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小山宙哉さんの学歴について気になっている方は多いのではないでしょうか。
小山宙哉さんは漫画「宇宙兄弟」の作者として知られ、累計3100万部を超える国民的人気漫画を生み出した伝説的な漫画家です。
実は小山さんの出身高校は京都市立銅駝美術工芸高校(美術系)で、大学への進学は選ばず、大阪市立デザイン教育研究所(専門学校)で学んだ後にデザイン会社に就職した経歴を持っています。
その後漫画家へ転身し、日本中を熱狂させた宇宙兄弟を世に送り出した小山宙哉さん。ALSの診断を公表しながらも現在も連載を継続している姿は多くのファンを感動させています。
この記事では小山宙哉さんの学歴を中学校から専門学校まで順を追って解説し、学生時代の知られざるエピソードも詳しくご紹介します。
①:京都市立銅駝美術工芸高校出身の美術系漫画家
②:大阪市立デザイン教育研究所卒でデザイン会社に勤務
③:宇宙兄弟は2007年から講談社モーニングで連載開始
④:ALS診断を公表しつつ現在も連載を継続中
目次
小山宙哉の学歴と美術を志した青春
- 小山宙哉の学歴一覧と基本プロフィール
- 西陵中学校時代|スポーツへの情熱
- 銅駝美術工芸高校時代|美術とサッカーの両立
- 大阪市立デザイン教育研究所の学び
小山宙哉の学歴一覧と基本プロフィール
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小山宙哉さんは1978年9月30日、京都府生まれの漫画家です。
代表作「宇宙兄弟」は2007年12月より講談社の漫画雑誌「モーニング」で連載を開始し、累計3100万部以上という驚異的なセールスを誇る国民的人気漫画となりました。
小学館漫画賞・講談社漫画賞・手塚治虫文化賞読者賞の三冠を達成した実力派の漫画家であり、宇宙飛行士を題材とした作品がきっかけでJAXAや宇宙開発への関心を高めた人物としても知られています。
名前の「宙」の字が入っていますが、これは本名であり、宇宙兄弟との関連性はありません。
コピーライターである父親が「時間」という意味に注目してつけた名前だといいます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | 小山宙哉(こやま ちゅうや) |
| 生年月日 | 1978年9月30日 |
| 2026年05月02日現在の年齢 | 47歳 |
| 出身地 | 京都府 |
| 職業 | 漫画家 |
| 代表作 | 宇宙兄弟(講談社モーニング連載) |
| 家族 | 妻:こやまこいこ(漫画家・イラストレーター)、子供2人 |
| 父親 | コピーライター |
小山宙哉の学歴一覧
下記の表は小山宙哉さんの学歴を一覧でまとめたものです。
| 学歴 | 学校名 | 偏差値 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 中学校 | 京都市立西陵中学校 | ー | サッカーに熱中 |
| 高校 | 京都市立銅駝美術工芸高等学校 | 約57 | 美術系名門校 |
| 専門学校 | 大阪市立デザイン教育研究所 | ー | 日本唯一の公立デザイン専門学校 |
小山宙哉さんは大学への進学を選ばず、美術系高校から公立のデザイン専門学校へと進んだ一貫した美術・デザイン志向の学歴を持っています。
この学歴が、宇宙兄弟の緻密で美しい画風と、宇宙飛行士の装備や宇宙空間を写実的に描き切るリアリティのある絵柄の礎となっています。
名前「宙」の由来と父親のエピソード
小山宙哉さんの「宙」という名前について、多くの人が宇宙兄弟との関連性を想像するようです。
しかし実際には、コピーライターである父親が「宙(ちゅう)」の字が持つ「時間」という意味に注目してつけたもので、宇宙とは無関係の本名です。
ただ皮肉にも、「宙」という名前を持つ漫画家が宇宙を題材とした超大作を世に送り出したことは、不思議な縁を感じさせます。
コピーライターという言葉の専門家である父親が息子に名付けた「宙」という字が、後に「宇宙兄弟」という日本を代表する漫画の作者を生み出したというのは、とても印象的なエピソードですよね。
京都・埼玉と転居した幼少期
小山宙哉さんは京都府生まれですが、幼少期には埼玉県に住んでいた時期もあったとされています。
