイメージがあって素敵です。歌手として大きく花開いた人生を予感させるような名前だと感じます。

森村学園初等部|宮澤エマと同級生だった小学校時代

May J.さんの小学校時代を振り返ると、すでに将来の歌手としての土台が着々と積み上げられていた時期でした。

森村学園初等部の概要と特徴

May J.さんが通った森村学園初等部は、東京都町田市に所在する私立の共学校です。

幼稚園から大学院まで一貫した教育機関として知られており、教育環境が整っていることで有名な名門校のひとつです。

小学校受験が必要な私立校であり、一定の家庭環境や本人の素質が問われる学校です。May J.さんの実家が英会話スクールを経営していたことからも、文化的・教育的に高い意識を持つご家庭だったことが伺えます。

3歳から始まった音楽との出会い

May J.さんは3歳の頃からバレエとピアノを習い始め、8歳の時には声楽(オペラ)を習い始めたという、非常に早い段階から本格的な音楽教育を受けてきた人物です。

父親がイラン音楽をはじめさまざまな洋楽のCDを好んで聴いており、May J.さんも幼い頃から父親の音楽を一緒に楽しんでいたといいます。

自身のインタビューでは次のように話しています。

「物心ついた頃から歌手になりたいと思っていましたね。父が音楽好きで、ピアノ、バイオリン、ギターを家で弾いていたり、いろんな洋楽のCDを聴いていたりしたので、自然と音楽が好きになって。」

3歳から「歌手になりたい」という夢を抱いていたというのは、かなり明確なビジョンがあったということですよね。

avexアカデミーで磨いた才能

May J.さんは小学校時代からエイベックスのアーティストアカデミーでレッスンを受け始め、2002年13歳のときに首席で卒業しています。

同年には、ヤマハが主催した歌手のオーディションで特別賞を受賞するなど、すでに業界から注目を集める実力を持っていました。

小学生でプロレベルの音楽スクールに通いながら、学業と並行してレッスンをこなしていたわけで、その努力と才能の高さは並大抵ではなかったと分かります。

13歳で首席卒業というのは、同期の中でもずば抜けたスキルを持っていたということ。まさに努力と才能が重なった結果ですね。

宮澤エマとの同級生エピソード

May J.さんの小学校時代の同級生として知られているのが、歌手・女優の宮澤エマさんです。

宮澤エマさんはシンガーソングライターや舞台女優として多方面で活躍する実力派で、ミュージカルの世界でも高い評価を受けています。

同じ森村学園初等部で机を並べていたというのは、なかなか豪華な同期ではないでしょうか。二人ともエンターテインメントの世界で活躍しているのが印象的です。

森村学園中等部|デビューを夢見た中学時代

中学時代のMay J.さんは、とにかくデビューへの気持ちを燃やし続けた時期でした。

森村学園中等部の概要と偏差値

May J.さんが進学した森村学園中等部は、偏差値55(中の上)の私立共学校です。

小学校から内部進学できる一貫校で、May J.さんはそのまま系列の中等部に進学しています。

偏差値55という数値は、公立中学と比較するとしっかりとした学力が求められる水準であり、決して簡単に入れる学校ではありません。中学校時代もしっかりとした教育環境の中で過ごしていたことが分かります。

なお、森村学園には系列の高等部も併設されていますが、芸能活動を禁止しているため、May J.さんはそちらには進学せず別の高校を選ぶことになります。

コンテスト出場を続けた中学時代

中学時代のMay J.さんは、「とにかくデビューしたい」という一心でさまざまなコンテストに出場し続けました。

自身のインタビューでは次のように語っています。

「当時はとにかくデビューしたくて、いろんなコンテストを受けていたんです。なんでもチャンスに変えていくぞって必死でしたね。」

中学1年生のときにはバスケットボール部に在籍したこともありましたが、2週間で退部してしまい、その後は芸能活動一本に絞っていたといいます。

また、学校の校則では髪を染めることが禁止されていたものの、「地毛だ」と言い張ってずっと茶髪を通していたというエピソードも有名です。高校まで続けていたというのですから、かなりの主張ぶりですよねw

