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いきものがかりは、ボーカルの吉岡聖恵さん・ギターの水野良樹さん・元メンバーの山下穂尊さんの3人で結成された国民的音楽グループです。
メンバー全員が神奈川県立厚木高校の出身で、水野良樹さんは明治大学を経て一橋大学社会学部に進学した仮面浪人の経歴を持つことでも知られています。
吉岡聖恵さんは昭和音楽大学短期大学部で歌唱を本格的に学び、山下穂尊さんは大学時代にバックパッカーとして世界中を旅していました。
この記事では、いきものがかりの学歴を全メンバー分まとめて解説し、学業と音楽活動の両立エピソードや成功の背景に迫ります。
①:厚木高校出身の3人が結成した経緯
②:水野良樹の仮面浪人と一橋大学進学
③:吉岡聖恵の音大でのスランプ体験
④:学歴の異なる3人が成功できた理由
いきものがかりの学歴を全メンバー分まとめて解説
- メンバー3人の学歴一覧と出身校の偏差値
- 3人が通った厚木高校の偏差値と校風
- 水野良樹の一橋大学進学と仮面浪人の経緯
- 吉岡聖恵の昭和音楽大学短期大学部時代
- 山下穂尊の学歴と大学時代の世界放浪
- メンバーの小中学校と生き物係の由来
メンバー3人の学歴一覧と出身校の偏差値
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いきものがかりのメンバー3人は、それぞれ異なる進路を歩んでいます。
まずは全員の学歴を一覧表で整理してみましょう。
| メンバー | 担当 | 出身高校 | 出身大学 | 大学偏差値 |
|---|---|---|---|---|
| 水野良樹 | ギター・作詞作曲 | 神奈川県立厚木高校 | 一橋大学社会学部(明治大学政治経済学部を中退) | 67.5 |
| 吉岡聖恵 | ボーカル | 神奈川県立厚木高校 | 昭和音楽大学短期大学部 | 45前後 |
| 山下穂尊 | ギター・ハーモニカ(2021年脱退) | 神奈川県立厚木高校 | 非公表 | — |
3人全員が厚木高校という共通点
注目すべきは、メンバー全員が神奈川県立厚木高校の出身であるという点です。
水野良樹さんと山下穂尊さんは同級生で、小学校から高校まで同じ学校に通っていました。
吉岡聖恵さんは2歳年下ですが、兄が水野さん・山下さんの同級生だった縁で厚木高校在学中にいきものがかりに加入しています。
大学進学先は三者三様
高校までは同じ道を歩んだ3人ですが、大学進学先はそれぞれまったく異なります。
水野良樹さんは偏差値67.5の一橋大学社会学部に進学し、国立大学で社会学を学びました。
ただし最初の受験では不合格となり、明治大学政治経済学部に入学してから仮面浪人を経て一橋大学に合格するという異例のルートをたどっています。
吉岡聖恵さんは音楽の道を志して昭和音楽大学短期大学部に進学し、歌唱の基礎を専門的に磨きました。
山下穂尊さんの出身大学は公表されていませんが、大学時代にバックパッカーとして東南アジアや南米を旅していたことが知られています。
偏差値の差が示すメンバーの多様性
一橋大学は国内屈指の難関国立大学であり、音楽大学は偏差値で測れない実技重視の世界です。
偏差値だけを見ると差がありますが、それぞれが自分の強みを活かした進路を選んでいるのが興味深いですよね。
水野さんは作詞・作曲、吉岡さんはボーカル、山下さんはギターとハーモニカという役割分担が、学歴にも反映されているようです。
3人が通った厚木高校の偏差値と校風
いきものがかりの3人が卒業した神奈川県立厚木高校は、神奈川県内でもトップクラスの進学校として知られています。
| 学校名 | 所在地 | 偏差値 | 設立年 | 特徴 |
|---|---|---|---|---|
| 神奈川県立厚木高校 | 神奈川県厚木市 | 69 | 1902年 | 文武両道の県立進学校 |
偏差値69の県立進学校
結論から言うと、厚木高校は偏差値69の神奈川県内屈指の進学校です。