小学生時代は野球に親しんでいたと伝えられており、後の中学でのサッカー転向と合わせて、スポーツへの情熱は幼少期から旺盛でした。
また小中学生の頃の夢は「サッカー選手か画家」だったといいます。
漫画家については「なれたらいいなぁ」という程度の漠然とした希望しか持っていなかったとのことで、後に日本を代表する漫画家になることは、この時点ではまだ想像もしていなかったようです。
この「サッカー選手か画家」という二つの夢が、後の漫画家人生においてスポーツを描くリアリティと、美しく緻密な画力の両方として花開いていったとも言えます。
西陵中学校時代|スポーツへの情熱
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 学校名 | 京都市立西陵中学校 |
| 所在地 | 京都府京都市 |
| 設置区分 | 公立(市立) |
| 偏差値 | ー(公立中学校のため偏差値なし) |
京都市立西陵中学校は、京都府京都市に位置する公立の中学校です。
小山宙哉さんが通った地元の公立校で、この中学校時代に後の漫画スタイルにも影響を与えるスポーツへの情熱と芸術的才能の芽が育まれていきました。
京都という伝統ある街の公立中学で学んだ小山さんは、豊かな文化的環境の中で感受性を育んでいきます。
中学時代のサッカーへの情熱
小学生時代の野球から中学校に進むと、小山宙哉さんはサッカーへと軸を移していきます。
中学生ではサッカーを始め、「サッカー選手になりたい」という夢を持つほどの情熱を持っていたといいます。
スポーツへの真剣な取り組みは後の漫画制作にも活きており、宇宙兄弟の第一話や前作「ハルジャン」(スキージャンプを題材とした漫画)でも見られるスポーツ描写のリアリティの源となっています。
サッカー少年として体を動かしながら感じた「躍動感」や「アスリートの心情」が、後に漫画のキャラクターたちを生き生きと描く力につながっていったのかもしれません。
漫画との出会いと「SLAM DUNK」の衝撃
小山宙哉さんが漫画の魅力に本格的に気づいたきっかけが、井上雄彦さんの「SLAM DUNK」との出会いです。
本人はインタビューでこう語っています。
「元々漫画を読むことも描くことも好きだったのですが、井上雄彦さんの『SLAM DUNK』を読んでからさらに漫画の魅力に気づくようになりました。『SLAM DUNK』には非常に影響を受け、自分でも漫画を描いて持ち込んだりするようになって、次第に漫画家を意識するようになりました。」
スポーツ漫画の名作「SLAM DUNK」がサッカー少年だった小山宙哉さんの心を掴んだのは、スポーツへの情熱と漫画への関心が交差する必然のようにも思えます。
影響を受けた漫画家として鳥山明さん、井上雄彦さん、松本大洋さん、小林まことさん、新井英樹さんを挙げており、幅広いジャンルの漫画を吸収していたことがうかがえます。
中学時代の夢と将来像の模索
中学時代の小山宙哉さんは「サッカー選手か画家」という二つの夢の間で揺れ動いていたといいます。
漫画家については「なれたらいいなぁ」という程度の認識でしたが、絵を描くことへの情熱は一貫して持ち続けていたようです。
子供の頃からよく絵を描いており、美術的な才能は幼少期から周囲にも認められていたとされています。
「サッカー選手への夢」と「画家・漫画家への憧れ」という二つの軸が、後に高校で美術を専攻するという選択へと導いていくことになります。
銅駝美術工芸高校時代|美術とサッカーの両立
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 学校名 | 京都市立銅駝美術工芸高等学校(現・京都市立美術工芸高等学校) |
| 設置区分 | 公立(市立) |
| 偏差値 | 約57 |
| 所在地 | 京都府京都市 |
| 学校の特徴 | 美術・工芸を専門とする京都の名門公立美術高校 |
小山宙哉さんの出身高校は、京都市立銅駝美術工芸高等学校(現・京都市立美術工芸高等学校)です。
この学校は京都市内の公立美術高校として知られており、美術・工芸を専攻できる特色ある専門高校です。
偏差値は約57程度で、美術系の高校としては高い水準を誇っており、芸術的才能を持つ生徒たちが集まる環境でした。
後に「京都市立美術工芸高等学校」へと名称が変更されており、現在も京都を代表する美術系高校として多くの芸術家・デザイナーを輩出しています。
グラウンドが狭くてもサッカー同好会を設立
美術系の高校では、グラウンドが一般的な高校よりも狭いことが多いようです。
