岩屋毅の学歴|偏差値77のラ・サールから早稲田へ進んだ軌跡

岩屋毅の学歴|偏差値77のラ・サールから早稲田へ進んだ軌跡

※当記事は公開情報をまとめた考察記事です。記載内容は執筆時点で確認できた情報に基づきます。
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岩屋毅さんは1957年8月24日生まれの政治家で、大分県別府市出身の衆議院議員です。

地元の別府市立青山中学校から鹿児島の名門ラ・サール高校(偏差値77・全国2位)へと進学し、さらに早稲田大学政経学部政治学科を卒業した輝かしい学歴の持ち主です。

大学卒業後は鳩山邦夫氏の秘書として政治を学び、32歳で衆議院議員に初当選。

衆議院議員を11回当選し続け、防衛大臣を経て現在は外務大臣として活躍する岩屋さんの学歴と経歴、そして話題の英語力の実態についても詳しく解説します。

趣味はサイクリング・ギター・書道で、座右の銘は「敬天愛人」という一面も持っています。

記事のポイント

①:別府市立青山中学校から偏差値77のラ・サール高校へ入学

②:早稲田大学政経学部政治学科を1981年卒業

③:留学・海外勤務経験なしで外務大臣に就任

④:衆議院11回当選・座右の銘は「敬天愛人」

岩屋毅の学歴|別府の公立校から名門ラ・サールへ

  • 岩屋毅の学歴と基本プロフィール
  • 別府市立青山小中学校から鹿児島ラ・サールへの進学
  • 鹿児島ラ・サール高校の偏差値と英語教育の特徴
  • 生徒会長を1年生で務めたリーダーシップ
  • 早稲田大学政経学部政治学科の偏差値と学生時代
  • 大学卒業後、鳩山邦夫秘書から政治家への転身

岩屋毅の学歴と基本プロフィール

 
 
 
 
 
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まず、岩屋毅さんの基本情報と学歴の全体像を整理しましょう。

下記の表は、岩屋毅さんのプロフィールをまとめたものです。

項目 内容
本名 岩屋毅(いわや たけし)
生年月日 1957年8月24日
2026年04月06日現在の年齢 68歳
出身地 大分県別府市
出身小学校 別府市立青山小学校
出身中学校 別府市立青山中学校
出身高校 鹿児島ラ・サール高等学校(1976年3月卒業)
出身大学 早稲田大学政経学部政治学科(1981年3月卒業)
所属政党 自由民主党
選挙区 大分3区
当選回数 衆議院11回
主な役職 外務大臣(第2次石破内閣)
趣味 サイクリング、ギター、書道
座右の銘 敬天愛人