1902年に設立された歴史ある学校で、毎年多くの卒業生が国公立大学や難関私立大学に進学しています。
水野良樹さんが一橋大学を目指すことができたのも、厚木高校の学力水準の高さがあってこそといえるでしょう。
神奈川県内の公立高校の中でも上位に位置しており、東京大学や早慶上智への進学者も輩出しています。
文武両道を掲げる校風
厚木高校は進学校でありながら、部活動や文化活動にも力を入れている文武両道の校風で知られています。
水野さんと山下さんが高校時代に路上ライブを始められたのも、勉強だけに縛られない自由な雰囲気があったからこそかもしれません。
実際に2015年には、いきものがかりが母校・厚木高校をサプライズ訪問し、日本テレビの番組「スッキリ!!」で放送されたこともあります。
後輩たちの前で演奏する姿は大きな話題となり、厚木高校といきものがかりの深い結びつきが改めて注目されました。
厚木高校出身の有名人
厚木高校の卒業生にはいきものがかりのメンバー以外にも各分野で活躍する人材が多く、地域の名門校としての存在感を示しています。
いきものがかりは厚木高校の知名度を全国に広めた最も有名な卒業生といっても過言ではないでしょう。
ここ、気になるポイントだと思いますが、偏差値69の進学校から音楽の道に進んだメンバーがいるというのは、かなり珍しいケースですよね。
厚木高校の校訓には自主自律の精神が掲げられており、生徒一人ひとりが自分の進路を主体的に選択する風土が根付いています。
いきものがかりのメンバーが音楽という道を堂々と選べたのも、この校風があってこそでしょう。
水野良樹の一橋大学進学と仮面浪人の経緯
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水野良樹さんの学歴で最も注目されるのが、明治大学から一橋大学へ進んだ「仮面浪人」のエピソードです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 水野良樹(みずの よしき) |
| 生年月日 | 1982年12月17日 |
| 2026年04月06日現在の年齢 | 43歳 |
| 出身地 | 神奈川県海老名市 |
| 出身高校 | 神奈川県立厚木高校(偏差値69) |
| 出身大学① | 明治大学政治経済学部(中退) |
| 出身大学② | 一橋大学社会学部(偏差値67.5) |
| 卒業年 | 2006年 |
| 担当 | ギター・コーラス・作詞作曲・リーダー |
一橋大学を志望した理由
水野良樹さんが一橋大学を目指したきっかけは、社会学者の宮台真司さんが出演するテレビ番組でした。
「漠然と社会学が面白そうと感じた」と振り返っており、社会学部のある東京の大学を調べた中に一橋大学があったそうです。
友人に志望校を話すと「何を言っているの?お前には無理」と言われたほど、当初は志望のレベル感を把握していなかったとのことです。
最初の受験失敗と明治大学入学
厚木高校から一橋大学を受験した水野さんですが、最初の挑戦はあっさり不合格に終わっています。
併願していた明治大学政治経済学部には合格したため、ひとまず明治大学に入学しました。
ただ、浪人するという選択肢はありませんでした。
親に相談したところ「大学に入れるまでは親の責任だが、浪人はお前のわがまま。ウチにはお前を浪人させる余裕はない」と言われたのです。
仮面浪人を決意したプレゼンテーション
そこで水野さんは驚くべき行動に出ます。
一橋大学の入学金や授業料を計算し、私立の明治大学に3年間通うよりも国立の一橋大学に4年間通うほうが安いということを親にプレゼンテーションしたのです。
親もこれには納得し、明治大学に通いながら受験勉強を続ける「仮面浪人」生活が始まりました。
翌年、見事に一橋大学社会学部に合格しています。
仮面浪人の原点は中学時代の後悔
なぜそこまで一橋大学にこだわったのか。
水野さん自身は中学時代に野球部を途中退部したことがトラウマになっていたと語っています。
好きで始めた野球を顧問の先生とぶつかって辞めてしまい、15歳の自分には大きなショックだったそうです。
