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R-1グランプリ2017年優勝で一躍名を上げた裸芸人・アキラ100%さんの学歴について、出身校の偏差値や学生時代のエピソードをまとめました。
アキラさんの本名は大橋彰(おおはし あきら)さんで、1974年8月15日生まれの埼玉県秩父市出身のお笑い芸人・俳優です。
実は学生時代は野球少年として育ち、高校時代には演劇部に入部して俳優を夢見るようになります。
大学では教員免許まで取得しているという意外な一面も。
この記事では、アキラ100%さんの小学校から大学までの学歴と、知られざる学生時代のエピソードを詳しくお伝えします。
①:出身高校は偏差値60の埼玉県立熊谷西高校
②:同窓生に林家たい平・藤原竜也がいる秩父出身
③:大学は駿河台大学法学部で教員免許を取得
④:30歳でお笑いを始め43歳でR-1優勝の遅咲き芸人
アキラ100%の学歴|小中高校の軌跡とエピソード
- アキラ100%のプロフィールと学歴一覧
- 秩父市立花の木小学校時代の生い立ち
- 秩父市立秩父第二中学校と著名な同窓生たち
- 埼玉県立熊谷西高校と演劇との出会い
- 高校時代に俳優を目指したエピソード
- 熊谷西高校の概要と同窓生
アキラ100%のプロフィールと学歴一覧
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まずアキラ100%さんの基本プロフィールと学歴一覧を表で整理してみます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | 大橋彰(おおはし あきら) |
| 芸名 | アキラ100% |
| 生年月日 | 1974年8月15日 |
| 2026年05月02日現在の年齢 | 51歳 |
| 出身地 | 埼玉県秩父市 |
| 職業 | お笑い芸人・俳優 |
| 芸能事務所 | 太田プロダクション |
続いて学歴一覧をまとめます。
| 学校種別 | 学校名 | 偏差値 | 在学期間 |
|---|---|---|---|
| 小学校 | 秩父市立花の木小学校 | ー(公立) | 1981年4月〜1987年3月 |
| 中学校 | 秩父市立秩父第二中学校 | ー(公立) | 1987年4月〜1990年3月 |
| 高校 | 埼玉県立熊谷西高校 | 60(やや難関) | 1990年4月〜1993年3月 |
| 大学 | 駿河台大学法学部 | 35〜43 | 1993年4月〜1997年3月 |
アキラ100%さんの名前の由来
本名の「彰(あきら)」という名前には、面白いエピソードがあります。
母親が俳優の中尾彬さんのファンだったことから、「彬」の一文字をとって「彰」と命名されたというものです。
芸名の「アキラ100%」は、ピン芸人に転向した際に、のちにお笑いコンビ「錦鯉」のメンバーとなる渡辺隆さんが提案したと伝わっています。
裸芸で「100%」を表現するスタイルにぴったりはまったネーミングで、以降は一貫してこの芸名で活動しています。
秩父市出身という背景
秩父市は埼玉県の西部に位置する山間の都市で、秩父神社や長瀞の川下り、秩父夜祭など観光地としても知られる地域です。
都心から約90分のアクセスながら、豊かな自然に囲まれた落ち着いた環境で育ったアキラさんは、幼少期から野球やスポーツに親しむ活発な少年でした。
同じ秩父市出身の著名人としては、落語家の林家たい平さんや俳優の藤原竜也さんがいます。
同郷の先輩・後輩として、この2人とはアキラさんも何かと縁が深く、番組やインタビューでもたびたびその関係が言及されています。
芸能界入りの原点となった価値観
アキラさんが芸能界に足を踏み入れたのは大学卒業後のことですが、その素地は高校・大学時代の演劇経験にあります。
もともとコメディが好きだったアキラさんは、俳優として食べていけないと悟ってからも「人を笑わせたい」という思いを手放しませんでした。
30歳でお笑いを始め、43歳でR-1グランプリ優勝という異例のキャリアは、この学生時代の原体験があってこそといえます。
秩父市立花の木小学校時代の生い立ち
アキラ100%さんの出身小学校は、秩父市立花の木小学校(埼玉県秩父市上町2丁目21−37)です。
1981年4月に入学し、1987年3月に卒業した公立小学校で、最寄り駅は西武秩父線の西武秩父駅です。
