有田哲平の学歴|立教大学を中退したが、偏差値71の済々黌高校出身

有田哲平の学歴|立教大学を中退したが、偏差値71の済々黌高校出身

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有田哲平さんの学歴について気になっている方は多いですよね。

「くりぃむしちゅー」のボケ担当・有田哲平さんは、熊本県内でも有数の進学校・済々黌高校(偏差値71)の出身で、高校時代に同じラグビー部で相方の上田晋也さんと出会っています。

大学は立教大学法学部に進学するも1年で中退し、上田さんに誘われてお笑いの道へという劇的な転換を遂げています。

この記事では、有田哲平さんの小学校から大学中退までの学歴・偏差値・同級生情報・学生時代の貴重なエピソードを詳しくご紹介します。

記事のポイント

①:出身高校は偏差値71(超難関)の熊本県立済々黌高校で上田晋也と同期

②:小学校・中学校はともに国立の熊本大学教育学部附属校に通った

③:立教大学法学部に進学するも1年で中退し、お笑いの世界へ進んだ

④:大学時代に父親の会社が倒産するという波乱の学生生活を送った

有田哲平の学歴と学生時代のエピソード

  • 有田哲平のプロフィールと学歴一覧
  • 熊本大学附属小学校時代|国立校のお坊ちゃん育ちと習い事
  • 熊本大学附属中学校|偏差値62の国立校で内気な漫画少年
  • 済々黌高校|偏差値71の超難関校でラグビー部・上田晋也と出会い
  • 高校時代のモテっぷりと済々黌の同級生たち
  • 立教大学法学部|1年で中退した波乱の大学生活

有田哲平のプロフィールと学歴一覧

 
 
 
 
 
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有田哲平さんは1970年生まれ、熊本県熊本市出身のお笑いタレントです。

2026年05月09日現在の年齢は55歳で、お笑いコンビ「くりぃむしちゅー」のボケ担当として知られています。

身長173cm・体重80kg・血液型O型(現在は非公表)で、熊本市出身の3兄弟の次男です。

項目 内容
本名 有田哲平
生年月日 1970年生まれ
2026年05月09日現在の年齢 約55歳
出身地 熊本県熊本市
身長・体重 173cm・80kg
職業 お笑いタレント・MC・俳優
コンビ くりぃむしちゅー(ボケ担当)
熊本市内の中学校教師
有田真平(放送作家)

学歴一覧表

有田哲平さんの学歴を一覧にすると、幼稚園から小・中学校まで国立の附属校を歩み、超難関の県立高校から有名私立大学へという恵まれた教育環境が見えてきます。

学校種別 学校名 偏差値 特記事項
幼稚園 熊本大学教育学部附属幼稚園 附属校の系列
小学校 熊本大学教育学部附属小学校 国立・系列中学へ内部進学
中学校 熊本大学教育学部附属中学校 62(やや難関) 国立・熊本県内最難関の中学
高校 熊本県立済々黌高校 71(超難関) ラグビー部・上田晋也と同期
大学 立教大学 法学部 60(やや難関) 1年で中退→お笑い芸人の道へ

裕福な家庭とその後の激変

父親は広告代理店などを経営していた会社経営者で、有田さんは大学時代まで裕福な「お坊ちゃん育ち」でした。

しかし大学時代に父親の会社が倒産し、実家も売却され、両親も離婚。

その後父親が急逝するという波乱の経緯をたどっています。

熊本大学附属小学校時代|国立校のお坊ちゃん育ちと習い事

有田哲平さんの出身小学校は、熊本大学教育学部附属小学校という国立の共学校です。

幼稚園も同じく熊本大学教育学部附属幼稚園の出身で、幼稚園→小学校→中学校と一貫して系列校に通学しています。

父親の会社が大学時代まで成功していたこともあり、子供の頃は裕福な暮らしをしていたとのことです。

項目 内容
学校名 熊本大学教育学部附属小学校
種別 国立・共学
系列 附属幼稚園→附属小→附属中と一貫
家庭環境 裕福なお坊ちゃん育ち(父親は会社経営者)

