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永野芽郁さんは東京都西東京市出身で、クラーク記念国際高校の通信制課程を卒業した女優です。
小学3年生の時に吉祥寺のサンロードでスカウトされて芸能界入りし、「ニコ☆プチ」で表紙7回を飾るなど子役モデルとして活躍してきました。
中学校は西東京市立田無第三中学校に通い、陸上部に所属しながら女優業との両立に励んでいます。
高校では通信制を選び、NHK朝ドラ「半分、青い。」のヒロインに抜擢されるなど大ブレイクを果たしました。
この記事では、永野芽郁さんの学歴を小学校から高校まで時系列で整理し、大学に進学しなかった理由にも迫ります。
①:永野芽郁の出身小学校は田無小学校
②:出身中学は西東京市立田無第三中学校
③:高校はクラーク記念国際高校の通信制
④:大学には進学せず女優業に専念
目次
永野芽郁の学歴|小学校から高校までの全記録
- 【学歴一覧】永野芽郁のプロフィールと偏差値
- 田無小学校時代のスカウトと芸能界デビュー
- ニコプチ表紙7回|子役モデルの飛躍
- 田無第三中学校での部活動と音楽の才能
- 中学時代に芽生えた女優としての覚悟
【学歴一覧】永野芽郁のプロフィールと偏差値
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永野芽郁さんの学歴を小学校から大学まで一覧で整理します。
学歴一覧表
下記の表は永野芽郁さんの学歴を時系列でまとめたものです。
| 学校名 | 偏差値 | 入学年 | 卒業年 |
|---|---|---|---|
| 西東京市立田無小学校 | ―(公立) | 2006年4月 | 2012年3月 |
| 西東京市立田無第三中学校 | ―(公立) | 2012年4月 | 2015年3月 |
| クラーク記念国際高校(通信制) | ―(通信制) | 2015年4月 | 2018年3月 |
| 大学 | ― | 進学せず | |
永野芽郁さんは小学校・中学校ともに地元の西東京市にある公立校に通っています。
高校は芸能活動との両立のためにクラーク記念国際高校の通信制課程を選択しました。
公立校には偏差値がなく、クラーク記念国際高校も通信制のため偏差値は設定されていません。
基本プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | 永野芽郁(ながの めい) |
| 生年月日 | 1999年9月24日 |
| 2026年04月09日現在の年齢 | 26歳 |
| 出身地 | 東京都西東京市 |
| 身長 | 163cm |
| 血液型 | AB型 |
| 所属事務所 | スターダストプロモーション |
| 家族構成 | 母親・兄(3歳年上) |
永野芽郁さんは本名で活動しており、東京都西東京市の田無エリアで育ちました。
家族構成は両親と3歳年上の兄の4人家族でしたが、両親はその後離婚しており、母親に引き取られて母子家庭で育っています。
兄はイケメンとの情報があり、アメリカに留学していた時期もあるそうです。
また永野芽郁さんは4〜5歳の頃に家族で海外に長期滞在した経験があることから、実家は比較的裕福だったのではないかとも言われています。
学歴のポイント
永野芽郁さんの学歴で注目すべきは、小学校から中学校まで一貫して地元の公立校に通いながら芸能活動を続けたという点です。
高校進学のタイミングで初めて芸能活動に適した環境を選び、通信制のクラーク記念国際高校に入学しています。
大学には進学せず、高校卒業後は女優業に専念する道を選びました。
ここから、各学校時代のエピソードを詳しく見ていきますね。
田無小学校時代のスカウトと芸能界デビュー
永野芽郁さんの芸能人生は、小学校時代にスタートしています。
西東京市立田無小学校について
結論から言うと、永野芽郁さんの出身小学校は東京都西東京市立田無小学校です。
田無小学校は西東京市の田無エリアにある公立の小学校で、西武新宿線の田無駅からほど近い場所に位置しています。
西東京市は2001年に田無市と保谷市が合併して誕生した市で、都心からのアクセスも良く住宅地として人気のエリアですよ。
永野芽郁さんはこの田無小学校に2006年4月に入学し、2012年3月に卒業しています。
小学3年生でスカウトされた経緯
永野芽郁さんが芸能界に入ったきっかけは、小学3年生の時に吉祥寺のサンロード商店街でスカウトされたことでした。
当時はまだ「スカウト」という言葉の意味も分かっておらず、事務所がどんなところかも知らなかったそうです。