半年ほど誰とも話したくなくなるほどのダメージを受け、「一度目指した大学を諦めていいのか。このままではいけない」という思いが仮面浪人の原動力になりました。
母親からも合格後に「乗り越えたね」と言われ、思春期からずっと引きずっていた自己否定感から解放されたと述懐しています。
吉岡聖恵の昭和音楽大学短期大学部時代
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いきものがかりのボーカルを務める吉岡聖恵さんは、2002年に昭和音楽大学短期大学部に進学しました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 吉岡聖恵(よしおか きよえ) |
| 生年月日 | 1984年2月29日 |
| 2026年04月06日現在の年齢 | 42歳 |
| 出身地 | 神奈川県厚木市 |
| 出身高校 | 神奈川県立厚木高校(偏差値69) |
| 出身大学 | 昭和音楽大学短期大学部 |
| 担当 | ボーカル |
偏差値69の進学校から音大という異色の進路
結論から言うと、吉岡聖恵さんは偏差値69の厚木高校を卒業後、音楽の専門教育を選んだという異色の経歴の持ち主です。
一般的に厚木高校の卒業生は国公立大学や難関私立大学に進学するケースが多いですが、吉岡さんは歌の道を選びました。
昭和音楽大学短期大学部は神奈川県川崎市にある音楽専門の短大で、声楽やピアノなどの実技教育に定評があります。
音大で味わった挫折
しかし音大への進学は順風満帆ではありませんでした。
吉岡さんは音大に入った後、自分の武器であった歌がまったく通用しないという現実に直面します。
路上ライブでは圧倒的な歌唱力で観客を魅了していた吉岡さんですが、専門教育の場では基礎からのやり直しが求められたのです。
この経験は後にスランプの原因となり、「歌いたくない」とまでこぼすようになったそうです。
吉岡聖恵の歌唱スタイルへの影響
昭和音楽大学での学びは、吉岡さんの歌唱スタイルにも大きな影響を与えています。
吉岡さんは現在もビブラートをかけずにストレートに歌う唱法を貫いていますが、これは「聴く人にしっかりと届くことを第一に考えている」という本人のこだわりによるものです。
水野良樹さんも「クセがないので音に合わせたキャラクターに変身することができる。自分たちも自由に曲を作ることができる」と吉岡さんの歌声を高く評価しています。
音大で基礎を学んだからこそ、あえてテクニックに頼らないストレートな歌い方を選択できたのかもしれません。
山下穂尊の学歴と大学時代の世界放浪
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いきものがかりの元メンバーである山下穂尊さんは、2021年に脱退するまでギターとハーモニカを担当していました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 山下穂尊(やました ほたか) |
| 生年月日 | 1982年8月27日 |
| 2026年04月06日現在の年齢 | 43歳 |
| 出身地 | 神奈川県海老名市 |
| 出身高校 | 神奈川県立厚木高校(偏差値69) |
| 出身大学 | 非公表 |
| 担当 | ギター・ハーモニカ・作詞作曲 |
出身大学は公表されていない
結論から言うと、山下穂尊さんの出身大学は公式には公表されていません。
水野良樹さんの一橋大学や吉岡聖恵さんの昭和音楽大学短期大学部のように具体的な学校名が語られる機会がなく、メディアでも詳細は明かされていません。
ただし大学に在籍していたこと自体は確かで、大学時代のエピソードは複数のインタビューで語られています。
バックパッカーとして世界中を旅した大学時代
山下さんの大学時代で最も特徴的なのが、バックパッカーとして東南アジアや南米を中心に世界中を旅していたというエピソードです。
すべての滞在時間を合わせると延べ数ヶ月もの長期間、日本を離れていたそうです。