岩屋毅さんの学歴を一言で表すなら、「地方公立から名門私立・そして早稲田へ」という進学ルートです。

大分県別府市の公立小中学校を卒業した後、全国屈指の難関校である鹿児島ラ・サール高等学校へ進学しています。

ラ・サール高校の偏差値は77で、鹿児島県内1位・全国でも2位という超難関校です。

さらに大学は早稲田大学政経学部政治学科へ進学し、1981年3月に卒業しています。

政経学部政治学科という名の通り、学生時代から政治を体系的に学んでいたわけですよね。

学歴が示す岩屋毅さんの知性とリーダーシップ

岩屋毅さんの学歴を振り返ると、決して「エリート街道まっしぐら」という単純な話ではありません。

地方の公立小中学校を卒業した後、わざわざ大分から鹿児島の高校へ進学するという選択は、当時としても相当な決断だったはずです。

鹿児島ラ・サール高校は中高一貫校として知られていますが、岩屋さんが入学したのは高校からの外部入学でした。

偏差値77の超難関校の外部入試に合格するためには、中学校時代からの相当な努力があったと考えられます。

さらに早稲田大学政経学部政治学科への合格も、決して簡単なものではありません。

偏差値67.5〜70という難易度は、日本の大学の中でも上位に位置するレベルです。

2つの難関校を突破した学歴は、岩屋さんが持つ地頭の良さと努力の積み重ねを裏付けるものと言えます。

在学中に鳩山邦夫氏の選挙スタッフとしてアルバイトを経験したことが、その後の政治家人生の大きなきっかけになっています。

大学卒業後は鳩山邦夫衆議院議員秘書として政治の世界に飛び込み、1987年には大分県議会議員として政治家キャリアをスタートさせました。

1990年には32歳で衆議院議員に初当選し、以来11回の当選を重ねて防衛大臣・外務大臣と要職を歴任してきました。

こうした学歴から政治家への軌跡を追うと、強い意志と実行力を兼ね備えた岩屋さんの原点が見えてきます。

別府市立青山小中学校から鹿児島ラ・サールへの進学

ここでは、岩屋毅さんが鹿児島ラ・サール高校への進学を決めるまでの流れを整理します。

温泉の街・別府での幼少期

岩屋毅さんは大分県別府市で生まれ育ちました。

別府市は国内最大の温泉地として知られ、豊かな自然と観光業が盛んな地域です。

地元の別府市立青山小学校・青山中学校と、ごく普通の公立学校を歩んできた岩屋さんですが、中学卒業後に鹿児島の名門ラ・サール高校への進学を選択したことは、非常に大きな転換点でした。

鹿児島ラ・サール高校は大分からはかなり距離があります。

わざわざ他県の寄宿舎制の高校を選ぶというのは、それだけの強い意志と学力があってのことでしょう。

親元を離れて鹿児島で寮生活を送るという選択は、10代の若者にとって大きな挑戦です。

しかしこの決断が、岩屋さんの人生を大きく変える出発点になったと言えます。

鹿児島ラ・サール高校への進学という挑戦

鹿児島ラ・サール高校は中高一貫校として運営されていますが、外部からの高校入学も受け付けています。

外部入試の偏差値は77で、これは鹿児島県内の高校で最も高く、全国でも第2位に位置する難易度です。

岩屋さんが高校外部入試に合格したということは、青山中学校時代からトップクラスの学力を持っていたことを示しています。

別府市の公立中学から全国2位の難関高校に合格するのは、容易なことではありません。

ラ・サール高校に外部入学する生徒は九州各地から集まってきており、岩屋さんはその中の1人として合格を果たしたことになります。

高校時代は寮生活を送り、親元を離れて勉学に励む環境に身を置いたはずです。

このような自立した環境での生活が、後の政治家としての精神的な強さやリーダーシップを育てた一因とも考えられます。

別府の公立小中学校から出発し、難関の鹿児島ラ・サール高校へと進んだ岩屋さんの学歴には、努力と挑戦の精神がしっかりと刻まれています。

鹿児島ラ・サール高校の偏差値と英語教育の特徴

岩屋毅さんが進学した鹿児島ラ・サール高校について、詳しく見ていきましょう。

ラ・サール学園の歴史と設立の経緯

鹿児島ラ・サール学園はカトリックのキリスト教修道会「ラ・サール兄弟会」が経営する私立の中高一貫校です。

1950年(昭和25年)に開校した歴史ある学校で、開校当初から外国人教師が多く在籍していたことが大きな特徴でした。

岩屋さん自身も公式サイトで開校当時の様子を紹介しています。

外国人教師が多かったことから英語に強い優秀な学生が最初から集まり、わずか二十数名だった1期生の中から東大合格者が出たことで評判が高まり、あれよあれよという間に進学校としての地位を確立したというわけです。