落語家の林家たい平さんも同じ小学校の出身であることが知られています。
野球少年として育った幼少期
アキラさんは子供の頃から体を動かすことが大好きで、小学校時代は野球に熱中していたことをインタビューで語っています。
チームに入って毎日練習に打ち込む姿は、地元でも目立つ存在だったといいます。
スポーツが得意だった一方で、勉強はあまり得意ではなく、夏休みの宿題はちゃんとやった記憶がないとも話しています。
それでも責任感は強く、学級委員長を務めるなど、クラスをまとめる立場にいることも多かったようです。
林家たい平さんとの縁
花の木小学校の著名な卒業生として知られるのが、落語家の林家たい平さんです。
たい平さんとアキラさんは、小中学校が同じという共通点に加え、本名がともに「アキラ」であるという偶然の一致まであります。
この縁から、たい平さんが出演する「笑点」(日本テレビ)でも、アキラさんがネタにされることがあるほどです。
また藤原竜也さんも同じ小学校・中学校の出身であることが明らかになっており、一つの地域からこれほど多くの著名人が育ったというのは驚くべきことです。
小学校低学年での無視経験と克服
アキラさんは小学校4年生の頃、調子に乗りすぎてクラスメイト全員から無視されてしまった時期があったとインタビューで明かしています。
そのときの心境をアキラさんは次のように振り返っています。
「あのころの居場所、というより逃げ場は団地の自分の家でした。学校から帰ったら『北斗の拳』や『コボちゃん』の漫画をぼろぼろになるまで読んで、楽器なんてなにもできないのに、曲作って。逃げるって大切です。悩むより、アニメでもゲームでもいいから逃げ込めるものがあった方が楽しいでしょう」(withnewsより)
辛い経験をユーモアに昇華できるアキラさんの資質は、この頃から培われていたのかもしれません。
秩父市立秩父第二中学校と著名な同窓生たち
アキラ100%さんの出身中学校は、秩父市立秩父第二中学校(埼玉県秩父市上町3丁目13−48)です。
1987年4月に入学し、1990年3月に卒業しました。偏差値の設定がない公立の中学校で、最寄り駅は西武秩父線の西武秩父駅です。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 学校名 | 秩父市立秩父第二中学校 |
| 所在地 | 埼玉県秩父市上町3丁目13−48 |
| 偏差値 | ー(公立・偏差値設定なし) |
| 在学期間 | 1987年4月〜1990年3月 |
| 著名な同窓生 | 林家たい平・藤原竜也 |
野球部での中学生活
中学時代のアキラさんは野球部に入部し、部活動に励む日々を送っていました。
小学校時代から続く野球への情熱は中学でも衰えず、放課後は毎日グラウンドで練習する真面目な部員でした。
しかし、中学を卒業する頃になると視力が低下し、メガネが必要になったため野球は中学で区切りをつけることになったとのことです。
体育は得意でしたが、それ以外の教科の成績は芳しくなかったとアキラさん自身が語っています。
藤原竜也・林家たい平との同窓関係
秩父第二中学校の最も有名な卒業生として挙げられるのが、俳優の藤原竜也さんと落語家の林家たい平さんです。
藤原さんは「デスノート」「カイジ」など数々の映画に主演する人気俳優で、林家さんは「笑点」のレギュラーを長年務める人気落語家です。
この3人が同じ秩父の小中学校を卒業しているというのは、地元では広く知られた話となっています。
アキラさんはバラエティ番組「あいつ今何してる」(テレビ朝日)に出演した際、中学の同級生と再会するシーンが放映され、「ほとんど変わっていない」と評されたほど、今の雰囲気と学生時代とで一貫しているようです。
生徒会長・学級委員長としての一面
勉強よりも野球に夢中だったアキラさんですが、意外にも中学時代は学級委員長や生徒会長を務めていたといいます。
人前に出てまとめる役を率先して担うこの性格は、のちに舞台やお笑いの世界で大勢の前に立つことへの耐性を育てたのかもしれません。
また当時は学校で男子が服を脱いで女子をからかうようなはしゃぎ方が流行っていたそうですが、アキラさんはそういった行為が大嫌いだったと語っています。
のちに「裸芸」でブレイクする芸人とは思えない、まじめな中学時代のエピソードです。
埼玉県立熊谷西高校と演劇との出会い