一度旅に出ると1〜2ヶ月ものあいだ連絡が取れなくなることもあったといいます。
この長期不在が、いきものがかりの活動に影響を与えることもあったようですが、旅の経験は山下さんの楽曲づくりに独自の世界観を与えたと考えられます。
ギターとの出会いと曲作りの才能
山下さんは小学生のころからピアノを習っており、中学時代に通っていた塾の講師からギターを教えてもらったことがきっかけでギターにのめり込みました。
初めて弾けた曲はチューリップの「心の旅」だったそうです。
高校時代から曲作りを始め、水野さんに最初の作品を見せたところ「もっといいものが作れる」と突き返されました。
しかし次に作った曲「地球」が想像以上の出来栄えだったため、水野さんは「相当焦りを感じた」と山下さんの才能に驚愕したと語っています。
山下さんは短いと30分前後で曲を作れるという才能の持ち主で、「最初に出てきたフレーズを優先する」のがこだわりだそうです。
2021年の脱退
山下穂尊さんは2021年夏をめどにいきものがかりを脱退しました。
脱退は山下さん本人からの申し出によるもので、いきものがかりはその後も水野良樹さんと吉岡聖恵さんの2人で活動を継続しています。
メンバーの小中学校と生き物係の由来
いきものがかりというグループ名の由来は、メンバーの小学校時代にまで遡ります。
水野良樹と山下穂尊は小学校の同級生
水野良樹さんと山下穂尊さんは、小学校から高校まで同じ学校に通っていたという長い付き合いです。
2人とも神奈川県海老名市の出身で、地元の小学校に通っていました。
ただし同じクラスになったのは小学校1年生の時と中学校1年生の時だけで、お互いのことはあまり知らなかったそうです。
高校生になるまでほとんど覚えていないような間柄だったというのは意外ですよね。
グループ名は小1の係活動がルーツ
いきものがかりの結成時、グループ名を決める際に2人の共通点を探しました。
すると山下さんが、小学校1年生のころの係活動が2人とも金魚の世話をする「生き物係」だったことを思い出したのです。
当初は仮称のつもりでしたが、後に加入した吉岡聖恵さんがこのグループ名を気に入ったことで正式に「いきものがかり」として活動することになりました。
吉岡聖恵の加入経緯
吉岡聖恵さんは厚木市出身で、兄が水野さん・山下さんの同級生でした。
1999年11月、兄から電話で呼び出された吉岡さんが、小田急小田原線の相模大野駅前で路上ライブをしていた2人のもとに飛び入り参加したのがきっかけです。
赤いサングラスをかけた出で立ちで現れた吉岡さんに山下さんは心底驚いたそうですが、その歌唱力に2人は即座に加入を決めました。
水野さんは「歌がうまい吉岡が加わってからは、もう大丈夫だと思った」と振り返っています。
海老名市で育まれた少年時代
水野さんと山下さんの出身地である海老名市は、小田急線沿線の神奈川県中部に位置するベッドタウンです。
路上ライブの活動場所は地元ではなく相模大野を選んでいました。
水野さんは「地元だと恥ずかしかったのと、海老名駅周辺には人が集まるスポットがなかった」と理由を語っています。
吉岡さんが加わってからは海老名や本厚木でも演奏するようになったそうです。
いきものがかりの学歴から見る音楽と学業の両立
- 厚木高校時代の再会と路上ライブの始まり
- 一橋大学が水野良樹に与えた価値観
- 吉岡聖恵の音大での挫折と復活劇
- 大学在学中にプロを目指した覚悟と戦略
- 学歴の違いを超えた3人の絆と成功要因
厚木高校時代の再会と路上ライブの始まり
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いきものがかりの結成は、厚木高校での水野良樹さんと山下穂尊さんの再会がきっかけでした。
高校での帰宅がきっかけの再接近
小学校から同じ学校に通いながらも、ほとんど接点がなかった2人。
しかし高校生になると、実家が近いことと部活に入っていないことから一緒に帰宅するようになりました。
何気ない日常の中で少しずつ距離が縮まっていったのです。
