浅田真央の学歴と偏差値|中京大学・中京大附属中京高校・高針台中学校出身

浅田真央の学歴と偏差値|中京大学・中京大附属中京高校・高針台中学校出身

※本記事の扱い:内容はインターネット上の報道・番組・SNS等の公開情報の要約・整理です。個人への中傷や断定的な評価を目的としません。正確な事実関係は各公式発表や一次情報でご確認ください。
※出典・参考にした情報の種類:テレビ番組の発言要約、SNS投稿の引用、ウェブ上の二次報道などです。リンクや画像は当該サービス・媒体のものであり、本サイトが一次情報の正確性を保証するものではありません。
※本サイトのコンテンツには、商品プロモーションが含まれています。

浅田真央さんは、フィギュアスケート界のレジェンドとして日本中に愛された存在だ。

5歳でスケートを始め、小学生にして「天才少女」と呼ばれ、高校時代には世界選手権を制した。

そんな彼女の学歴は、名古屋市内の公立小学校・中学校を経て、スポーツの名門・中京大学附属中京高校へのスポーツ推薦入学、そして中京大学体育学部への内部進学という道筋をたどっている。

競技最優先の生活の中で、学業とどう向き合ったのかは多くのファンが気になるポイントでもある。

この記事では、浅田真央さんの学歴を小学校から大学まで徹底的に解説するとともに、各時代のエピソードや偏差値情報を詳しく紹介していく。

記事のポイント

①:浅田真央さんの出身校と各校の偏差値を一覧で確認できる

②:小学生で全日本選手権に出場した天才少女ぶりの詳細

③:中京大中京高校へのスポーツ推薦入学と高校時代の快挙

④:大学休学・復学を経て6年かけて卒業した軌跡がわかる

浅田真央の学歴と出身校偏差値一覧

  • 浅田真央のプロフィールと学歴まとめ(学歴一覧表)
  • 出身小学校・名古屋市立高針小学校の詳細
  • 出身中学校・名古屋市立高針台中学校の詳細
  • 出身高校・中京大附属中京高校と偏差値62
  • 出身大学・中京大学体育学部と偏差値

浅田真央のプロフィールと学歴まとめ(学歴一覧表)

 
 
 
 
 
この投稿をInstagramで見る
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

浅田真央 Mao Asada(@maoasada2509)がシェアした投稿

浅田真央さんは1990年9月25日生まれ、愛知県名古屋市出身のフィギュアスケート選手(引退)・タレントだ。

身長は163cm、体重は47kgというスレンダーな体型でリンクを滑り続けた。

3歳からバレエを習い、5歳でフィギュアスケートを始めたという経歴を持つ。

伊藤みどりさんへの憧れがスケートを始めるきっかけになったと語っている。

項目 内容
フルネーム 浅田真央(あさだ まお)
生年月日 1990年9月25日
2026年05月09日現在の年齢 35歳
出身地 愛知県名古屋市
身長・体重 163cm・47kg
職業 フィギュアスケート選手(引退)、タレント

学歴一覧表

浅田真央さんの学歴は、地元・名古屋の公立学校から始まり、スポーツ推薦で私立の名門校へと進む流れになっている。

中学・高校・大学はすべてフィギュアスケートとの両立を念頭に置いた進路選択だった。

学校種別 学校名 種別 偏差値 備考
小学校 名古屋市立高針小学校 公立 地元の公立小学校
中学校 名古屋市立高針台中学校 公立 競技優先でほぼ通えず
高校 中京大学附属中京高校 私立共学 62(やや難関) スポーツ推薦で入学
大学 中京大学 体育学部(現・スポーツ科学部) 私立 50(普通) 内部進学・休学を経て6年で卒業