日本舞踊と水泳を習っていた小学校時代

小学校1年生から2年生の頃は日本舞踊を習っていましたが、本人はほとんど覚えていないそうです(笑)。

その他にも水泳を習っており、幼少期から多彩な習い事をしていました。

また当時から勉強ができたことから、父親からは「将来は弁護士になれ」と言われていたとのこと。

「お笑いスター誕生!!」などのテレビ番組を見ていたことから、小学校の文化祭で友達とコントを披露したこともあったそうです。

小学校時代から「お笑い」への興味があった

小学生の頃からお笑い番組を熱心に視聴していた有田さんは、文化祭でコントを披露するなど幼少期から「笑わせること」への興味を持っていました。

父親から「弁護士になれ」と言われながらも、心の中ではお笑いへの憧れが芽生えていたわけです。

この幼少期の「笑わせる喜び」が、立教大学を中退して芸人の道を選ぶ伏線になっていたのかもしれませんね。

熊本大学附属中学校|偏差値62の国立校で内気な漫画少年

有田哲平さんの出身中学校は、熊本大学教育学部附属中学校という国立の共学校です。

この中学校は熊本県内で最難関の中学校として知られており、偏差値は62(やや難関)と高校の上位校に匹敵するレベルです。

卒業生の多くが難関高校に進学する学校で、有田さんもここから偏差値71の済々黌高校に進学しています。

項目 内容
学校名 熊本大学教育学部附属中学校
種別 国立・共学
偏差値 62(やや難関)
特色 熊本県内最難関の中学校
同級生 庭木櫻子(アナウンサー)

意外にも内気で漫画好きだった中学時代

難関の附属中学校に通っていた有田さんですが、意外にも中学時代は内気な性格で、漫画を描くのが大好きだったと述べています。

部活動もほとんど行っていなかったとのことで、高校時代のラグビー部や「光GENJI」を目指したモテっぷりとは対照的な中学時代だったようです。

「おニャン子クラブ」に在籍していた河合その子さんの大ファンで、コンサートにも行っていたというエピソードも残っています。

中学2年でアメリカにホームステイ

中学2年生のときにアメリカにホームステイをするなど、国際的な経験も積んでいます。

難関の国立附属中学という環境もあり、この頃から高い教育水準の中で育ってきたことがわかります。

後に立教大学に入学してから「弁護士を目指していた」と語っているのも、この優秀な学歴の蓄積から生まれた目標だったのでしょう。

済々黌高校|偏差値71の超難関校でラグビー部・上田晋也と出会い

有田哲平さんの出身高校は、熊本県立済々黌(せいせいこう)高校です。

明治12年設立の伝統校で、偏差値71という超難関校は熊本県立熊本高校に次ぐ県内第2位の難関進学校として知られています。

一般受験のみという厳しい条件から、入学するためには相当の学力が必要です。

項目 内容
学校名 熊本県立済々黌高校
種別 公立・共学
偏差値 71(超難関)
設立 明治12年(1879年)・熊本県内伝統の進学校
部活動 ラグビー部(控え・試合出場1回のみ)
同期 上田晋也(くりぃむしちゅー・同高校同学年)、海原はるか、山本恵里伽(TBSアナ)

ラグビー部で上田晋也と出会った

高校時代に有田さんはラグビー部に所属し、ここで後に相方となる上田晋也さんと出会っています。

ただし、ラグビー部では上田さんはレギュラーとして活躍していましたが、有田さんは控え選手でした。

高校3年間で試合に出場したのはわずか1試合のみで、「ルールもよく理解せずにラグビーをやっていた」と本人も認めています(笑)。

「そもそも高校の時に一緒にバカやって、草むらでプロレスやったりとか、先生の物まねをやったりしていた友だちでしたからね」

この高校時代の友情が、後の「くりぃむしちゅー」結成につながっていくわけです。

高校時代も上田さんと浪人で早稲田を目指した

現役時代、有田さんは明治大学法学部二部(夜間部)に合格していましたが、上田さんに「一緒に早稲田を目指そう」と誘われて浪人を選択しました。

ところが浪人の結果、上田さんは早稲田大学教育学部(偏差値65)に合格した一方で、有田さんは第一志望の早稲田に届かず、立教大学法学部(偏差値60)に進学しています。

その際、上田さんは「お前は立教が向いている」と態度を変えたというエピソードも残っています(笑)。

高校時代のモテっぷりと済々黌の同級生たち

有田さんの高校時代は、学力だけでなく外見面でも際立っていたようです。

体育祭やラグビー部の試合があると他校から女子生徒が見に来るほどのモテっぷりで、体育祭の際には他校の女子から弁当の差し入れがあったことから手ぶらで登校したという伝説が残っています。

上田さんも「有田さんの写真が女子校に出回っていた」と証言しており、当時の有田さんのモテっぷりは相当なものだったようです。

本人も「光GENJI」のようなアイドルになりたいと本気で思ったことがあるとのこと(笑)。

豪華な同級生たち

偏差値71という超難関校・済々黌高校の同学年には、有田さんの他にもその後活躍する人物が多くいました。

人物名 職業 関係
上田晋也 お笑いタレント・MC(くりぃむしちゅー) 同期(ラグビー部で出会い)
海原はるか お笑い芸人 同期
山本恵里伽 TBSアナウンサー 同期