部活に所属していなかったからこそ放課後の時間に余裕があり、音楽という共通の趣味に目を向ける機会が生まれました。
ゆずブームに乗った結成
1999年当時、ストリートミュージシャンとして活動していたゆずが大きな話題を呼んでいました。
地元が同じ神奈川県という共通点もあり、ゆずに興味を持った山下さんが水野さんを誘って音楽活動を始めたのがいきものがかりの原点です。
小田急線の相模大野駅周辺で路上ライブを行い、ライブハウスでの演奏も始めました。
ゆずの成功モデルは2人にとって大きな刺激となり、自分たちにも同じことができるのではないかという期待を抱かせたのです。
路上ライブの活動範囲
当初は相模大野を拠点にしていましたが、吉岡さんの加入後は活動範囲が広がります。
海老名・本厚木に加え、町田や新百合ヶ丘と小田急沿線に活動場所を拡大していきました。
水野さんは「相模女子大学のある相模大野に流れた」と当時を振り返っています。
人が集まるスポットを求めて試行錯誤していた高校時代の行動力が、後のメジャーデビューにつながっていくのです。
高校時代から始まっていた曲作り
水野さんは高校時代からすでに曲作りを行っており、いきものがかりとは別にバンドも組んでいました。
当時制作した曲を改良して、のちに「うるわしきひと」「流星ミラクル」「君と歩いた季節」といった楽曲が生まれています。
厚木高校時代はまさにいきものがかりの音楽の土台が形成された時期だったといえるでしょう。
偏差値69の進学校に通いながらも音楽活動に情熱を注いだ高校時代の経験が、その後のプロとしてのキャリアを支える基盤になりました。
一橋大学が水野良樹に与えた価値観
水野良樹さんは2002年に一橋大学社会学部に入学し、2006年に卒業しています。
一橋大学での学びは、いきものがかりの音楽性に決定的な影響を与えました。
入学直後に受けた衝撃的な講義
水野さんが最も印象に残っているのは、入学直後の社会学部ガイダンスでの町村敬志教授の言葉です。
「君たちは神のような客観的に絶対的な存在になることはできない。君たちには必ず”立場”というものがある」という趣旨の話でした。
水野さんはこの言葉がその後の音楽活動でも役に立っていると語っています。
不特定多数に音楽を届けるグループであっても、そこに自分の主観性を反映させずにはいられないという自覚が、楽曲制作の姿勢に影響を与えたのです。
一橋大生の自己肯定感に驚く
水野さんが一橋大学に入って衝撃を受けたのは、「勉強すれば何でもできるようになる」という自信を持つ学生が多かったことです。
地元の良い高校でトップクラスの成績を上げ、難関の一橋大学に合格した学生たちは、強い自己肯定感を持っていました。
その自己肯定感が行動する意欲につながり、将来についてもよく考えている姿に水野さんは大いに刺激を受けたそうです。
一方で明治大学時代は「学生が自分の可能性をシビアに自覚しているところがあった。行動する前から自分の到達点を決めている」と感じたと語っています。
卒業論文は音楽産業の権利問題
水野さんのゼミは労働経済学の依光正哲教授のもとでした。
卒業論文のテーマは、ファイル交換ソフトやiTunesなど音楽配信サービスが出始めた時代の音楽産業における権利問題です。
「音楽の道を進むことに少しでも役立つものを」という思いからこのテーマを選びました。
調べた知識は無駄にはならなかったものの、「音楽業界はパワーバランスのうえに成立しているので、法律上のきれい事は通用しない難しさがある」ことを知ったそうです。
一橋大学卒業と音楽活動の両立
水野さんは就職には有利とされる一橋大学に在籍しながらも、音楽以外の進路は意識していなかったといいます。
「行けるところまで行こうと思っていた」と語っており、2006年に一橋大学社会学部を卒業すると同時にメジャーデビューを果たしました。
一橋大学社会学学士の学位を取得した年にデビューシングル「SAKURA」をリリースするという、まさに学業と音楽を両立させた結果です。
吉岡聖恵の音大での挫折と復活劇
吉岡聖恵さんの昭和音楽大学短期大学部での経験は、いきものがかりの歴史の中でも大きなターニングポイントとなりました。