家族構成と生い立ち

浅田真央さんは両親と姉・浅田舞さんの4人家族として育った。

父親はホストクラブを共同経営していたという経歴を持つ。

2011年には母親が肝硬変で亡くなるという悲しい出来事もあった。

母親の死は浅田真央さんの競技人生に大きな影響を与えたエピソードとして語り継がれている。

競技キャリアの概要

小学生時代から全日本選手権に出場した浅田真央さんは、中学生でシニア参戦を果たした。

高校3年生時には世界選手権で初優勝を遂げるという快挙を達成している。

オリンピックはバンクーバーで銀メダル、ソチで6位という結果を残した。

2016年に現役を引退した後は、プロスケーターとしてアイスショーに出演しながらタレント活動も続けている。

出身小学校・名古屋市立高針小学校の詳細

浅田真央さんが通った名古屋市立高針小学校は、愛知県名古屋市名東区に位置する公立小学校だ。

地域に根ざした普通の公立校であり、特別なスポーツ推薦制度などはない。

公立小学校のため入試は行われず、偏差値という概念も存在しない。

浅田真央さんが幼少期を過ごした名東区は、名古屋市内でも比較的落ち着いた住宅街として知られる地域でもある。

項目 内容
学校名 名古屋市立高針小学校
所在地 愛知県名古屋市名東区
種別 公立小学校
偏差値 —(公立のため設定なし)

5歳でスケートを始めた原点

浅田真央さんがフィギュアスケートと出会ったのは、小学校入学前の5歳の時のことだ。

伊藤みどりさんのスケートに憧れたことがきっかけだったと語っている。

3歳からバレエも習っており、幼い頃から芸術的なセンスを磨いていた。

5歳でスケートを始めてわずか数年で「天才少女」と呼ばれるようになったのは、この幼少期の積み重ねがあってのことだ。

小学6年生での全日本選手権出場

浅田真央さんの小学校時代で最も注目すべき出来事は、小学6年生だった2002年の全日本選手権出場だ。

通常、全日本選手権はシニア選手が争う舞台であり、小学生が特例で出場するのは極めて異例のことだった。

この大会で浅田真央さんは3回転-3回転-3回転のコンビネーションジャンプを成功させ、会場を驚かせた。

小学生でこれほどの技術を持つ選手は前例がなく、スケート界全体が「天才が現れた」と沸き立った。

小学校時代のスケートと学業の関係

小学生の頃は、まだ競技スケジュールが中学・高校ほど過密ではなく、学校生活との両立もある程度できていたとされる。

しかし、すでにこの時期から練習量は一般の小学生とは比べ物にならない水準だった。

両親、特に母親は「勉強はしなくていいからもっと強くなりなさい」という考えを持っていたと伝えられており、浅田真央さんの競技優先の生活はこの頃から始まっていた。

天才と呼ばれながらも純粋にスケートを楽しんでいた小学校時代は、後のキャリアの土台となった大切な時間だった。

出身中学校・名古屋市立高針台中学校の詳細

浅田真央さんが通った名古屋市立高針台中学校は、愛知県名古屋市名東区に所在する公立中学校だ。

小学校と同じく地元の公立校であり、受験は不要で偏差値も設定されていない。

しかし中学校時代の浅田真央さんは、競技の忙しさからほとんど学校に通えない状況が続いた。

項目 内容
学校名 名古屋市立高針台中学校
所在地 愛知県名古屋市名東区
種別 公立中学校
偏差値 —(公立のため設定なし)