ファンだった吉川晃司さんへの憧れ

高校時代の有田さんはジャニーズではなく、吉川晃司さんの熱狂的なファンだったそうです。

吉川晃司さんのファンだった有田さんが後に「くりぃむしちゅー」として吉川晃司さんと同じテレビ番組に出演することになるとは、高校時代は夢にも思わなかったでしょうね。

こうした豪華な同期・友人に囲まれた済々黌高校の3年間が、有田哲平という人物の基礎を形成したと言えます。

立教大学法学部|1年で中退した波乱の大学生活

有田哲平さんは1年間の浪人生活を経て、立教大学法学部(偏差値60・やや難関)に入学しています。

父親から「弁護士になれ」と言われていたこともあり、法学部を選んでいます。

ところが入学してすぐに、司法試験の参考書を見てその難しさに圧倒され、弁護士への夢は早々に断念しています(笑)。

項目 内容
大学名 立教大学
学部 法学部
偏差値 60(やや難関)
浪人歴 1年間浪人(早稲田を目指したが届かず)
在籍期間 約1年で中退
中退の理由 上田晋也に誘われてお笑いの道へ・父親の会社倒産

入学式から孤立していた大学生活

難関校の立教大学に入学したものの、大学生活は最初から苦しいものでした。

「入学式からすでに、附属校出のヤツらがグループを作ってて、かわいい女の子はみんな取られてた。もうダメだ、と。そこから毎日1人で喫煙所ですよ。クラスのヤツは、ラクロスの棒とか持って、『いこーぜ!』とか言ってんのに…」

偏差値71の超難関高校・済々黌でモテモテだった有田さんが、入学式から附属上がりのグループに馴染めず孤立したというギャップが面白いですね。

父親の会社倒産と中退の決意

さらに大学3年生のとき、父親が経営していた会社が倒産し、授業料も滞納するという事態になります。

そんな中、たまたま上田晋也さんの下宿を訪ねると、芸能事務所に送る履歴書を書いていた上田さんに「一緒にお笑いをやらないか」と誘われます。

「大学生活も閉塞ぎみになっていたこともあり、一緒にお笑い芸人を目指すことを決意した」とのこと。

父親に中退を報告した際には「学費を納めなくていいなんてお前は孝行息子だ。やりたいことを見つけるなんて素晴らしい!」と逆に絶賛されたという印象的なエピソードも残っています。

大学中退後の激動のエピソード

夏休みに熊本の実家に戻ったら表札が「長谷川」に変わっていたという衝撃の出来事も。

人づてに引っ越し先を調べて訪ねてみると、有田家は安くてボロいアパートに変わっており、その後両親も離婚、父親は急逝するという激動の経緯をたどっています。

こうした経験が、現在の「くりぃむしちゅー」有田哲平さんの人間的な深みと笑いの土台を作っているのかもしれません。

有田哲平の学歴が示す高さとお笑い芸人としての活躍

  • 「海砂利水魚」結成から「くりぃむしちゅー」改名ブレイクまでの道のり
  • 代表番組と現在の活躍
  • 学歴と話芸の関連性
  • 弟・有田真平の放送作家としての活躍
  • 現在の活動と今後の展望

「海砂利水魚」結成から「くりぃむしちゅー」改名ブレイクまでの道のり

 
 
 
 
 
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立教大学を中退した有田さんは、1991年に上田晋也さんと「海砂利水魚」を結成しています。

当初は「コント山口君と武田君」の付け人を務め、デビュー翌年の1992年からバラエティ番組「ボキャブラ天国」に起用されています。

しかしそのネタは一般的になかなか受け入れられず、この番組でブレイクした爆笑問題やネプチューンとは対照的に苦しい時期が続きました。

出来事
1991年 上田晋也と「海砂利水魚」を結成(21歳)
1992年 「ボキャブラ天国」出演開始(不発に終わる)
2001年 コンビ名を「くりぃむしちゅー」に改名
2001年以降 ウッチャンナンチャンの冠番組出演→大ブレイク

2001年の改名でブレイク

コンビ名を「海砂利水魚」から「くりぃむしちゅー」に改名した2001年を境に、ウッチャンナンチャンの冠番組を中心に出演番組が急増します。

同時期に「バカルディ」から「さまぁ~ず」に改名した三村・大竹と同じように、コンビ名の改名がブレイクのきっかけになったという点で、コンビ名の重要性を物語るエピソードです。