服装については自身のブログで「セーラー服の上にユニクロの紺色のカーディガンを着ていた」と振り返っており、当時の学校生活の様子がリアルに伝わってきます。

芸能活動禁止の高等部を避けた転換点

中学3年生になると、May J.さんは高校進学に際して重要な判断を迫られます。

系列の森村学園高等部は芸能活動を禁止しており、進学すると音楽活動を続けることができなくなってしまいます。

デビューへの夢を優先したMay J.さんは、森村学園高等部への進学を断念し、芸能活動を許可してくれる高校を探すことにしました。

その結果として選んだのが、インターナショナルスクールの名門・アメリカン・スクール・イン・ジャパン(ASIJ)です。この決断が、May J.さんの人生を大きく変えることになります。

【名門インター】ASIJを選んだ理由

May J.さんが進学したアメリカン・スクール・イン・ジャパン(ASIJ)は、インターナショナルスクールの中でも特別な存在感を持つ学校です。

アメリカン・スクール・イン・ジャパンとはどんな学校か

アメリカン・スクール・イン・ジャパン(ASIJ)は、東京都調布市に所在するインターナショナルスクールです。

日本に数あるインターナショナルスクールの中でも名門中の名門と呼ばれており、ハーバード大学などの世界的な難関大学に進学する卒業生を多く輩出していることで知られています。

入学の難しさという点でも、ASIJは特別な学校です。日本在住のアメリカ人のほうが入学の優先順位が高く、日本人が入学を希望する場合には本人の学力だけでなく、親の英語力まで問われる厳しい基準が設けられています。

学費も年間およそ200万円ほどかかり、経済的なハードルも決して低くありません。

主な卒業生には以下のような著名人が名を連ねています。

名前 職業
宇多田ヒカル シンガーソングライター
西田ひかる タレント
早見優 タレント
May J. 歌手
青山テルマ 歌手(1学年上)

宇多田ヒカルへの憧れが進路を決めた

May J.さんがASIJを選んだ最大の理由は、憧れの宇多田ヒカルさんと同じ学校に通いたいという強い気持ちでした。

インタビューでは次のように話しています。

「幼稚園から中学までは、日本の学校に通っていたんですけど、歌手活動が禁止されていたので、学校を変えなきゃいけなかったんです。それで調布にあるアメリカンスクール・イン・ジャパンに入学して、毎日2時間くらいかけて行っていました。」

横浜から調布まで毎日2時間の通学を続けながらプロ活動を目指すというのは、相当な覚悟だったと思います。

また当初は横浜のインターナショナルスクールへの進学も考えていたそうですが、宇多田ヒカルさんが同校の出身であることを知り、「同じ学校に行きたい」という憧れが決め手になったといいます。