銅駝美術工芸高校もその例にもれず、グラウンドが狭くサッカー部がなかったのですが、小山宙哉さんはサッカーへの情熱を諦めませんでした。
友達を集めて自らサッカー同好会を作ったというのです。
部活動として正式に認められていなくても、仲間を集めて自分たちで環境を作り出すというこの行動力は、後の漫画家としての活動——大手出版社に自ら持ち込みをして評価を得るという積極的な姿勢——とも通じるものがあります。
美術を学びながらサッカーの情熱も捨てなかった小山宙哉さんの高校時代は、多才なアーティストとしての素地が育まれた時代でした。
高校での美術の学びと画力の向上
銅駝美術工芸高校での3年間は、小山宙哉さんの画力が飛躍的に向上した時期と考えられます。
美術専門の高校で素描(デッサン)・色彩・造形などの基礎から応用まで体系的に学んだことで、後の漫画における緻密で写実的な絵柄の基盤が作られていきました。
宇宙兄弟の画風の特徴である「宇宙服や宇宙船の細部にいたるまでリアルに描き込む」スタイルは、まさに美術高校で磨かれた観察力と描写力の賜物といえます。
またこの高校では漫画家・イラストレーターを目指す同志も多く、クリエイティブな仲間との交流が小山さんの表現欲求をさらに高めていったと考えられます。
大阪の専門学校進学という選択
高校卒業後、小山宙哉さんは大学への進学ではなく、大阪市立デザイン教育研究所という専門学校への進学を選んでいます。
「漫画家にならなくてもイラストやWEBデザインといった絵を描く仕事をしていたのではないか」と本人が語っていることからも、美術・デザイン分野でのプロを目指す明確な意志があったことがわかります。
美術高校での3年間の学びを土台に、よりデザインの実務的なスキルを習得するための専門学校進学という選択は、小山さんらしい実践的な判断でした。
「漫画家になれたらいいなぁ」という夢は持ちながらも、まずはデザインのプロとして自立する道を選んだこの判断が、後のキャリアの礎となっています。
大阪市立デザイン教育研究所の学び
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 学校名 | 大阪市立デザイン教育研究所 |
| 所在地 | 大阪府大阪市 |
| 設置区分 | 公立(市立) |
| 学習内容 | デザイン全般(グラフィック・プロダクト・環境デザイン等) |
| 特徴 | 日本唯一の公立デザイン系専門学校 |
大阪市立デザイン教育研究所は、日本唯一の公立デザイン系専門学校として知られています。
公立校ながら高い教育水準を誇り、グラフィックデザイン・プロダクトデザイン・環境デザインなど多岐にわたるデザイン分野を学べる機関です。
日本唯一という希少性と、公立校ならではのアカデミックな環境が、小山宙哉さんの選択先として選ばれた理由の一つだったと考えられます。
日本唯一の公立デザイン専門学校の特殊性
大阪市立デザイン教育研究所が「日本唯一の公立デザイン系専門学校」である点は、その特殊な位置づけを物語っています。
民間のデザイン専門学校が多数存在する中で、公立校として国や市の支援を受けながら高水準のデザイン教育を提供するこの学校は、選ばれた学生だけが通える限られた環境でした。
ここで培われたデザイン的思考力——視覚的情報を整理し、伝わりやすい形で表現するスキル——は、宇宙兄弟のコマ割りや見開きページの構成力、情報量が多い場面での整理された描写スタイルに如実に反映されています。
美術高校で培った「描く力」と、デザイン専門学校で磨いた「伝える力」の両方が、小山宙哉という漫画家の強みを形成していきました。
デザイン会社就職への布石
大阪市立デザイン教育研究所を卒業した小山宙哉さんは、デザイン会社への就職という道を選んでいます。
この選択は「漫画家になれたらいいなぁ」という夢を持ちながらも、まずはデザインのプロとして実社会でスキルを積むという現実的な判断でした。
デザイン会社でのWEBデザインやイラスト業務の経験が、後に漫画家として活動する際の「締め切りを守る習慣」「クライアントの要求に応える表現力」「商業デザインとしての作品を作る感覚」を鍛えたと考えられます。
夢へと一直線に突き進むのではなく、着実に実力を積み上げてから漫画家への転身を果たすという小山宙哉さんの歩み方は、後の宇宙兄弟の主人公・六太の「回り道をしながら夢に向かって進む姿」とも重なるものがあります。
小山宙哉の学歴が生んだ漫画家キャリア