アキラ100%さんの出身高校は、埼玉県立熊谷西高校(埼玉県熊谷市三ケ尻2066)です。
1990年4月に入学し、1993年3月に卒業した県立の共学校で、最寄り駅はJR高崎線の籠原駅です。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 学校名 | 埼玉県立熊谷西高等学校 |
| 所在地 | 埼玉県熊谷市三ケ尻2066 |
| 偏差値 | 60(やや難関) |
| 設立年 | 1975年 |
| 在学期間 | 1990年4月〜1993年3月 |
| 最寄り駅 | 籠原駅(JR高崎線) |
| 著名な同窓生 | 馬場俊英(シンガーソングライター) |
偏差値60という進学校への一般受験
偏差値60という「やや難関」レベルの熊谷西高校に、アキラさんは一般受験で入学しています。
中学時代は勉強があまり得意でなかったアキラさんですが、高校受験に向けてしっかりと準備したことがうかがえます。
1975年に開校した比較的新しい県立校で、進学実績もある地域の名門高校として知られています。
地元の秩父市からは距離があり、片道で約1時間の通学を毎日続けていたというのは、相当な体力と根性が必要だったことでしょう。
1時間かけての通学生活
秩父市の自宅から熊谷市の学校まで、片道約1時間の通学を3年間続けたアキラさん。
電車を乗り継ぐ長い通学路は、のちに「俳優になりたい」という夢をふくらませる時間にもなっていたのかもしれません。
それでも3年間一度も転校することなく卒業していることから、まじめな一面が感じられます。
高校の成績はあまり良くなかったそうですが、それも演劇という新たな情熱に時間とエネルギーを注いでいたからといえます。
演劇部入部と俳優への目覚め
熊谷西高校でアキラさんが出会ったのが演劇部です。
野球からスポーツ一筋だった少年が、高校で舞台芸術の世界に触れ、俳優への憧れを抱くようになりました。
当時の小劇場ブームも影響しており、鴻上尚史さんの「第三舞台」や野田秀樹さんの「夢の遊眠社」など第三世代と呼ばれる小劇場運動を熱心に観ていたとアキラさんは語っています。
「次第に演劇に没頭するようになって、この世界でご飯が食べられるようになれたらいいなと思うようになりました。当時は、鴻上尚史さんの『第三舞台』、野田秀樹さんの『夢の遊眠社』など、小劇場運動の第3世代と呼ばれるブームで盛り上がっていた時代で、よく見ていました」(オトナンサーより)
高校時代に俳優を目指したエピソード
ここが、アキラ100%さんの学歴で最も注目すべきポイントといえます。
高校時代に演劇の世界に魅了されたアキラさんは、俳優を本気で目指すようになったのです。
演劇部活動と小劇場観劇の日々
高校の演劇部に入部したアキラさんは、授業後や休日も積極的に活動に参加するほど演劇に没頭していました。
当時の日本では小劇場ブームが盛んで、東京の小劇団が地方公演を行うことも多く、大学時代に入団することになる小劇団の舞台を、高校時代から観に行っていたというのだから本気度が伝わります。
勉強よりも演劇への情熱が勝り、高校の成績は芳しくなかったものの、人前に立つ経験と表現力はこの頃から着実に育まれていきました。
進学校を選んだ理由と演劇への傾倒
偏差値60の進学校に入学しながらも、大学受験を意識した勉強よりも演劇を優先したアキラさん。
高校時代のエネルギーの大半を演劇に注いだ結果、大学受験では演劇への情熱に比例する結果にはならず、偏差値35〜43程度の駿河台大学への進学となりました。
ただしこれは「演劇を優先した結果」であり、頭の良さの問題ではないといえます。
偏差値60の高校を一般受験でクリアできた地頭は持ちながら、あえて演劇の道を選んだというのがアキラさんらしいエピソードです。
「俳優になりたい」という夢の芽生え
高校時代の演劇経験を通じて、アキラさんの中に「舞台俳優として生きていきたい」という明確な夢が生まれました。
この夢は大学時代、社会人時代を経てもずっと持ち続けられ、のちにお笑いという形で結実していくことになります。
現在でもアキラさんはテレビドラマや映画、舞台などで俳優としても活動しており、学生時代の夢は間違いなく今に繋がっています。
熊谷西高校の概要と同窓生・馬場俊英さん
ここでは熊谷西高校の学校概要と、アキラさん以外の著名な卒業生について詳しく見てみましょう。
熊谷西高校の基本情報