特別試験を受けて入学した経緯

ASIJは通常、日本の一般的な学校に通っていた生徒の入学を受け付けていません。

しかしMay J.さんは「どうしても行きたい」と何度もお願いをし、学校側に特別に試験を作ってもらったといいます。

その特別試験のために猛勉強を重ね、見事合格を手にしました。

「せっかくならインターナショナルスクールに行きたいなといろいろ探しました。最終的には、私が最も尊敬している宇多田ヒカルさんが通っていた学校を選びました。」

夢に向かって行動する力と、諦めない姿勢が、この特別入学のエピソードからも伝わってきますよね。

ASIJでの高校生活と仲間たち

いざ入学したASIJでの高校生活は、May J.さんにとって試練と喜びが交錯する日々でした。

入学当初の孤独と青山テルマとの出会い

ASIJに入学したMay J.さんでしたが、入学当初は友人がひとりもおらず、カフェテリアで一緒にご飯を食べる人さえいなかったといいます。

日本の一般学校から入学してくる生徒はほとんどおらず、幼稚園から通っている生徒や海外転勤から来た生徒たちのコミュニティにすぐに溶け込むのは難しかったようです。

ある日、悲しくなってトイレに駆け込んだところ、声をかけてくれたのが1学年上の青山テルマさんでした。

二人は同じジャズボーカルクラスに在籍しており、青山さんのひと言が最初の友情のきっかけになったといいます。この出会いが縁で、二人は仲の良い関係を築いていきました。

お互いにまだプロデビュー前の10代で同じ夢を持つ仲間として、大きな支えになったことが想像できます。

スペイン語習得と語学力のさらなる向上

May J.さんはASIJの授業の中でスペイン語を2年間習い、現在でも少し話すことができます。

日本語・英語・ペルシャ語に加えてスペイン語まで習得したことで、4か国語を話せるマルチリンガルとして知られるようになりました。

ASIJでは数学・理科・社会もすべて英語で授業が行われるため、入学当初はキャッチアップするのに精いっぱいだったといいます。宿題も毎日大量に出て「4年間ずっと大変でした」と振り返っています。

高校在学中にプロ活動を開始

May J.さんはASIJに在学中、すでに他のアーティストの楽曲に参加するなどプロとしての活動を開始していました。

2004年には「SPHERE」のアルバムにfeat.MAYとして参加しており、10代にして業界でのキャリアを着実に積み重ねていたことが分かります。

そして、高校3年生だった2006年に、ミニアルバム「ALL MY GIRLS」でついにメジャーデビューを果たします。

部活については「仕事で忙しくて部活に入りたくても入れなかった」と自身のブログに綴っており、もし入るとしたらチアリーダー部に入りたかったと語っていました。学業・仕事・語学の三足のわらじをはいた4年間だったといえます。

著名な先輩・同期の存在

ASIJにはMay J.さん以外にも多くの著名人が在籍しており、刺激的な環境だったことが伺えます。

1学年上には青山テルマさんがおり、前述のように入学当初から仲良くなった間柄です。二人は共にASIJというインター環境の中で歌唱力を磨き、それぞれプロの道へと進んでいきます。

またASIJの卒業生には宇多田ヒカルさん、西田ひかるさん、早見優さんなど、芸能界で活躍する人物が多数います。May J.さんが憧れた宇多田ヒカルさんと同じ学校に通ったという事実は、彼女にとって大きなモチベーションになったことでしょう。

大学進学せずに音楽の道へ

ASIJを卒業したMay J.さんは、大学進学という選択肢をとらず、音楽活動に専念する道を選びました。

音楽への専念という選択

高校3年生の時点ですでにメジャーデビューを果たしていたMay J.さんにとって、大学進学よりも音楽を続けることを優先するのは自然な流れだったかもしれません。

2006年にリリースしたメジャーデビューアルバム「ALL MY GIRLS」は、高校在学中にリリースされたものです。

3歳から「歌手になりたい」という夢を抱き続け、小学校時代からプロスクールでレッスンを重ね、13歳でavexアカデミーを首席卒業し、高校時代にはすでに業界で仕事をこなしていたMay J.さんにとって、大学という選択肢よりも音楽への集中を優先したことは、十分に納得のいく判断でした。

この決断が結果として正しかったことは、その後の活躍が証明しています。

デビューから21歳でのブレイクまで

メジャーデビュー後、最初の数年はなかなかセールスが伸び悩む時期が続きました。

しかし2009年、21歳のときにリリースした2ndアルバム「FAMILY」がオリコン4位のロングセラーを記録し、一気に人気アーティストの仲間入りを果たします。

デビューから3年間、諦めずに活動を続けてきたからこそのブレイクだったといえるでしょう。大学に進学せずに音楽に集中した時間が、着実に実を結んだ瞬間でした。

May J.の学歴が育てた語学力と音楽キャリア

  • May J.の語学力|4か国語話す才能の根源
  • 英語上達を支えた実家の環境と努力
  • 映画・音楽で磨かれた英語力の秘密
  • 2006年デビューからアナ雪の大ヒットへ
  • 現在の活動と世界への挑戦

May J.の語学力|4か国語話す才能の根源

 
 
 
 
 
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May J.さんの語学力は芸能界でも特別な存在感を放っています。日本語・英語・スペイン語・ペルシャ語の4か国語を話せるマルチリンガルという肩書きは、一体どこから来ているのでしょうか。