「素顔を知らない」担任のコメント

浅田真央さんの中学校時代を象徴するエピソードとして、担任教師の「素顔なんて知りませんよ」というコメントが残っている。

これは、浅田真央さんが競技のために学校をほとんど欠席していたことを如実に示す言葉だ。

学校の担任でさえ素顔を知らないほど、浅田真央さんの中学校生活は競技漬けだったのだ。

母親も「勉強はしなくていい、強くなることが大事」という方針を持っており、学業よりも競技を最優先する環境が整っていた。

中2での全日本ジュニア1位と姉妹の確執

中学2年生時に、浅田真央さんは全日本ジュニア選手権で1位に輝いた。

一方、姉の浅田舞さんは同大会で2位となり、世界ジュニア選手権への出場権を妹に奪われる形となった。

この出来事が姉妹関係をしばらく微妙なものにしたと伝えられており、後に母親が体調を崩した時期に二人は仲直りしたとされる。

姉妹でトップレベルの選手であるがゆえの難しさが、中学時代にすでに表面化していた。

中3からのシニア参戦と歴史的快挙

2005年、中学3年生から浅田真央さんはシニアカテゴリーに参戦し始めた。

全日本選手権では史上初となる1試合での2度のトリプルアクセル成功という偉業を達成した。

また、GPファイナルではイリーナ・スルツカヤ選手を破って優勝し、村主章枝さん以来2人目の日本人優勝を果たした。

翌年のトリノオリンピックには87日足りないという年齢制限によって出場できなかったが、その名はすでに世界中に轟いていた。

出身高校・中京大附属中京高校と偏差値62

浅田真央さんが進学した中京大学附属中京高校は、愛知県名古屋市昭和区に位置する私立共学校だ。

1923年に開校した伝統ある学校であり、スポーツ分野においても全国トップクラスの実績を誇る。

偏差値は62とされており、「やや難関」に分類される水準だ。

浅田真央さんはスポーツ推薦で入学したため、一般入試の偏差値ラインとは別に評価されている。

項目 内容
学校名 中京大学附属中京高校
所在地 愛知県名古屋市昭和区
種別 私立共学
設立年 1923年
偏差値 62(やや難関)
入学方法 スポーツ推薦

入学時のコメントと学校生活

高校入学時、浅田真央さんは「知らない子ばかりだけどすごく楽しみ」とコメントしている。

実際に入学してみると、「みんなから声をかけてきてくれる」と友人作りには苦労しなかったと語っている。

スポーツ推薦で集まった仲間たちとの学校生活は、競技一色だった中学時代とは異なる充実感をもたらしてくれた。

同校には小塚崇彦さんが2学年上に在籍しており、フィギュアスケート界の人脈も広がった。

高校在籍中の主な競技実績

高校1年生にあたる2006年、浅田真央さんはNHK杯に初出場して優勝を果たした。

さらに全日本選手権でも初優勝を遂げ、翌年の世界選手権では銀メダルを獲得した。

高校3年生の2008年の世界選手権では、キム・ヨナ選手らを破って初優勝という偉業を達成した。

15歳でシニアデビューして以降はスケートを楽しいと感じられない時期もあったと振り返っているが、それでも世界の頂点に立ち続けた。

同校の著名な関係者と卒業

中京大附属中京高校には浅田真央さん以外にも、安藤美姫さん、村上佳菜子さん、宇野昌磨さんなどフィギュアスケート界の著名選手が多数在籍した実績を持つ。

また、ミュージシャン・緑黄色社会の長屋晴子さんも同校の出身として知られている。

なお、姉の浅田舞さんは別の高校に通っており、同じ高校には通っていない。

浅田真央さんは競技と学業を両立して高校をきちんと卒業しており、この点が中学時代とは大きく異なる。

出身大学・中京大学体育学部と偏差値

浅田真央さんは高校卒業後、中京大学附属中京高校からの内部進学という形で中京大学体育学部に進んだ。

中京大学は愛知県名古屋市昭和区に本部を置く私立大学で、スポーツ分野に強いことで全国的に知られている。

体育学部の偏差値は50程度とされており、難易度としては「普通」に分類される水準だ。

現在は体育学部がスポーツ科学部に改称されている。

項目 内容
大学名 中京大学
学部 体育学部(現・スポーツ科学部)
所在地 愛知県名古屋市昭和区
種別 私立大学
偏差値 50(普通)
入学方法 内部進学
在学期間 2008年〜2015年(休学含む・6年で卒業)