- デザイン会社時代と漫画家への転身
- 宇宙兄弟の誕生と大ブレイク
- 受賞歴と宇宙兄弟のメディア展開
- ALS公表と連載継続への強い意志
- 妻・こやまこいこと家族について
デザイン会社時代と漫画家への転身
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 専門学校卒業後 | デザイン会社に就職(WEBデザイン・イラスト等) |
| 会社員時代 | 漫画「ジジジイ」をモーニングに持ち込み |
| 第14回MANGA OPEN | 「ジジジイ」が審査委員賞(わたせせいぞう賞)受賞 |
| 第15回MANGA OPEN | 「劇団JET’S」が大賞受賞 |
| 受賞後 | デザイン会社を辞め、こしのりょうのアシスタントに |
大阪市立デザイン教育研究所卒業後、小山宙哉さんはデザイン会社に就職してサラリーマンとして働き始めました。
会社に勤めながらも漫画家への夢を諦めておらず、ある時「ジジジイ」という作品を講談社の漫画雑誌「モーニング」に持ち込みます。
この持ち込み作品が第14回MANGA OPEN審査委員賞(わたせせいぞう賞)を受賞したことが、漫画家転身の直接的なきっかけとなりました。
「ジジジイ」の持ち込みと受賞の意味
「ジジジイ」は「70歳で俊足の泥棒」を主人公とするユニークな作品で、後に「ジジジイ-GGG-」として連載化されています。
この持ち込みと受賞の経験について、小山宙哉さんはこう語っています。
「漫画家には『なれたらいいなぁ』とは考えていたが、決断したのは『ジジジイ』が受賞してから。」
さらに翌年には「劇団JET’S」で第15回MANGA OPEN大賞も受賞し、その実力は二つの大きな賞によって確実に証明されました。
デザイン会社での経験で培った「伝える力」が、漫画の持ち込みという場でも活かされていたことは想像に難くありません。
こしのりょうへのアシスタント経験
二度の受賞を機にデザイン会社を退職した小山宙哉さんは、漫画家「町医者ジャンボ」などで知られるこしのりょうさんのアシスタントを務めながら、連載準備を進めていきます。
プロの漫画家のアシスタントとして実際の連載漫画の現場を学んだことは、週刊連載という過酷な環境に対応するための実践的な訓練となりました。
美術高校→デザイン専門学校→デザイン会社→アシスタントという段階的なステップを踏んで漫画家になった小山さんの歩みは、地道な努力の積み重ねの上に成立しています。
宇宙兄弟の主人公・六太が「遠回りをしながらも着実に宇宙飛行士の夢へ向かう」という物語構造は、作者自身の人生経験から生まれたリアリティを持っているのかもしれません。
宇宙兄弟の誕生と大ブレイク
「宇宙兄弟」のアイデアが生まれたきっかけは、担当編集者からの一つの提案でした。
宙に浮いているイメージと宇宙船・宇宙服などのかっこいい絵を得意とする小山さんに対し、「宇宙飛行士モノはどうか」と提案されたのです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作品名 | 宇宙兄弟 |
| 連載開始 | 2007年12月(講談社モーニング) |
| 連載形式 | 週刊連載(小山宙哉初の週刊連載) |
| 累計発行部数 | 3100万部以上 |
| 主なテーマ | 兄・六太と弟・日々人の宇宙飛行士を目指す物語 |
| 特徴 | JAXAやNASAへの綿密な取材に基づくリアリティ |
編集者から手渡された宇宙飛行士関連のエッセイを読んで「宇宙に携わる人たちの日常的な部分や苦労、不便に感じていること」に興味を持った小山さんは、宇宙を題材とした漫画に取り組むことを決意します。
JAXAやNASAへの綿密な取材
宇宙兄弟の最大の特徴が、JAXAやNASAへの綿密な取材に基づく圧倒的なリアリティです。
JAXAでは宇宙飛行士選抜試験で使われる閉鎖環境適応訓練設備の見学や職員へのインタビューを行い、野口聡一さんや星出彰彦さんらへのインタビューも実施しています。
NASAへの取材では、無重力訓練用のプールや航空機T38の飛行場など通常では立ち入れない施設への取材も実現させました。
この徹底した取材姿勢こそが宇宙兄弟を「ただかっこいい宇宙漫画」ではなく「宇宙飛行士という職業の本質に迫る作品」へと昇華させた最大の要因です。
宇宙兄弟が社会に与えた影響
宇宙兄弟は漫画という枠を超えて、日本社会に大きな影響を与えた作品となりました。