その後は有数の人気お笑いコンビとして、テレビを席巻するほどの活躍を続けています。

代表番組と現在の活躍

「くりぃむしちゅー」としての活躍はもちろん、有田さんは単独でも多くの番組に出演しています。

特に「しゃべくり007」「有田哲平の夢なら醒めないで」など、MCを務める番組でも高い評価を受けています。

番組名 内容
しゃべくり007 長年のレギュラー・MCとして活躍
有田哲平の夢なら醒めないで 自身の冠番組
有田哲平とコスられない街 ロケバラエティ番組

俳優としての活動も

有田さんはお笑いのほか俳優としても活動しており、話題作の連続ドラマや映画にも出演しています。

単独での露出も多く、現在もバラエティー・MCを中心に幅広い活躍を続けています。

学歴と話芸の関連性

偏差値71の済々黌高校、偏差値60の立教大学法学部という高い学歴の背景が、有田さんの話芸の「瞬発的な発想力」に繋がっていると考えられます。

法学部での論理的思考の訓練(たった1年ではありましたが)と、国立附属中学での高度な教育環境が、現在の緻密で論理的なボケを支えているのかもしれません。

「ボキャブラ天国」での苦労も学歴のなせる業?

「ボキャブラ天国」のネタが「ツウ受けするが一般には届かなかった」という評価は、知的すぎて大衆に伝わらなかった側面もあったのかもしれません。

2001年以降の「くりぃむしちゅー」としての活躍は、そのインテリジェンスをより大衆的な笑いに昇華させた結果だと言えます。

超難関高校・国立附属校出身の「賢いお笑い芸人」という側面が、「しゃべくり007」でのMCとしての活躍につながっているのは確かでしょう。

弟・有田真平の放送作家としての活躍

有田哲平さんの弟・有田真平さんは放送作家として活躍しています。

お兄さんは熊本市内の中学校教師という真面目な職業についており、有田家の3兄弟はそれぞれ異なる道を歩んでいます。

人物 職業
熊本市内の中学校教師
本人(次男) お笑いタレント・くりぃむしちゅー
弟・有田真平 放送作家

父親の遺志を継いだかのような3兄弟の生き方

かつて会社を経営し「弁護士になれ」と長男・次男を鼓舞した父親は、大学時代に急逝しています。

兄は教育者として、有田さんはメディア人として、弟は裏方のメディア人として、それぞれ「人と関わり、社会に貢献する」仕事に就いているのは、父親の影響も感じさせます。

現在の活動と今後の展望

現在の有田哲平さんは、「しゃべくり007」などの人気番組のMCとして、また「くりぃむしちゅー」としての冠番組を持つなど、お笑い界のトップランナーとして活躍しています。

2026年4月の番組出演では池袋ロケで「立教大学」の前を訪れ、1年で中退した「母校」について楽しくトークするシーンも見られました。

超難関高校・済々黌の卒業生として

偏差値71という超難関の済々黌高校を卒業した有田さんが、法律の道でも政治の道でもなく「お笑いの道」を選んだことは、ある意味で最も純粋な「自分らしい選択」だったのかもしれません。

今後も「賢いボケ」で視聴者を笑わせ続ける有田哲平さんの活躍から、ますます目が離せません。

有田哲平の学歴と現在の活躍の総まとめ

  • 有田哲平さんは1970年生まれで熊本県熊本市出身
  • 幼稚園から中学まで熊本大学教育学部附属校(国立)に通った
  • 父親は会社経営者で大学時代まで裕福なお坊ちゃん育ちだった
  • 出身中学は熊本大学附属中学校(偏差値62)で熊本県内最難関の国立中学
  • 中学時代は意外にも内気で漫画好き、部活動もほぼ行っていなかった
  • 高校は熊本県立済々黌高校(偏差値71・超難関)に進学した
  • 高校のラグビー部で上田晋也と出会い「一緒にバカをやる友達」になった
  • 体育祭に他校女子が弁当を差し入れるほど高校時代はモテていた
  • 浪人して立教大学法学部(偏差値60)に進学したが1年で中退した
  • 上田晋也は早稲田大学に合格し有田さんに「立教が向いてる」と言い放った
  • 大学1年で入学式から附属校グループに馴染めず毎日1人で喫煙所にいた
  • 大学3年で父親の会社が倒産し、授業料が滞納される事態になった
  • 上田さんに誘われ1991年に「海砂利水魚」を結成した
  • 2001年に「くりぃむしちゅー」に改名して大ブレイクを果たした
  • 現在は「しゃべくり007」などMCとしてお笑い界のトップランナーとして活躍中