内部進学の経緯とバンクーバー五輪

浅田真央さんの大学進学が発表されたのは、2008年の世界選手権で金メダルを獲得した直後のことだった。

世界一になった直後に大学合格が発表されるという、極めて印象的なタイミングだった。

2010年のバンクーバーオリンピックでは銀メダルを獲得したが、金メダルはキム・ヨナ選手であり、悔し涙を流した場面は多くの人の記憶に残っている。

大学2年生当時のコメントとして「小さい頃は楽しかった。負けたくないという気持ちが上達につながった」という言葉を残している。

休学と競技専念、そして復学

大学4年生にあたる2012年春、浅田真央さんはソチ五輪に向けた競技専念のために休学を決断した。

休学後の6戦では5勝を挙げる復活を遂げたが、2013年春には一度引退を表明している。

ソチ五輪ではSPで16位と出遅れたものの、フリーでは3回のトリプルアクセルを成功させて3位に入るという感動的な滑りを見せた。

総合成績は6位だったが、あのフリーの演技は世界中の人々の心を動かした。

卒業と大学時代最高の思い出

ソチ五輪後に大学へ復学した浅田真央さんは、2015年3月に中京大学を卒業した。

休学期間があったため、入学から卒業まで6年かかったことになる。

卒業時のコメントとして「バンクーバー・ソチと2大会経験できたのも中京大のリンクがあったから」という言葉を残している。

また、復学後に友人ができたことが大学時代最高の思い出だったとも語っており、人との絆を大切にする人柄がにじみ出るエピソードとして知られる。

浅田真央の学歴が示す競技人生と学業の両立

  • 小学校時代・天才少女と呼ばれた原点
  • 中学時代・ほぼ学校に行けなかった競技漬けの日々
  • 高校時代・世界選手権初優勝と学業との両立
  • 大学時代・バンクーバー銀とソチ五輪への道
  • 引退・復帰・プロスケーターとしての現在
  • 浅田真央の学歴と競技キャリアの総まとめ

小学校時代・天才少女と呼ばれた原点

 
 
 
 