岩屋さんが在籍した頃の校長先生は外国人で、入学式のスピーチが英語で行われていたというエピソードも残っています。

当時の生徒たちにとって、校長先生の英語スピーチが何を言っているのかわからない経験は、逆に英語への強い興味を引き出すきっかけになったかもしれません。

英語教育への徹底したこだわり

現在のラ・サール学園も英語教育に対して非常に力を入れています。

英語専用校舎を設けたり、英語の授業は少人数クラスに分けて外国人教師が担当するという体制を維持しています。

開校当時から続く「英語教育の強い学校」というDNAが、現在も受け継がれているわけです。

ラ・サール会はフランス起源のカトリック修道会であり、教育事業を通じた人材育成を使命としています。

そのため単なる進学校としてだけでなく、語学と国際感覚を重視した教育が行われているのが特徴です。

高校外部入試の偏差値77は鹿児島県内第1位、全国でも第2位という難しさを誇り、全国から優秀な学生が集まります。

大学進学実績も東大・京大・国公立医学部をはじめとする難関大学への合格者を多数輩出しており、岩屋さんもその流れに乗って早稲田大学政経学部へと進みました。

英語教育に定評のある名門校で学んだ岩屋さんが、後に外務大臣になりながら英語力について注目されることになるというのは、何とも皮肉な展開とも言えますよね。

ただ、学校での英語教育と実際の英会話力は別物であり、継続的な海外経験があってこそ磨かれるものだということを、このエピソードは教えてくれます。

生徒会長を1年生で務めたリーダーシップ

岩屋毅さんは鹿児島ラ・サール高校1年生のときに生徒会選挙に立候補し、見事当選しています。

偏差値77の名門校で1年生から生徒会へ

鹿児島ラ・サール高校には全国から優秀な生徒が集まっています。

そのような超難関校の中で、入学したばかりの1年生が生徒会選挙に立候補して当選するというのは、並大抵のことではありません。

偏差値77の高校ということは、そこに在籍する生徒たちも当然ながらトップクラスの学力を持っています。

そのような集団の中でリーダーに選ばれるということは、単に成績が良いだけでは不十分です。

周囲の信頼を集めるコミュニケーション能力、自分の考えを明確に伝えるプレゼンテーション力、そして同学年・先輩を含む生徒全体から支持される人間的な魅力が必要です。

岩屋さんはわずか1年生にして、これらすべてを備えていたと言えます。

生徒会活動を通じて、学校行事の企画・運営、先生方との交渉、生徒間の意見調整など、実践的なリーダーシップを高校時代から磨いていたことになります。

政治家への道を示す原点

政治家にとって最も重要な資質のひとつは、人を動かす力です。

岩屋さんが高校時代から発揮していたリーダーシップは、後の政治家キャリアとも深くつながっています。

大学時代に鳩山邦夫氏の選挙アルバイトに飛び込み、秘書として政治を学び、1987年には29歳で大分県議会議員に立候補して当選するという軌跡は、高校時代から積み重ねてきた人を動かす力が土台になっていると考えられます。

衆議院議員を11回当選し続けるという実績も、ただの学歴や知識だけで達成できるものではありません。

地元大分の有権者から長年にわたって信頼を得てきたという事実は、ラ・サール高校時代に磨き始めたリーダーシップの延長線上にあるとも言えます。

岩屋さんにとって、1年生での生徒会当選というエピソードは、政治家としての原点を語るうえで欠かせない一章です。

ここ、気になるポイントだと思います。頭が良いだけでなく、人望まで兼ね備えていたんですよね。

早稲田大学政経学部政治学科の偏差値と学生時代

鹿児島ラ・サール高校卒業後、岩屋毅さんは早稲田大学政経学部政治学科へ進学しています。

早稲田大学政経学部の難易度と特徴

早稲田大学政治経済学部は、日本の私立大学の中でも特に難易度の高い学部として知られています。

みんなの学校情報2024のデータによると偏差値は67.5〜70という高い水準にあり、日本の私立大学の中でも最上位クラスに位置します。

政治経済学部は政治学科・経済学科・国際政治経済学科に分かれており、岩屋さんが進んだ政治学科では政治理論・行政学・国際関係論などを学ぶカリキュラムが組まれています。