May J.が話せる4か国語

May J.さんが話せる4か国語の習得経緯をまとめると以下のようになります。

言語 習得の経緯
日本語 母国語・幼稚園〜中学まで日本の学校に通学
英語 実家の英会話スクール環境+ASIJでの4年間
スペイン語 ASIJの授業で2年間学んだ
ペルシャ語 母親がイラン人・母方の親族との会話

4か国語を話せる日本の歌手というのは非常に珍しく、May J.さんのキャリアにおいて大きな強みになっています。

特に英語については、発音もほぼネイティブレベルと評価されており、語学専門誌のインタビューにも登場するほど、その語学力は本物です。

ペルシャ語を話せる背景

May J.さんの母親はイラン人で、母方の親戚と話すときには主に英語を使用していたといいます。ペルシャ語は母親から自然に身についた言語です。

また、父親がイラン音楽を好んで聴いており、幼い頃からペルシャ語の音が日常の中にある環境でもありました。

完璧に話せるというよりは、家族・親族との会話レベルという位置づけかもしれませんが、ペルシャ語を話せる日本人タレントというのは極めて少ないことは間違いありません。

マルチリンガルが生む音楽の表現力

語学力の高さは、May J.さんの音楽表現にも直結しています。

自身のインタビューで、英語と日本語の歌い方の違いについてこのように語っています。

「英語は子音が多くニュアンスをつけやすいんです。逆に、日本語はすべて『あいうえお』の母音で終わるから、実は日本語の方が歌うのは難しいんですよ。けど、日本語はその難しさがあるから、その中でどう表現していくかチャレンジする楽しさもあります。」

英語と日本語を自在に操れるからこそ、言語の特性を活かした豊かな音楽表現が可能になっているわけです。これはMay J.さんの歌唱力の高さの秘密のひとつでもありますよね。

英語上達を支えた実家の環境と努力

May J.さんが4か国語を話せるまでになった背景には、幼少期からの徹底した語学環境と本人の地道な努力があります。

英会話スクールを経営する実家

May J.さんの実家では、両親が英会話スクールを経営していました。

カナダ・イギリス・アメリカ・オーストラリア・ニュージーランドなどさまざまな国出身の外国人教師が自宅に出入りしており、帰宅すると外国人の大人が何人もいるという環境が日常でした。

自身のインタビューでは次のように話しています。

「両親とも日本語、英語、ペルシャ語の3カ国語を話せるんです。母親が外国人で、父親は日本人なんですけど、2人とも先生で、自宅でECCさんのような英会話教室を開いていました。教室には、カナダやイギリス、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドなど、さまざまな国の出身の先生がいたので、両親だけではなく、先生たちとも英語で話していたんです。」

このような環境が日常だったわけですから、英語が身についていくのも自然なことだったといえます。英会話を「勉強」としてではなく、生活の一部として体験してきたことが大きかったようです。

No Japaneseルールと徹底した英語学習

実家の英会話授業中は「No Japanese」のルールが厳守されていました。

分からない単語が出てきても、それを日本語に頼らず英語で説明するという訓練を重ねており、「えっとー」などのつなぎ言葉も「Umm」「Let me see」と英語に言い換えるよう意識していたといいます。

家庭での日常会話も日本語と英語をミックスしたものが多く、中学生まで日本の学校に通いながらも、英語は常に身近な言語として存在していました。

ただし、この時期はまだ完全に英語をマスターできているわけではなく、「高校に入るまでは英語が中途半端なままだった」と正直に語っています。完璧ではないからこそ、高校でさらに磨くという姿勢が生まれたのかもしれません。

小学校高学年で掴んだ英語のコツ

May J.さんが英語の感覚を掴んだのは、小学校の高学年くらいの頃のことでした。

「ある日、突然コツが掴めるようになったんです。その瞬間のことはすごく覚えています。それは、自分のシャイな部分を克服できたときでもありました。私が出会った英語を話す人たちは、みんな自己表現がうまくて、シャイな人はほとんどいなかったんですね。自分の中でまずその壁があったんですけど、あるときそれがなくなって、『別に間違えてもいいや』っていう気持ちになったら、そこから、すごく英語が上達していきました。」