 
この投稿をInstagramで見る
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

浅田真央 Mao Asada(@maoasada2509)がシェアした投稿

浅田真央さんがフィギュアスケートを始めたのは5歳のことで、伊藤みどりさんへの憧れが直接のきっかけだった。

それ以前の3歳からはバレエを習っており、芸術的な身体表現への感性はこの時期に育まれた。

フィギュアスケートという競技は技術だけでなく、芸術的な表現力も求められる世界だ。

バレエで培った身体感覚は、後に世界トップレベルの表現力につながる大切な基盤になったといえる。

小学6年生で全日本選手権に特例出場

2002年、小学6年生の浅田真央さんは特例措置によって全日本選手権への出場を認められた。

これは通常ありえない出来事であり、いかに彼女の実力が突出していたかを物語っている。

この大会で3回転-3回転-3回転というコンビネーションジャンプを決めて見せたことで、「天才少女」という称号がついて回るようになった。

小学生がシニアの全日本選手権の舞台でこれほどの技を披露した例は、日本フィギュアスケート史上でも極めて稀なことだった。

スケートが楽しかった時期

後のインタビューで浅田真央さんは「小さい頃は楽しかった」と振り返っている。

プレッシャーや重圧を感じる前の、純粋にスケートを楽しめていた時期が小学校時代だった。

母親の「勉強はしなくていいからもっと強くなりなさい」という言葉が示すように、家族ぐるみでスケートを最優先にする環境が整っていた。

この原点があったからこそ、後に多くの試練を乗り越えながらも競技を続けることができたのかもしれない。

小学校時代のまとめ

名古屋市立高針小学校での6年間は、浅田真央さんにとってスケーターとしての土台を作った時期だ。

公立の普通の小学校に通いながらも、すでに全国・世界が注目する存在になっていた。

競技と学業の両立という問題は、小学校段階ではまだそれほど深刻ではなかったが、その後の苦労の前触れはこの頃から始まっていたともいえる。

「天才少女」という称号とともに歩んだ小学校時代は、浅田真央さんという選手の原点として今も語り継がれている。

中学時代・ほぼ学校に行けなかった競技漬けの日々

名古屋市立高針台中学校に進学した浅田真央さんだったが、競技のスケジュールが忙しくなり、ほとんど学校に通えない日々が続いた。

担任教師が「素顔なんて知りませんよ」と語ったという逸話は、そのことを端的に表している。

学校の担任でさえ生徒の素顔を知らないほどの欠席状況は、浅田真央さんの中学時代がいかに競技一色だったかを如実に示している。

母親の「勉強はしなくていい」という方針もあり、学業は完全に後回しにされた3年間だった。

学年 主な出来事
中学1年 競技活動が本格化し、学校への出席が困難に
中学2年 全日本ジュニア選手権1位(姉・舞は2位)
中学3年 シニア参戦、全日本選手権でトリプルアクセル2本成功、GPファイナル優勝

姉・浅田舞との微妙な関係

中学2年生で全日本ジュニア選手権1位となった浅田真央さんだったが、この結果が姉・浅田舞さんとの関係を複雑にした。

2位になった浅田舞さんは世界ジュニア選手権への出場権を得られず、妹の影に隠れる形となってしまった。

同じ競技を追う姉妹間で順位争いが生じるのは避けられないことだが、浅田舞さんにとっては複雑な思いがあっただろう。

その後、母親が体調を崩したことをきっかけに二人の関係は修復し、現在は仲の良い姉妹として知られている。

中3でのシニア参戦と歴史的記録

2005年から中学3年生でシニアに参戦した浅田真央さんは、全日本選手権で史上初の1試合2度のトリプルアクセル成功を達成した。

GPファイナルでは世界王者イリーナ・スルツカヤ選手を破り優勝を飾り、村主章枝さん以来となる日本人2人目の快挙を達成した。

翌2006年のトリノオリンピックへの出場を望む声も多かったが、年齢制限によってわずか87日足りずに出場が叶わなかった。

この悔しさが、その後のバンクーバーへの強いモチベーションになったとも言われている。

学業と競技の狭間で

浅田真央さんの中学時代は、学業という観点からはほぼ空白に近い3年間だった。

しかし、競技の面では驚異的な成長を遂げており、世界の舞台で日本フィギュアスケートの歴史を塗り替えていった。

公立中学校という環境で、周囲の同級生とは全く異なる日常を送りながらも、浅田真央さんはスケートリンクの上で自分の世界を切り開いていった。

担任に素顔を知られないほど欠席しながらも中学を卒業し、名門高校へとスポーツ推薦で進学できたのは、彼女の競技実績がそれを可能にしたからだ。

高校時代・世界選手権初優勝と学業との両立

2006年春、浅田真央さんは中京大学附属中京高校にスポーツ推薦で入学した。

入学時のコメントとして「知らない子ばかりだけどすごく楽しみ」という言葉を残しており、新しい環境に前向きな姿勢で臨んでいた。

実際に入学してみると「みんなから声をかけてきてくれる」とのことで、友人作りには苦労しなかった。

スポーツ推薦で集まった仲間たちが多い環境は、競技への理解がある分、浅田真央さんも居心地よく過ごせたのかもしれない。

学年 主な出来事
高校1年(2006年) NHK杯初出場・優勝、全日本選手権初優勝
高校2年(2007年) 世界選手権・銀メダル
高校3年(2008年) 世界選手権・初優勝(キム・ヨナを破る)、大学進学決定