「歌いたくない」と漏らしたスランプ
メジャーデビュー前、吉岡さんは深刻なスランプに陥ります。
音大に入学後、自分の武器であった歌がまったく通用しなかったことが原因でした。
路上ライブでは観客を魅了できた歌声も、専門教育の現場では基礎から鍛え直す必要がありました。
吉岡さんは「歌いたくない」とまでこぼすようになり、いきものがかりの活動に大きな影を落としました。
水野良樹の説得は1年近く不発
スランプに陥った吉岡さんを復活させようと、水野良樹さんは懸命に説得を試みます。
しかしその度に喧嘩になってしまい、1年近くも話がまとまらないままの状態が続きました。
吉岡さんは水野さんの説得について「癇に障ることばかりで説明が下手」と辛辣に評しています。
論理的に説得しようとする水野さんのアプローチは、感情的に追い詰められていた吉岡さんには逆効果だったようです。
山下穂尊がたった1日で復活させた
転機は海外旅行中だった山下穂尊さんの帰国でした。
山下さんが帰国後に説得すると、わずか1日で吉岡さんを復活させることに成功したのです。
吉岡さんは「癒やし系の本に書いてありそうな言葉をかけてくれたのが決め手でした」と語っています。
水野さんの論理的な説得より、山下さんの穏やかな言葉のほうが吉岡さんの心に響いたというのは興味深いエピソードですよね。
スランプを乗り越えた先の成長
音大でのスランプを経験した吉岡さんは、その後さらに歌唱力を磨いていきます。
メジャーデビュー後の2ndアルバム「ライフアルバム」からは作詞を手がけるようにもなり、3rdアルバム以降は自身が作詞作曲した楽曲も収録されるようになりました。
本人も自作の曲は特別なものであると感じており、距離感を近く感じるそうです。
音大での挫折を乗り越えたからこそ、ボーカリストとしてだけでなくクリエイターとしても成長できたのでしょう。
大学在学中にプロを目指した覚悟と戦略
いきものがかりが他のストリートミュージシャンと一線を画したのは、大学在学中からプロを明確に意識した戦略的な活動にあります。
「成功の可能性は0.001%」という認識
水野良樹さんは一橋大学の2年次から音楽活動を本格化させました。
3人は「成功は宝くじで1等を取るより難しい、99.999%不可能なこと」という認識を共有することから始めたといいます。
この厳しい現実認識の上で、0.001%ずつ可能性を広げていく地道な努力を積み重ねたのです。
活動の中で自分たちより努力している人たちにたくさん出会い、目の前で倒れていく人たちもまたたくさん見てきたと水野さんは振り返っています。
学生ならではの独自マーケティング
3人はライブで1人でも多く動員するために、様々な工夫を凝らしました。
①学生だから学生服を着てみる
②歌詞を書いたパンフレットを自作して配布する
③毎週同じ曜日の同じ時間に路上ライブを行い、認知を定着させる
当時はインターネットもまださほど普及していなかった時代です。
地道なオフライン活動の積み重ねが、着実にファンを増やしていきました。
事務所のマネージャーとの出会い
転機となったのは、ライブを再開した際にたまたま現在の事務所のマネージャーが見に来てくれていたことです。
そこからプロの世界が見え始め、どうすればメジャーな存在になれるか真剣に考え始めたと水野さんは語っています。
「自分たちだけでは何もできないも同然なので、自分たちに関わってくれる人がどれだけ強い思いを持ってくれるかが勝負」という自覚が、成功の鍵だったのです。
J-POPという「普通」が武器になった理由
いきものがかりの戦略で興味深いのは、「普通であること」を武器にした点です。
当時の活動環境では「ほかとは違う」と個性を主張するロックバンドばかりが周囲にいました。
しかし3人がやったのは、自分たちが好きなJ-POPをそのまま素直に演奏することでした。
その結果、いきものがかりのライブには年配の方など他のバンドのライブには来ない客層が集まるようになったのです。