語学上達に「完璧でなくてもいい」という気持ちが大きく影響するというのは、多くの英語学習者にとっても共感できるポイントではないでしょうか。

映画・音楽で磨かれた英語力の秘密

ASIJでの授業以外にも、May J.さんは独自の方法で英語力を磨き続けてきました。その学習法が非常に参考になります。

映画を活用した英語学習法

May J.さんが実践していた映画を使った英語学習法は、シンプルながら非常に効果的なものです。

具体的な手順は以下のとおりです。

①まず日本語字幕で映画を観て、内容をしっかり理解する

②次に英語字幕に切り替えて、細かなフレーズを覚えていく

③繰り返し観ることで自然にフレーズが身についてくる

特に「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は小さい頃から何度も繰り返し観ていたお気に入りの作品として知られています。

また、高校生が登場する青春映画やドラマも積極的に活用していたといい、「実践的な流行り言葉がたくさん出てくるので参考になった」と語っています。日常会話で使えるフレーズを習得するには、教科書より映画のほうが圧倒的に効果的だということですよね。

ラップミュージックで学んだスラングと発音

映画と並んで活用していたのが、ラップミュージックを使った学習法です。

CDの歌詞カードを見ながらラップミュージックを繰り返し聴き、学校では教えてくれないスラングやリアルなフレーズを吸収していったといいます。

お気に入りのアーティストはクリスティーナ・アギレラやマライア・キャリーで、「歌も英語も勉強になるのでよく聴いていた」と振り返っています。

好きな音楽だからこそ何度でも聴けるし、歌詞を覚えようとする動機も生まれる。May J.さん自身が「自分の好きなものから英語に触れることが一番いい方法」と言い切っているだけあって、その学習法には説得力があります。

英語の発音をネイティブレベルに近づけた努力

May J.さんの英語発音は「ほぼネイティブレベル」と評価されています。

日本で生まれ育ち、幼少期から英語圏で暮らしたわけではないのに、ここまでの発音を身につけられた理由は何でしょうか。

一つ目の理由は、幼いころから英語に耳が慣れた環境にあったこと。実家に外国人教師が来て英語が飛び交う日常が基礎をつくりました。

二つ目の理由は、小学校高学年で英語のコツを掴んだ後、積極的にネイティブと話す機会を作り続けたこと。母方の親戚との英語でのやりとりも貢献したと考えられています。

三つ目の理由は、高校のASIJでの4年間。日本語を使う機会がほぼない環境での学習生活が発音をさらに磨きました。

日本で育ちながらネイティブに近い発音を身につけるのは本当に難しいこと。May J.さんの努力と環境の掛け合わせが生み出した成果といえるでしょう。

2006年デビューからアナ雪の大ヒットへ

May J.さんの音楽キャリアは、デビューから「アナと雪の女王」の大ヒットまで、着実に積み上げてきた歩みです。

2002年avexアカデミー首席卒業と最初の賞

May J.さんの音楽キャリアの原点は2002年にさかのぼります。

この年、13歳でAVEXアーティストアカデミーを首席で卒業し、同年にヤマハが主催した歌手のオーディションで特別賞を受賞します。

さらに2004年には、「SPHERE」のアルバムにfeat.MAYとして参加。本格的なプロ活動の第一歩を踏み出します。

まだ中学・高校生という年齢でありながら、すでに業界でのキャリアを積み始めていたわけで、将来への布石を着々と打っていたことが分かります。

2006年ミニアルバムでメジャーデビュー

2006年、高校3年生だったMay J.さんはミニアルバム「ALL MY GIRLS」でメジャーデビューを果たします。

学業・語学・音楽を掛け持ちしながらのデビューは、並大抵の努力ではなかったことが想像できます。

ただし、デビュー直後はセールスがなかなか伸び悩む時期が続き、すぐにブレイクするというわけにはいきませんでした。それでも活動を続けたことが、後の大きな飛躍につながります。