家に帰って母親に聞いたところ「テレビに出ている人たちがいる場所だよ」とざっくり説明され、「じゃあテレビに出られるんだ」という軽い気持ちで芸能界入りを決めたとインタビューで語っています。
子供らしい素直な反応がとても微笑ましいですよね。
活発な少女時代と多彩な趣味
幼少期から母親に似て活発な性格だった永野芽郁さんは、小学校時代に新体操に取り組んでいました。
新体操の経験から体が非常に柔らかく、このしなやかさは女優としての表現力にも活きているのかもしれません。
さらに小学校時代から絵を描くことが大好きで、現在も仕事の合間を縫って水彩画を描いているそうです。
音楽の才能も早くから開花しており、小学生の頃に琴を習い、小学5年生からはウクレレを習い始めるなど、多彩な趣味を持っていました。
勉強については「嫌いだった」と本人が語っていますが、実際に苦手だったかどうかは不明です。
ただ「頭がいい」との情報もあり、決して学力が低かったわけではなさそうですよ。
ニコプチ表紙7回|子役モデルの飛躍
永野芽郁さんはスカウトされた翌年から、本格的にモデル・女優としての活動を開始しています。
小学4年生でニコプチのレギュラーモデルに
結論から言うと、永野芽郁さんは小学4年生の時にファッション誌「ニコ☆プチ」のレギュラーモデルに抜擢されました。
「ニコ☆プチ」は小学生向けのファッション雑誌で、将来有望な子役やモデルの登竜門として知られています。
永野芽郁さんはこの雑誌で表紙を7回飾っており、これは歴代3位の記録です。
ちなみに1位は香音さんの12回で、当時の永野芽郁さんがいかに人気だったかが分かりますよね。
「ニコ☆プチ」時代は女優の飯豊まりえさんと並んで看板モデルのひとりでした。
小学5年生で映画デビュー
さらに小学5年生の時には映画「ハード・リベンジ、ミリー ブラッディバトル」で子役女優としてデビューを果たしています。
ただ当時の永野芽郁さんは芸能界にまったく興味がなかったそうです。
外で遊ぶのが大好きだったので、日焼けを気にしなければならないことや行動が制限されることが嫌だったと語っています。
それでも事務所のレッスンを重ねるうちに同世代の仲間ができ、一緒に頑張っていこうという気持ちが芽生えたとのことです。
葵わかなとの交友関係
子役時代から同じスターダストプロモーションに所属していた葵わかなさんとは、現在も交流が続く仲良しの関係です。
ふたりが仲良くなったきっかけは、小学生の頃にオーディションの帰りに一緒にラーメンを食べたことだったそうです。
それからよく話すようになり、いまでも連絡を取り合う間柄だといいます。
ちなみにこのふたりは後にともにNHK朝ドラのヒロインを務めており、葵わかなさんから永野芽郁さんへバトンタッチするという素敵な巡り合わせが実現しています。
子役時代の出会いが、後の大舞台でのリレーにつながるというのはドラマチックですよね。
田無第三中学校での部活動と音楽の才能
永野芽郁さんは中学校に入ってからも、学校生活と芸能活動を両立させています。
西東京市立田無第三中学校について
永野芽郁さんの出身中学校は東京都西東京市立田無第三中学校です。
田無第三中学校は小学校と同じく地元の公立校で、田無小学校の学区から進学する生徒が多い中学校です。
芸能活動が本格化していた時期ですが、永野芽郁さんは全日制の公立中学校を選んでいます。
中学時代の永野芽郁さんは「学校が大好きすぎて、仕事で遅刻や早退をしてもギリギリまで学校にいたい人だった」と語っており、学校生活をとても大切にしていたことが分かりますよ。
陸上部に3年間「仮入部」していた理由
中学時代は陸上部に在籍していましたが、実は3年間ずっと「仮入部」の状態だったそうです。
その理由は、モデルの仕事で日焼けが禁止されていたから。
「ニコ☆プチ」や「ニコラ」の専属モデルを務めていたため、屋外での激しい練習は避ける必要がありました。
ただ体を動かすことは大好きだった永野芽郁さんは、嫌なことがあった時には校庭を全力疾走してストレスを解消していたとのことです。
ちなみに永野芽郁さんは中学時代の得意教科について「体育」と答えており、「お勉強が得意ではなかったので、身体を動かすことに全力を注ぐタイプ」と自分を表現しています。
体育の中でも特にシャトルランが好きだったそうで、前日から走って本番に備えていたというエピソードは、なかなかユニークですよね。
中学時代に開花した音楽の才能
永野芽郁さんは中学2年生でギターを始めており、後にエレキギターも弾けるようになっています。
2016年に夏フェスの「未確認フェスティバル」の応援ガールを務めた際にはギターの腕前を披露し、将来的に作詞・作曲をしたいと語っていました。
好きなミュージシャンはレッド・ホット・チリペッパーズやスティービー・ワンダー、ウルフルズや安室奈美恵と幅広いジャンルを挙げています。