水野さんは「ほかのバンドから完全に浮いている状況でしたが、逆にチャンスかもしれないと思いましたね」と当時を振り返っています。
学歴の違いを超えた3人の絆と成功要因
一橋大学・昭和音楽大学短期大学部・非公表と、大学の方向性がまったく異なる3人がなぜ国民的グループとして成功できたのか。
その理由を整理してみます。
厚木高校という共通の原点
3人に共通するのは、偏差値69の厚木高校で学んだという土台です。
進学校で培われた基礎学力と知的好奇心が、楽曲の歌詞の深みやマーケティング的な発想につながっています。
水野さんの緻密な作詞・作曲、山下さんの直感的な創作、吉岡さんの表現力は、それぞれが高校時代に育まれた素養といえるでしょう。
役割分担の絶妙なバランス
学歴の違いは、そのまま3人の個性の違いを映し出しています。
①水野さん(一橋大学):論理的思考を活かした作詞・作曲とグループ戦略
②吉岡さん(音大):専門教育で磨かれた歌唱力
③山下さん(バックパッカー経験):自由な発想からの直感的な楽曲制作
この役割分担が、いきものがかりの楽曲に多層的な魅力を与えています。
「NHK感」を生んだユーザー志向
水野さんは一橋大学で学んだ社会学的な視点から、ユーザーオリエンテッド(顧客志向)の楽曲づくりを強く意識していました。
老若男女に受ける楽曲をつくることを目指し、あえてプロっぽくないストレートな歌い方を採用しました。
その結果、NHK紅白歌合戦に9年連続出場、ドラマ主題歌、甲子園の入場行進曲、CMソング、駅の列車接近メロディまで、あらゆる場面で採用される国民的グループに成長したのです。
水野さんは「よくいきものがかりは”NHK感”が強いと言われます」と笑いますが、この「NHK感」こそが最大の成功要因だったのかもしれません。
メジャーデビュー後の軌跡
2006年のデビューシングル「SAKURA」は31週ものチャートインを記録するロングセラーとなりました。
2010年にはNHK連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」の主題歌「ありがとう」が幅広い世代から支持を集め、日本レコード大賞にも選出されています。
メジャーレーベルからシングルCD32枚、オリジナルアルバム7枚、ベストアルバム3枚をリリースし、オリジナルアルバムのうち5作品がヒットチャート1位を記録しました。
2017年1月に「放牧宣言」で活動を一時休止しましたが、2018年11月に活動を再開しています。
いきものがかりの学歴と出身校の総まとめ
- いきものがかりのメンバー全員が神奈川県立厚木高校(偏差値69)の出身である
- 水野良樹は明治大学政治経済学部を中退後、一橋大学社会学部(偏差値67.5)に進学した仮面浪人の経歴を持つ
- 水野良樹が一橋大学を目指したきっかけは社会学者・宮台真司のテレビ出演だった
- 仮面浪人の原動力は中学時代の野球部退部というトラウマを克服したいという強い思い
- 一橋大学で受けた町村敬志教授の講義がいきものがかりの音楽観に決定的な影響を与えた
- 水野良樹の卒業論文テーマは音楽産業における権利問題で、音楽の道に役立てる意図があった
- 吉岡聖恵は昭和音楽大学短期大学部に進学し、歌唱の専門教育を受けた
- 吉岡聖恵は音大で自分の歌が通用せず深刻なスランプに陥ったが、山下穂尊の説得でたった1日で復活した
- 山下穂尊の出身大学は非公表だが、大学時代にバックパッカーとして東南アジア・南米を数ヶ月放浪していた
- グループ名の由来は水野と山下が小学校1年生の時に担当していた「生き物係」から取った
- 水野と山下は小学校から高校まで同じ学校に通い、吉岡は山下の同級生の妹として加入した
- 厚木高校時代にゆずブームの影響で路上ライブを始めたのがいきものがかり結成のきっかけ
- 成功の可能性を0.001%と認識し、学生服着用やパンフレット自作など地道な活動を展開していた
- 2006年に水野良樹が一橋大学を卒業した年にデビューシングル「SAKURA」をリリースした
- NHK紅白歌合戦に9年連続出場を果たし、学歴の異なる3人が国民的グループに成長した