早稲田大学政経学部からは多くの政治家・官僚・ジャーナリストが輩出されており、政界との結びつきが非常に強い学部として有名です。

岩屋さんが政治学科を選んだのも、政治家を目指すという意志が学生時代からあったことを示しているかもしれません。

なお、一部では「東大の滑り止めで早稲田に入った」という見方もありますが、偏差値67.5〜70という難易度は決して「滑り止め」レベルではありません。

鹿児島ラ・サール高校から早稲田大学政経学部へと進んだことは、十分に評価に値する学歴です。

鳩山邦夫氏との出会いが政治家への道を開く

早稲田大学在学中に、岩屋さんの人生を大きく変える出来事がありました。

鳩山邦夫衆議院議員の事務所での選挙アルバイトです。

このアルバイトがきっかけとなり、岩屋さんは政治の世界に強い関心を持つようになっていきました。

実際、大学4年次の1980年4月には正式に鳩山邦夫衆議院議員の秘書として採用されています。

大学を卒業する前年に秘書として働き始めたという事実は、それだけ鳩山邦夫氏から高く評価されていたことを意味します。

早稲田大学政経学部政治学科という学歴と、鳩山邦夫氏との出会いという実務経験の両輪が、その後の岩屋さんの政治家キャリアを大きく後押ししたと言えるでしょう。

1981年3月に早稲田大学を卒業してからも鳩山氏の秘書を続け、政治の基礎をじっくりと学んでいきました。

こうした学生時代のエピソードを知ると、岩屋さんが政治家を目指したのは偶然ではなく、早い段階から行動し続けていた結果だったとわかります。

大学卒業後、鳩山邦夫秘書から政治家への転身

早稲田大学を卒業した岩屋毅さんは、鳩山邦夫衆議院議員の秘書として政治家への道を本格的に歩み始めます。

秘書時代に学んだ政治の実務

岩屋さんが鳩山邦夫氏の秘書として働いたのは1980年4月からのことです。

秘書として働く中で、国会の仕組み・選挙の戦い方・地元への対応・政策立案の現場を直接学んでいきました。

議員秘書の経験は、政治家になるための最も実践的な修業の場とも言えます。

単に法律や政治理論を学ぶ大学とは異なり、実際の政治現場で動き続けることで、岩屋さんは政治家としての土台を確実に固めていったわけです。

鳩山邦夫さんといえば、元文部大臣・元法務大臣を歴任した自民党の大物政治家です。

そのような実力者のもとで秘書として過ごした経験は、岩屋さんに政治の本質を早いうちから体感させてくれたはずです。

大分県議会議員から衆議院議員へのステップ

1987年4月、岩屋さんは地元大分で大分県議会議員選挙に立候補し、見事初当選を果たします。

このときまだ29歳でした。

秘書として政治を学んだ経験を活かし、地元大分での支持基盤をしっかりと築いていったのです。

県議会議員として地域に根ざした政治活動を積み重ね、1990年2月には第39回衆議院議員総選挙に挑戦。

32歳で衆議院議員に初当選し、国政の舞台に立つこととなりました。

なお、1993年と1996年の選挙では落選という厳しい経験もしています。

それでも諦めずに2000年の総選挙で見事返り咲き、以後は連続して当選を重ねることになりました。

鹿児島ラ・サール高校・早稲田大学という学歴と、秘書として積み上げた実務経験の組み合わせが、今日の岩屋毅さんという政治家を作り上げたと言えます。

あなたも感じるかもしれませんが、挫折を乗り越えて再起するというのは、どんな学歴よりも価値ある経験かもしれませんよね。

岩屋毅の学歴が示す英語力と政治キャリアの全容

  • 岩屋毅の英語力の実態|留学・海外経験なしの外務大臣
  • 歴代外務大臣との英語力比較から見えること
  • 衆議院11回当選の軌跡と主要ポスト
  • 座右の銘「敬天愛人」に見る人物像

岩屋毅の英語力の実態|留学・海外経験なしの外務大臣

 
 
 
 
 
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岩屋毅さんが2024年10月に外務大臣に就任してから、その英語力への注目が一気に高まりました。

留学経験はなし、本人も後悔を公言

岩屋さんの公式ホームページを確認すると、留学経験はないことが明記されています。

しかも単に「なかった」だけでなく、岩屋さん本人が「学生時代に留学しなかったことをすこぶる後悔している」と公式サイトで記載しています。

そして自分の娘には「たとえ短期でもいいから海外に暮らして世界を見てこい」と口を酸っぱくして勧めたと語っています。

自らの後悔を率直に認め、次世代に留学の重要性を伝えようとする姿勢は正直ですが、外務大臣としての英語力の問題が浮かび上がります。

また、プロフィールを見ても海外勤務の経歴は一切ありません。

鳩山邦夫氏の秘書→大分県議会議員→衆議院議員と、キャリアのすべてが国内に完結しています。

外務副大臣(2006年)や防衛大臣(2018年)を歴任していますが、業務で英語が必須という環境に置かれてきたわけではないのです。

スピーチ動画が示す英語力

岩屋さんの英語力がわかる動画として、FCCJでのインタビュー映像があります。

このなかで岩屋さんが英語でスピーチをした部分はわずか約10秒ほどに留まっています。

そのスピーチの中で岩屋さんは自ら「I’m not so good at speaking in English」(英語を話すのがあまり得意ではありません)と述べています。

また、防衛大臣を務めていた2019年に行われた防衛戦略に関するディスカッションでも、「質問を正しく理解するため、正しく答えられるように日本語で話させてください」と述べ、後半のディスカッションは通訳を介して日本語で対応しています。