2009年2ndアルバムで人気アーティストに

デビューから3年後の2009年、May J.さんは21歳でターニングポイントを迎えます。

リリースした2ndアルバム「FAMILY」がオリコン4位のロングセラーを記録し、一気に人気アーティストの仲間入りを果たしたのです。

コンスタントに楽曲をリリースしながら実力を積み上げてきた結果が、この作品でようやく世間に届いた形でした。

2014年「アナと雪の女王」で社会現象に

May J.さんの認知度を一段階引き上げたのが、2014年の映画「アナと雪の女王」の日本版主題歌(エンドソング)担当です。

「アナと雪の女王」は日本でも社会現象と呼ばれるほどの大ヒットを記録し、同年May J.さんがリリースした6thシングル「本当の恋」もオリコントップ10の6位を記録します。

圧倒的な歌唱力と英語力を持つMay J.さんだからこそ任せられた大役であり、幼少期から積み上げてきたすべての力が結実した瞬間でもありました。

現在の活動と世界への挑戦

「アナと雪の女王」の大ヒット以降も、May J.さんは精力的な活動を続けています。

現在の音楽活動とYouTubeチャンネル

コンスタントに新しい楽曲やカバーアルバムをリリースし続けているMay J.さんは、2021年にYouTubeの公式チャンネル「MAYJ.のはしもっちゃんねる」を開設しました。

チャンネルでは「歌ってみた」などの企画が人気を集めており、ファンとの距離をより近くするような発信が続いています。

本名の「はしもっちゃんねる」という親しみやすいネーミングも、May J.さんのキャラクターがよく表れていますよね。

「J-MELO」MCとしての国際活動

May J.さんは2010年4月から、NHKワールドTVで放送されている音楽番組「J-MELO」のMCを長年にわたって務めてきました。

MCとして15年近く国際放送に出演し続けるという実績は、語学力と音楽知識の両方が求められる仕事であり、May J.さんならではの強みが発揮された場でした。

番組を通じてインドネシアのジャカルタなど海外でライブを行い、初めて自分の歌を聴く現地の観客が合いの手を入れてくれた経験は「音楽を通してひとつになれた」と感動的に語っています。コロナ前は年に3〜4回ほど海外に仕事で出かけていたといいます。

グラミー賞への夢と世界への挑戦

May J.さんが最大の夢として語るのが、グラミー賞の受賞です。

「やっぱり一番大きな夢といったらいつかグラミー賞をとれたらと思っています。そのためにも、自分の歌をさらに磨いて、SNSなどで海外の人たちに向けて、日本語と同じように英語での発信も頑張っていきたいなと思っています。」

3歳から歌手を夢見て、高校で名門インターに通い、4か国語を習得した努力家のMay J.さんが掲げる夢だからこそ、「きっといつかやり遂げるのでは」という期待感を自然と感じさせてくれます。

今後の活躍からも目が離せませんよね。

May J.の学歴と語学力の総まとめポイント

  • May J.さんの本名は橋本芽生(はしもとめい)、1988年6月20日生まれ
  • 父親が日本人、母親がイラン人のハーフで、多国籍なバックグラウンドを持つ
  • 小学校は私立・森村学園初等部、同級生に歌手・女優の宮澤エマがいた
  • 中学校は森村学園中等部(偏差値55)、系列高等部は芸能禁止のため他校へ
  • 高校は名門インター・アメリカン・スクール・イン・ジャパン(ASIJ)に進学
  • ASIJを選んだ理由は宇多田ヒカルへの憧れ、特別試験を受け猛勉強で入学
  • 学費は年間約200万円、日本人の入学は難関で親の英語力も問われる
  • ASIJでは青山テルマと同じジャズボーカルクラスに在籍、親友となった
  • 大学には進学せず、高校3年の2006年にミニアルバム「ALL MY GIRLS」でメジャーデビュー
  • 日本語・英語・スペイン語・ペルシャ語の4か国語を話せるマルチリンガル
  • 実家が英会話スクールを経営、幼少期から多国籍な語学環境に恵まれていた
  • 映画・ラップミュージックを活用した独自の英語学習法で発音はネイティブレベル
  • 2009年に2ndアルバム「FAMILY」がオリコン4位のロングセラーで本格ブレイク
  • 2014年「アナと雪の女王」の日本版主題歌を担当し社会現象に
  • 夢はグラミー賞受賞、現在も語学力と歌唱力を武器に世界への挑戦を続けている