16歳での全日本選手権初優勝

高校1年生の2006年、浅田真央さんはNHK杯に初出場して優勝を飾った。

さらに同年の全日本選手権でも初優勝を達成し、日本フィギュア界のトップに立った。

15歳でシニアデビューして以降、スケートを楽しいと感じられない時期もあったと後に語っている。

それでも結果を出し続けた高校時代の浅田真央さんは、プレッシャーと戦いながらも成長を続けた。

高校3年での世界選手権初優勝という偉業

高校3年生の2008年、浅田真央さんは世界選手権でキム・ヨナ選手らを破り初優勝を達成した。

当時最大のライバルとされていたキム・ヨナ選手との対決で勝利を収めた意味は大きく、日本中が歓喜に包まれた。

世界選手権金メダルの直後に大学合格が発表されるという、まるでドラマのような展開が話題を集めた。

世界一になった翌日に大学生になるという事実は、浅田真央さんがいかに競技と学業を平行して進めていたかを示している。

高校での学業との向き合い方

中学時代にほとんど学校に通えなかった浅田真央さんだが、高校ではきちんと卒業を果たしている。

スポーツ推薦校ならではの競技への理解があったことも、高校卒業を可能にした要因の一つと考えられる。

高校の学業と世界トップレベルの競技を同時にこなすことは、並大抵の努力ではなかったはずだ。

同校から後にフィギュアスケート選手として活躍する宇野昌磨さんなども輩出しており、スケートの強豪校としての環境が浅田真央さんを支えた面も大きい。

大学時代・バンクーバー銀とソチ五輪への道

2008年春、浅田真央さんは中京大学体育学部に内部進学した。

高校と同じ系列の大学であり、練習環境を変えることなく競技を続けられる点が内部進学の最大のメリットだった。

卒業コメントで「バンクーバー・ソチと2大会経験できたのも中京大のリンクがあったから」と語っており、大学のリンクが競技生活を支えた事実がうかがえる。

大学1年生からいきなりオリンピックイヤーを迎えるという、驚くべきスタートを切った大学時代だった。

時期 主な出来事
2008年春 中京大学体育学部に内部進学
2010年(大学2年) バンクーバー五輪・銀メダル(金はキム・ヨナ)
2012年(大学4年) ソチ五輪に向けて休学、競技専念
2013年春 ソチ五輪後に引退表明(後に撤回)
2014年春 ソチ五輪出場(SP16位→フリー3位→総合6位)
2015年3月 中京大学卒業(6年かけて)