本人が得意でないと認めているのだから、これは仕方がない部分もあります。

ただ、外務大臣という役職柄、英語力の問題は国際社会での日本のプレゼンスに影響しうるため、注目されることになりました。

鹿児島ラ・サール高校という英語教育に定評のある高校を卒業しているにもかかわらず、英語力が高くないとされることは少々意外に感じるかもしれません。

ただ、実際の英会話力は学校での教育だけでは身につきにくく、継続的な実務での使用や留学・海外生活が重要な要素になります。

高校時代の英語教育がいかに充実していても、その後に実践する機会がなければ語学力は伸び悩む、ということを岩屋さんのケースは示しているかもしれません。

歴代外務大臣との英語力比較から見えること

岩屋毅さんの英語力をより正確に評価するために、歴代外務大臣の英語に関する経歴を比較してみましょう。

上川陽子議員の英語力と経歴

岩屋さんの前任にあたる上川陽子元外務大臣の経歴は、英語力という観点で非常に充実しています。

東京大学教養学部(国際関係論)を卒業後、三菱総合研究所に入社。

その後米国ハーバード大学大学院で政治行政学修士を取得しており、さらに米国上院議員の政策立案スタッフとして大統領選挙運動にも参加した経験を持っています。

実際の英語スピーチ動画を見ると、非常に流暢かつ自然な英語を話しており、高い英語力が伝わってきます。

海外生活と実務での英語使用が、上川さんの語学力の土台になっていると言えます。

河野太郎議員の英語力と経歴

河野太郎元外務大臣も英語力の高さで知られています。

米国ジョージタウン大学を1985年に卒業しており、在学中には民主党上院議員の大統領選対にボランティアとして参加しています。

また、富士ゼロックス入社後にはアジアパシフィック設立と同時にシンガポールへ赴任し、英語が公用語の国際環境で実務をこなした経験があります。

河野さんのスピーチ動画でも、英語の流暢さと発音の良さが際立っています。

米国での大学生活とシンガポールでの海外勤務が、河野さんの高い英語力を育てた背景にあります。

岩屋毅さんとの比較から見えること

上川陽子さんはハーバード大学院修了・上院議員スタッフ経験があり、河野太郎さんはジョージタウン大学卒・シンガポール勤務経験があります。

一方の岩屋さんは、ラ・サール高校・早稲田大学という国内学歴のみで、留学経験も海外勤務経験もない状況です。

この比較からは、岩屋さんの英語力が歴代外務大臣と比べると高くない可能性があることが見えてきます。

ただし、外務大臣の仕事はすべてを英語で行うわけではなく、通訳を使いながら外交を推進することも選択肢のひとつです。

英語力が外務大臣の唯一の評価基準ではありませんが、特に現代の外交においてはコミュニケーション力が問われる場面も多く、継続的な課題として注目されているのは事実です。

衆議院11回当選の軌跡と主要ポスト

岩屋毅さんの衆議院議員としてのキャリアは非常に長く、防衛・安全保障分野のスペシャリストとして知られています。

下記の表は、岩屋毅さんの主要ポストの歴史をまとめたものです。

年月 役職・出来事
1987年4月 大分県議会議員・初当選
1990年2月 第39回衆議院議員総選挙・初当選(32歳)
2001年1月 防衛庁長官政務官(第2次森改造内閣)
2004年10月 自由民主党国防部会長
2006年9月 外務副大臣(第1次安倍内閣)
2008年9月 衆議院文部科学委員会委員長
2018年10月 防衛大臣(第4次安倍改造内閣)
2021年12月 永年在職議員として衆議院より表彰
2024年10月 外務大臣(石破内閣)就任