埼玉県立熊谷西高等学校は1975年に開校した県立の共学校で、埼玉県熊谷市に位置しています。
普通科を設置する進学校として地域で認知されており、偏差値60という数値は埼玉県内の公立高校の中でも「やや難関」の位置づけとなっています。
JR高崎線の籠原駅から徒歩圏内にあり、秩父方面や熊谷市内から多くの生徒が通学しています。
公式ウェブサイトはhttps://kumanishi-h.spec.ed.jpで、現在も多くの生徒が在籍する活発な学校です。
シンガーソングライター・馬場俊英さんとの同窓関係
熊谷西高校の著名な卒業生として知られるのが、シンガーソングライターの馬場俊英さんです。
「スタートライン」「ボーイズ・オン・ザ・ラン」などの楽曲で知られる馬場さんは、アキラさんの先輩や同期にあたる卒業生です。
音楽と演劇という異なるジャンルながら、表現の世界で活躍する人材を輩出している点では共通しています。
地方の公立高校からこれだけの人材が育っているというのは、学校の環境や地域性が個性を育む土台になっているといえそうです。
進学校での演劇活動という異色の経歴
偏差値60の進学校に通いながら演劇部で活躍し、俳優を志すという経歴は、アキラさんならではのものといえます。
進学校に多い「大学受験一筋」の雰囲気の中で演劇部に入部し、観劇にも足を運ぶ高校生は決して多くはありません。
自分の好きなことを見つけてそこに全力で向かう姿勢は、のちのお笑い人生でも一貫しており、これがアキラさんの魅力の源泉になっているのかもしれません。
アキラ100%の学歴|駿河台大学から芸能界への道
- 駿河台大学法学部の偏差値と大学生活
- 大学時代の教員免許取得と小劇団活動
- 大学卒業後の椎名桔平付き人時代
- お笑いコンビ「タンバリン」の結成と解散
- アキラ100%の誕生と「丸腰刑事」の大爆発
- R-1グランプリ2017年優勝と現在の活躍
駿河台大学法学部の偏差値と大学生活
高校卒業後、アキラ100%さんが進学したのは駿河台大学法学部(埼玉県飯能市阿須698)です。
1993年4月に入学し、1997年3月に卒業しています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 大学名 | 駿河台大学 |
| 学部 | 法学部 |
| 偏差値 | 35〜43(かなり容易〜容易) |
| 所在地 | 埼玉県飯能市阿須698 |
| 最寄り駅 | 飯能駅(西武池袋線) |
| 設立年 | 1987年 |
| 在学期間 | 1993年4月〜1997年3月 |
駿河台大学の概要
駿河台大学は1987年に開校した比較的新しい私立大学で、埼玉県飯能市に広大なキャンパスを有しています。
法学部・経済経営学部・メディア情報学部・心理学部などを設置しており、アキラさんが在籍したのは法学部です。
著名な卒業生としては、マキシマム・ザ・ホルモンの「上ちゃん」が知られています。
入学難易度は偏差値35〜43程度で、専門資格の取得や就職支援に力を入れている大学として知られています。
テニスサークルと充実した大学ライフ
アキラさんは大学時代にテニスサークルに入部し、人間関係を広げながら大学生活を謳歌していました。
「大学時代の友達とは今でも付き合いがあるんですが、とにかくめちゃくちゃ楽しかったです。小・中・高・大学と今までを振り返っても大学時代が一番楽しかったというくらい一緒にいたメンバーが面白かった」(WEBザテレビジョンより)
小中高と比べ最も充実した4年間だったと語るほど、友人に恵まれた大学生活でした。
勉強は得意ではなかったものの、人間関係の豊かさという意味では大学生活は大きな収穫をもたらしたようです。
法学部という選択と教員免許の取得
演劇を志していたアキラさんが法学部を選んだ理由は明確ではありませんが、大学では教職課程を履修しています。
その結果、中学校の社会科と高校の公民の教員免許を取得しており、芸能界デビューが遅れれば教師の道を歩んでいた可能性もあったわけです。
芸能に行くか教職に就くかの岐路に立ちながら、最終的にアキラさんが選んだのは俳優・お笑いの道でした。
大学時代の教員免許取得と小劇団活動
駿河台大学には演劇サークルがなかったため、アキラさんは高校時代から観に行っていた社会人の小劇団に混ぜてもらい、年に2回ほど公演に出演していました。
社会人劇団への参加という貴重な経験