読者からは「JAXAに入社します」「将来は宇宙飛行士になります」という手紙が多数届き、宇宙への関心を高めた作品として広く認知されています。
小山宙哉さん自身も「『宇宙兄弟』を読んだことがきっかけで(宇宙関係の仕事に就いた)ということになれば素晴らしい」と語っており、社会への影響を大切にしながら漫画を描いていることが伝わります。
美術高校→デザイン専門学校というルーツから生まれた高い画力と表現力が、宇宙という壮大なテーマを余すところなく描き切ることを可能にしたのです。
受賞歴と宇宙兄弟のメディア展開
| 年 | 賞 |
|---|---|
| 2010年 | 第56回小学館漫画賞 一般向け部門 |
| 2011年 | 第35回講談社漫画賞 一般部門 |
| 2014年 | 手塚治虫文化賞 読者賞 |
宇宙兄弟は2010年に第56回小学館漫画賞一般向け部門、2011年に第35回講談社漫画賞一般部門と、わずか数年で異なる出版社の二大漫画賞を連続受賞しています。
さらに2014年には手塚治虫文化賞読者賞を受賞するなど、業界・読者の双方から高い評価を得ています。
異なる出版社の賞を同一作品が受賞するのは非常に珍しいことで、宇宙兄弟の漫画作品としての普遍的な高い水準を物語っています。
TVアニメ・実写映画化と国民的人気
2012年から2年間にわたってTVアニメが放送され、同年には小栗旬さんと岡田将生さん主演の実写映画も公開されました。
2014年8月にはアニメ映画「宇宙兄弟 #0」が公開され、小山宙哉さんは脚本にも関わっています。
TVアニメ・実写映画・アニメ映画とマルチメディア展開を果たしながらも、原作漫画の連載は現在も継続しており、累計3100万部以上という驚異的な販売実績を誇っています。
京都市立銅駝美術工芸高校と大阪市立デザイン教育研究所で培った美術・デザインの基礎が、これだけの大型メディアミックスを可能にした作品品質の礎になっているといえます。
ラジオDJや宇宙関連活動への参加
2017年4月からは京都府のラジオ局「a-STATION」で放送されている「FLAG RADIO」の偶数月水曜版のラジオDJを担当しています。
また宇宙飛行士を題材とした漫画を描いている影響で、NHKの「ニュースウオッチ9」で宇宙飛行士の大西卓哉さんとのインタビューに出演するなど、宇宙を題材とした番組企画への出演も多数あります。
京都の公立美術高校で育まれた「表現することへの情熱」が、漫画という枠を超えてラジオやメディア出演という形でも発揮されているのです。
ALS公表と連載継続への強い意志
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 病名 | ALS(筋萎縮性側索硬化症) |
| 特徴 | 全身の筋肉が徐々に動かなくなる神経難病 |
| 対応 | アイトラッキング等の支援技術を活用して連載継続 |
| 連載状況 | 現在も「宇宙兄弟」の連載を継続中 |
小山宙哉さんはALS(筋萎縮性側索硬化症)の診断を公表しています。
ALSは全身の筋肉が徐々に動かなくなる神経難病で、現在も根本的な治療法が確立されていない難治性の疾患です。
漫画家という「手で絵を描く職業」においてALSという診断を受けることは、キャリアへの大きな試練となるはずですが、小山宙哉さんは公表後も精力的に創作を続けています。
ALS発症後の連載継続の取り組み
ALS発症後も宇宙兄弟の連載を継続している小山宙哉さんは、アイトラッキング技術など様々な支援技術を活用しながら漫画制作に取り組んでいます。
体の自由が失われていく中でも創作活動を続けるという姿勢は、多くのファンや難病を抱える人々に勇気を与えています。
宇宙兄弟の物語が「諦めない人間の姿」を描き続けてきたように、作者自身も諦めることなく前に進み続けているのです。
ALS闘病と宇宙兄弟への思い
かつてインタビューで「花も咲けば、いずれ枯れる。だから咲いているときに一生懸命やるしかない」と語っていた小山宙哉さん。
この言葉は今となって、ALS診断後の現在の活動と重ね合わせるといっそう深い意味を持つように感じられます。
宇宙兄弟の主人公・六太が「できない理由を探すのではなく、できる方法を探す」という生き方を体現しているように、小山宙哉さん自身も難病と向き合いながら漫画制作の「できる方法」を探し続けています。
社会へのALS啓発と作家としての使命感
小山宙哉さんがALSを公表したことは、難病への社会的関心を高めるうえでも大きな意義を持っています。