経歴を見ると、防衛庁長官政務官・国防部会長・安全保障調査会会長・防衛大臣と、防衛・安全保障分野に一貫して関わってきたことがわかります。

その蓄積があったからこそ、外務大臣という重職に就くことができたとも言えます。

2021年には永年在職議員として衆議院から表彰を受けており、その長年の議員活動が公式に認められています。

11回当選が示す地元大分との強いきずな

衆議院11回当選というのは政治家として非常に高い実績です。

特筆すべきは、1993年・1996年の2度の落選を経験しながらも諦めずに2000年に返り咲いたことです。

この浪人期間を乗り越えた粘り強さが、その後の長期にわたる安定した当選の土台になったと考えられます。

大分3区という地盤で長年にわたって有権者の支持を集め続けるためには、地元への貢献と政策立案の実績が不可欠です。

ラ・サール高校・早稲田大学という学歴が示す知性と、長年の政治活動で培った経験・人脈の組み合わせが、今日の岩屋毅さんを形成しています。

防衛・外交という国家の根幹に関わる分野を長年担ってきた岩屋さんの政治キャリアは、今後も注目を集め続けることでしょう。

座右の銘「敬天愛人」に見る人物像

岩屋毅さんの座右の銘は「敬天愛人(けいてんあいじん)」です。

「敬天愛人」の意味と西郷隆盛との関連

敬天愛人とは「天を敬い人を愛する」という意味の言葉です。

「敬天」は天地自然を司る道理を敬うこと、「愛人」は自身を含む全人類を愛すること。

常に徳を磨き、自然の摂理をおそれ敬いながら、人を愛する境地に到達することの大切さを説いています。

この言葉は西郷隆盛の座右の銘として広く知られています

岩屋さんは鹿児島ラ・サール高校の出身で、高校時代を鹿児島で過ごしました。

西郷隆盛が生まれた鹿児島で青春時代を送った岩屋さんが、西郷隆盛と同じ「敬天愛人」を座右の銘に選んでいるのは、何か象徴的なものを感じます。

寮生活を通じて規律と自律を学び、名門校の仲間たちと切磋琢磨した鹿児島での経験が、岩屋さんの人格形成に深く影響を与えたのかもしれません。

趣味が示す多面的な人柄

岩屋さんの趣味はサイクリング・ギター・書道の3つです。

サイクリングは体力と健康への意識の高さを示しています。

政治家という激務の中でも体を動かすことを怠らない姿勢が伝わってきます。

ギターは感性や芸術的な側面を示す趣味です。

硬派な防衛・安全保障のイメージが強い岩屋さんですが、音楽を通じて自分を表現する柔らかな一面も持っていることがわかります。

書道は精神の集中力と日本文化への敬意を示します。

座右の銘「敬天愛人」を書道で書く、そんな姿が想像されますよね。

サイクリング・ギター・書道という3つの趣味は、岩屋さんが体・感性・精神のバランスを大切にしていることを示しているとも言えます。

防衛大臣・外務大臣というハードなポストをこなしながら、こうした多彩な趣味を持ち続けているというのは、岩屋さんの人間的な幅の広さを感じさせます。

「天を敬い人を愛する」という座右の銘のもと、長年にわたって政治家として地元大分と日本を支えてきた岩屋毅さんの姿勢は、多くの政治家にとって参考になる部分もあるのではないでしょうか。

岩屋毅の学歴と政治キャリアの総まとめ

  • 岩屋毅さんは1957年8月24日、大分県別府市生まれの政治家
  • 出身小中学校は地元の別府市立青山小学校・青山中学校
  • 中学卒業後、鹿児島ラ・サール高等学校(外部入試偏差値77・全国2位)へ進学
  • ラ・サール高校はキリスト教ラ・サール会経営の中高一貫校で英語教育に定評がある
  • 高校1年生で生徒会選挙に立候補・当選しリーダーシップを発揮
  • 大学は早稲田大学政経学部政治学科(偏差値67.5〜70)へ進学し1981年に卒業
  • 在学中に鳩山邦夫氏の選挙スタッフとして働いたことが政治家への転機となった
  • 大学卒業後は鳩山邦夫衆議院議員秘書として政治の実務を学ぶ
  • 1987年に大分県議会議員として政治家キャリアをスタート(29歳)
  • 1990年に32歳で衆議院議員に初当選し、以来11回の当選を達成
  • 留学・海外勤務経験はなく、本人も「英語が得意でない」と公言している
  • 歴代外務大臣(上川陽子・河野太郎)と比べ英語力は高くない可能性が指摘される
  • 防衛大臣(2018年)・外務大臣(2024年)など安全保障の要職を歴任
  • 座右の銘は西郷隆盛と同じ「敬天愛人」(天を敬い人を愛する)
  • 趣味はサイクリング・ギター・書道で多彩な一面を持つ政治家

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