文学座などでちゃんと稽古を積んでいる社会人や、プロとして舞台で食べている先輩たちと一緒に演技をする経験は、アキラさんにとって大きな刺激になりました。
「楽しかったです。それまでは同年代としかやってなかったんですが、社会人の方、お芝居でご飯食べてる方もいましたし。アルバイトしながらでも、文学座とかでちゃんと稽古されていた方も何人かいらっしゃいましたので、やっぱり違いますよね。僕なんかは本当にみそっかすで混ぜてもらっていたみたいな部分もあるんですけど、すごく楽しかったです」(TVerプラスより)
プロの空気に触れた経験がアキラさんの演技への情熱をさらに高め、卒業後に芸能界の道を歩む決定的な後押しとなりました。
教員免許取得と芸能界の狭間で
大学では法学部に在籍しながら教職課程も履修し、中学社会科・高校公民の教員免許をしっかり取得しています。
舞台活動とテニスサークル、さらに教職課程という盛りだくさんな大学生活を送りながらも、卒業はきちんと果たしています。
教員免許を持ちながら教師にはならず、俳優を目指した選択は、アキラさんにとって「やりたいことをやる」という信念の表れだったといえるでしょう。
大学生活の総括と卒業後の進路
大学4年間を通じてアキラさんは、テニスサークル・小劇団・教職課程という三本柱で充実した生活を送りました。
その結果、社交性と演技力・教職の知識という三つの財産を手にして社会に出ることになります。
大学卒業後は芸能事務所に就職し、俳優業への道を歩み始めることになります。
大学卒業後の椎名桔平付き人時代
駿河台大学を1997年3月に卒業したアキラさんは、芸能事務所に就職し、俳優・椎名桔平さんの付き人兼運転手として働き始めます。
椎名桔平さんの付き人として
人気俳優の椎名桔平さんに非常によくしてもらい、充実した日々を過ごしていたアキラさん。
しかし運転が不得意だったため、運転の失敗が重なったことや芸能事務所の仕事への違和感から、わずか半年で事務所を退職しています。
俳優の道への最初のトライは半年で終了しましたが、この経験は「自分が何をしたいのか」を改めて考えるきっかけになったといいます。
アルバイト生活と養成所通いの時代
事務所退職後は、スポーツクラブでアルバイトをしながら俳優養成所に通い、俳優としての技術を磨き続けました。
しかし俳優としてはまったく芽が出ず、生活のために働きながら夢を追い続けるという苦しい時期が続きます。
それでもアキラさんは「笑いを届けたい」「人前で表現したい」という気持ちは持ち続けていました。
30歳でお笑いへの転身を決意
30歳になったアキラさんは、俳優としての限界を感じながらも、演劇で培った「人を楽しませる力」をお笑いに活かすことを決意します。
「あんなに好きだったお芝居を終わりにするのが悔しい半面、チケットノルマを払いながらやる演劇にも限界を感じていたので、元々、コメディーやお笑いも好きでしたから、ならばお笑いをやってみようと。2005年の30歳のときにお笑いを始めました」(オトナンサーより)
30歳からのお笑い挑戦という遅いスタートでしたが、この決断がのちに大きな実を結ぶことになります。
お笑いコンビ「タンバリン」の結成と解散
2005年、大学の同級生とお笑いコンビ「タンバリン」を結成し、正式にお笑い芸人としてデビューしたアキラさん。
タンバリン結成から解散まで
コンビを組んでからの約5年間、全く売れることなく活動を続けた苦しい時期でした。
スポーツクラブのアルバイトで生計を立てながらコンビ活動を続けましたが、世間に認知されるには至りませんでした。
2010年に「タンバリン」は解散し、アキラさんはピン芸人として新たな出発を余儀なくされます。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 2005年 | お笑いコンビ「タンバリン」結成(30歳) |
| 2010年12月 | 「タンバリン」解散 |
| 2010年〜 | 「アキラ100%」としてピン活動開始 |
| 2013年 | 舞台「島へおいでよ」で俳優デビュー |
| 2015年〜 | 「丸腰刑事」でテレビ出演増加 |
| 2017年 | R-1グランプリ優勝(43歳) |
ピン芸人「アキラ100%」への改名
解散後、錦鯉の渡辺隆さんの提案で「アキラ100%」という芸名に変更し、ピン芸人として再スタートを切りました。
「アキラ100%」という名前は、裸芸の「100%見えそうで見えない」ネタとの相性が抜群で、のちにこの芸名が世間に広く知られることになります。