バンクーバー五輪の銀メダルと悔し涙

大学2年生だった2010年のバンクーバーオリンピックは、浅田真央さんにとって待望の五輪初出場だった。

トリノで年齢制限に阻まれた4年分の思いをぶつけた大会でもある。

結果は銀メダルだったが、金メダルはキム・ヨナ選手であり、レース後に流した悔し涙は日本中の視聴者の心を打った。

「負けたくないという気持ちが上達につながった」という大学2年生時のコメントは、バンクーバーでの悔しさを乗り越えようとする強い意志を示している。

休学してのソチ五輪挑戦

大学4年生の2012年春、浅田真央さんはソチ五輪に向けた準備に専念するため休学を決断した。

休学後の6戦では5勝を挙げる好成績を残したが、2013年春には一度引退を表明した。

しかし気持ちが変わり現役続行を決め、ソチ五輪の舞台に立った。

ソチ五輪のフリーでは3回のトリプルアクセルを成功させるという快挙を達成し、SP16位からフリーで3位まで浮上した感動的な演技は今も語り草になっている。

復学と友人ができた大学時代の思い出

ソチ五輪後に大学へ復学した浅田真央さんは、2015年3月に中京大学を卒業した。

入学から6年かけての卒業となったが、それは競技人生を全うするための選択だった。

復学後に友人ができたことが大学時代最高の思い出だったと語っており、それまでいかに孤独な競技生活だったかが伝わってくる言葉だ。

世界を舞台に戦い続けた浅田真央さんにとって、大学という場所で得た普通の人間関係は特別な宝物になったのかもしれない。

引退・復帰・プロスケーターとしての現在

2015年に一度引退を表明した浅田真央さんだったが、気持ちが変わり現役続行を宣言した。

大学卒業後も競技を続け、2016年の全日本選手権を最後に現役を引退した。

現役最後の試合となった全日本選手権は、多くのファンがその演技を見届けた記念すべき大会となった。

現役引退という形で区切りをつけるまで、浅田真央さんは学歴に恥じない努力と情熱を競技に注ぎ続けた。

時期 主な活動
2015年 現役続行を宣言
2016年 全日本選手権を最後に現役引退
引退後 プロスケーターとしてアイスショー出演
引退後 タレント活動(「沸騰ワード」等)
引退後 姉・舞さんとファッション誌表紙

プロスケーターとしてのアイスショー活動

現役引退後の浅田真央さんは、プロスケーターとして国内外のアイスショーに出演する活動を続けている。

競技とは異なり採点に縛られないプロのアイスショーでは、よりのびのびと自分の世界を表現できる場が広がった。

自ら主催するアイスショー「THE ICE」など、単なる出演者を超えた活動も展開している。

競技選手としての浅田真央さんとはまた違う魅力を発揮しながら、アイスショーの世界でも唯一無二の存在感を放ち続けている。

タレント活動と姉妹の絆

引退後はテレビ番組への出演など、タレントとしての活動も積極的に行っている。

バラエティ番組「沸騰ワード」などへの出演で新たなファン層を獲得した。

かつて競技で複雑な関係になったこともある姉・浅田舞さんとは、現在はファッション誌の表紙を共に飾るなど良好な関係を築いている。

母親の死去をきっかけに仲直りしたとされる姉妹の絆は、引退後も続くかけがえのないものになっている。

学歴が示すキャリアの全体像

名古屋の公立小・中学校から始まり、偏差値62の名門高校、そして大学へという浅田真央さんの学歴は、競技選手としての歩みと完全にリンクしている。

学業を後回しにせざるを得ない時期もあったが、高校・大学はきちんと卒業するという誠実さも持ち合わせていた。

6年かけての大学卒業は決して恥じることのない誇るべき実績であり、競技人生と学業を最後まで諦めなかった証だ。

浅田真央さんの学歴と競技キャリアを重ねてみると、一人の人間が限られた時間の中でいかに多くのことを成し遂げたかが浮かび上がってくる。

浅田真央の学歴と競技キャリアの総まとめ

  • 浅田真央さんの出身小学校は愛知県名古屋市の公立・名古屋市立高針小学校
  • 出身中学は同じく地元公立の名古屋市立高針台中学校で、競技のためほぼ通えなかった
  • 高校は私立・中京大学附属中京高校(偏差値62・やや難関)にスポーツ推薦で入学
  • 大学は中京大学体育学部(偏差値50・普通)に内部進学
  • 大学は休学期間を経て6年かけて2015年3月に卒業した
  • 5歳でフィギュアスケートを始め、伊藤みどりさんへの憧れが原点
  • 小学6年生で特例として全日本選手権に出場し「天才少女」と注目を集めた
  • 中学3年生からシニア参戦し、GPファイナルでイリーナ・スルツカヤを破って優勝
  • 高校3年生の2008年世界選手権でキム・ヨナを破り初優勝という偉業を達成した
  • バンクーバー五輪は銀メダル、ソチ五輪はSP16位からフリー3位の感動演技で総合6位
  • ソチ五輪フリーで3回のトリプルアクセル成功は日本フィギュア史に残る快挙
  • 同校出身の関係者には安藤美姫・村上佳菜子・宇野昌磨・小塚崇彦・長屋晴子などがいる
  • 姉・浅田舞さんとは中学時代の競技結果で複雑な時期もあったが現在は良好な関係
  • 大学時代に復学後に友人ができたことが最高の思い出と語った
  • 現在はプロスケーターとしてアイスショー出演やタレント活動を続けている