国民的人気漫画の作者がALSという診断を公表したことで、これまであまり知られていなかった難病についての認知度が高まりました。
宇宙開発という夢の世界を描きながら、自らも病という現実と戦い続ける小山宙哉さんの存在は、宇宙兄弟の「夢に向かって挑戦し続ける」というテーマそのものを体現しているといえます。
京都市立銅駝美術工芸高校で美術を志した少年が、難病と戦いながらも世界中のファンに希望を届け続けているという事実は、学歴や肩書きを超えた「人間の意志の力」を示すものです。
妻・こやまこいこと家族について
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | こやまこいこ(本名:こやま けいこ) |
| 職業 | イラストレーター、漫画家 |
| 活動 | 児童書・保育雑誌のイラスト、漫画連載 |
| 代表作 | 「スキップするように生きていきたい」(レタスクラブ連載) |
| 関係 | 小山宙哉の妻 |
小山宙哉さんの妻は、イラストレーター・漫画家として活動するこやまこいこさん(本名:こやま けいこ)です。
こやまこいこさんは児童書や保育雑誌のイラストを多く手掛けており、温かみのある独特の画風で多くのファンを持っています。
レタスクラブでは「スキップするように生きていきたい」という漫画も連載しており、イラストレーターとしてだけでなく漫画家としても活躍している多才なクリエイターです。
漫画家夫婦の生活スタイル
小山宙哉さんとこやまこいこさんは、漫画家・イラストレーター同士の夫婦です。
情熱大陸での密着取材では、それぞれイヤホンで音楽を聴きながら自宅で制作作業に取り組む姿が紹介されました。
子供が寝た後の静かな時間に集中して作業するというスタイルは、クリエイターらしい生活スタイルを体現しています。
二人はともに2人の子供の親であり、創作の仕事と育児を両立させながら、それぞれの作品世界を追求し続けています。
家族の存在と創作活動の関係
小山宙哉さんが宇宙兄弟を描き続ける力の一つに、家族の存在があることは想像に難くありません。
「咲いているときに一生懸命やるしかない」という言葉を持つ小山さんが、ALS診断後も連載を続けられている背景には、家族への思いと読者への使命感が大きく関わっているはずです。
クリエイター同士として互いの仕事を理解し合える伴侶こやまこいこさんの存在が、困難な状況でも創作を続ける精神的な支えとなっているのでしょう。
京都市立銅駝美術工芸高校という美術の道に進んだ選択が、同じ美術・創作の世界で活躍するこやまこいこさんとの出会いにもつながっているといえるかもしれません。
小山宙哉の学歴と漫画家人生の総まとめ
- 1978年9月30日、京都府生まれの漫画家で、「宇宙兄弟」の作者として知られる
- 名前の「宙」はコピーライターの父親が「時間」という意味でつけた本名で、宇宙とは無関係
- 小学生時代は野球、京都市立西陵中学校在学中はサッカーに情熱を傾け「サッカー選手か画家」を夢見た
- 出身高校は京都市立銅駝美術工芸高等学校(現・京都市立美術工芸高等学校)で美術系の名門公立高校
- 高校時代はグラウンドが狭くサッカー部がなかったため、自らサッカー同好会を設立するほどの行動力を見せた
- 高校卒業後は大阪市立デザイン教育研究所(日本唯一の公立デザイン系専門学校)へ進学した
- 専門学校卒業後はデザイン会社に就職し、WEBデザイン・イラスト業務に従事しながら漫画の持ち込みを開始
- 持ち込み作品「ジジジイ」が第14回MANGA OPEN審査委員賞を受賞し漫画家転身のきっかけとなった
- こしのりょうのアシスタントを経て2006年に「ハルジャン」で初連載を果たした
- 2007年12月より講談社モーニングで「宇宙兄弟」の週刊連載を開始した
- 宇宙兄弟は第56回小学館漫画賞・第35回講談社漫画賞・手塚治虫文化賞読者賞を受賞し累計3100万部超のヒット作となった
- 2012年には小栗旬・岡田将生主演の実写映画化、TVアニメ2年間放送など大型メディアミックスを展開した
- ALS(筋萎縮性側索硬化症)の診断を公表し、支援技術を活用しながら現在も連載を継続している
- 妻は漫画家・イラストレーターのこやまこいこさんで、2人の子供とともにクリエイター家族として活動している
- 美術高校・デザイン専門学校卒業という美術・デザイン一筋の学歴が宇宙兄弟の緻密な画風と世界観を生み出した