父親との約束が生んだ裸芸誕生の背景
ピン活動を続ける中、アキラさんの父親が体調を崩し余命宣告を受けるという事態が起きました。
「父親が生きている間にテレビで活躍したい」という強い思いから、脱いで笑いをとる「裸芸」という芸風を考案。
この背景があったからこそ、裸芸に賭けるアキラさんの本気度は並ではなかったといえます。
アキラ100%の誕生と「丸腰刑事」の大爆発
ピン芸人に転じてからも長い不遇の時代が続きましたが、アキラさんは諦めませんでした。
「丸腰刑事」ネタでの注目
2015年ごろ、「丸腰刑事」というネタがじわじわとウケはじめ、テレビへの出演機会が一気に増えていきました。
「ガキの使いやあらへんで!!」「櫻井有吉アブナイ夜会」「スッキリ!!」など、数多くのバラエティ番組・情報番組に出演し、視聴者への認知度が上がっていきます。
当時40歳を超えていたアキラさんが、ようやく世間に知られる存在になり始めた瞬間でした。
2016年R-1準決勝と翌年の優勝
2016年のR-1グランプリでは準決勝に進出し、実力を示したアキラさん。
2017年のR-1グランプリでは見事に優勝を飾り、「43歳のR-1チャンピオン」として一大センセーションを巻き起こしました。
30歳でお笑いを始めてから13年、ピン芸人としての苦節を経てつかんだ栄冠は、遅咲きの芸人の象徴として多くの人に勇気を与えました。
俳優復帰と現在の多彩な活動
R-1優勝後は、もともとの夢だった俳優活動も再開しており、テレビドラマや映画にも出演しています。
また公式YouTubeチャンネルも人気を博し、バラエティ・俳優・YouTuberとマルチな活躍を続けています。
高校時代に演劇部で夢見た「俳優」と、30歳から挑戦した「お笑い」の二つが、今のアキラさんの中で融合して輝きを放っています。
R-1グランプリ2017年優勝と現在の活躍
最後に、アキラ100%さんの現在の活躍をまとめてご紹介します。
R-1優勝後の芸能界での評価
「一発屋で終わるのでは」という当初の予想を覆し、コンスタントにバラエティ番組やドラマへの出演を続けているアキラさん。
優勝から数年が経過した今も、その人気は衰えるどころか安定した地位を保っています。
太田プロダクション所属のタレントとして、事務所の後輩たちからも慕われる存在として知られています。
俳優・YouTuberとしての活躍
お笑い芸人としての枠を超え、俳優としてもドラマ出演を重ねているアキラさん。
公式YouTubeチャンネルでも独自のコンテンツを発信し、幅広い世代のファンを獲得しています。
高校時代に夢見た俳優の仕事と、30歳から挑んだお笑いの仕事が、今では一人の表現者の中で見事に共存しているといえます。
学歴から読み解くアキラ100%の人物像
偏差値60の進学校に一般受験で合格し、大学では教員免許まで取得しながら、最終的にお笑いの世界でブレイクしたアキラさん。
学歴の数字だけでは測れない「好きなことへの情熱」と「粘り強さ」がアキラさんの本質であり、43歳でのR-1優勝という奇跡を生んだ最大の要因といえるでしょう。
今後もアキラ100%さんのマルチな活躍から目が離せません。
アキラ100%の学歴と経歴の総まとめ
- 本名は大橋彰(おおはし あきら)、1974年8月15日生まれ埼玉県秩父市出身
- 出身小学校は秩父市立花の木小学校、林家たい平・藤原竜也と同じ小中学校出身
- 中学校は秩父市立秩父第二中学校で野球部に所属、生徒会長も務めた
- 高校は埼玉県立熊谷西高校(偏差値60・やや難関)に一般受験で入学
- 高校時代は演劇部に入部し、俳優を志すようになった
- 自宅から高校まで片道約1時間の通学を3年間続けた
- 大学は駿河台大学法学部(偏差値35〜43)に進学
- 大学時代はテニスサークルと社会人の小劇団に所属
- 大学で中学社会科・高校公民の教員免許を取得
- 大学卒業後は芸能事務所に就職し椎名桔平の付き人を半年務めた
- 2005年(30歳)、大学の同級生とお笑いコンビ「タンバリン」を結成
- 2010年にタンバリン解散、「アキラ100%」としてピン活動を開始
- 「丸腰刑事」のネタが2015年ごろから注目を集め、テレビ出演が急増
- 2017年のR-1グランプリで43歳にして優勝、遅咲きの快挙で話題を呼んだ
- 現在はお笑い・俳優・YouTuberとマルチに活躍中