さらに当時からサックスも吹くことができ、後にはドラムもマスターするなど、永野芽郁さんの音楽的な器用さには驚かされます。
ドラムはストレス発散のために叩いているそうで、高校卒業後に公式インスタグラムで演奏動画を公開したこともありました。
10分休憩を全力で楽しんだ学校生活
永野芽郁さんは授業と授業の間の10分休憩が大好きだったそうです。
お手洗いや次の授業の準備を済ませ、残りの時間でどれだけ楽しく遊べるかを常に考えていたと語っています。
特にハマっていたのが「絵しりとり」で、本当は黒板でやりたかったものの次の授業のために使えず、ノートに書いて遊んでいたそうです。
うっかり授業中まで続いてしまうこともあったとか。
こうしたエピソードからは、永野芽郁さんが芸能活動で忙しいなかでも普通の中学生としての学校生活を満喫していたことが伝わってきます。
中学時代に芽生えた女優としての覚悟
永野芽郁さんにとって中学時代は、女優としての方向性を決定づけた重要な時期でした。
映画「繕い裁つ人」が転機になった理由
結論から言うと、中学2年生の時に出演した映画「繕い裁つ人」が女優としてのターニングポイントになっています。
この映画の撮影は地方ロケで、しかも当時の永野芽郁さんは体調不良を抱えていました。
それでも母親に電話して弱音を吐くことなく、最後まで撮影をやり遂げたそうです。
この経験を通じて「どんなに辛くても逃げ出さないということは、お芝居が本当に好きなんだ」と心から思えたと語っています。
「お芝居をやめてしまったら自分のなかにポッカリ穴があいてしまうかもしれない」という言葉には、当時の永野芽郁さんの強い決意が感じられますよね。
この映画以降、お芝居に対する熱量が一気に増したとのことです。
映画「俺物語」のオーディションに合格
中学3年生の時には映画「俺物語」のオーディションを勝ち抜いてヒロイン役を獲得しています。
この頃にはオーディションそのものが好きになってきたと語っており、緊張を嫌がる女優が多いなかで中学生ながら大物ぶりを発揮していました。
映画の公開は高校1年生の時でしたが、オーディションの段階で業界関係者から高く評価されていたことが分かります。
「ニコラ」専属モデルとしての活躍
中学2年生の2013年からは、ファッション誌「ニコラ」の専属モデルに就任しています。
「ニコラ」は中学生向けのファッション雑誌で、「ニコ☆プチ」からのステップアップとして自然な流れでした。
「ニコラ」時代は清原果耶さんや香音さん、鈴木美羽さんらと並んで看板モデルのひとりで、たびたび公式動画にも登場していました。
カナダ語学留学を志した向学心
あまり知られていませんが、永野芽郁さんは中学時代にカナダへの語学留学を希望していました。
仕事の都合で実現はしなかったものの、高い向学心を持っていたことが窺えます。
現在でもどこかのタイミングで休みをとってカナダにホームステイしたいと語っており、英語への関心や海外志向が強いことが分かります。
幼少期に家族で海外に長期滞在した経験が、こうした国際的な関心につながっているのかもしれませんね。
永野芽郁の学歴と芸能活動を両立した軌跡
- クラーク記念国際高校の通信制を選んだ理由
- 高校サッカー応援マネージャーに抜擢
- SEVENTEENモデルと女優業の急成長
- 朝ドラ「半分、青い。」ヒロイン獲得
- 大学に進学せず女優に専念した決断
クラーク記念国際高校の通信制を選んだ理由
永野芽郁さんは高校進学にあたり、全日制ではなく通信制の高校を選択しています。
クラーク記念国際高校の特徴
結論から言うと、永野芽郁さんが進学したのはクラーク記念国際高校の通信制課程です。
クラーク記念国際高校は1992年に開校した広域通信制の高校で、北海道深川市に本部を置いています。
全国各地の主要都市に50以上のキャンパスを展開しており、通学日数を柔軟に選べることが大きな特徴です。
普通科にあたる総合進学コースのほか、演技やダンス・歌を学べるパフォーマンスコース、英語に特化したインターナショナルコースなど多様なコースが用意されています。
芸能活動との両立を見据えた選択
永野芽郁さんがこの高校を選んだ最大の理由は、中学時代に既に多くの映画やドラマに出演しており、より幅広く芸能活動ができる環境が必要だったからです。
全日制の高校では毎日の通学が必須で、ロケや撮影のスケジュールと両立するのが難しくなります。
通信制であればスクーリング日数を調整できるため、仕事との両立がしやすいですよね。
永野芽郁さんは同校のパフォーマンスコースに在籍し、勉強とともに演技やダンスなどの専門的なスキルも学んでいました。
クラーク記念国際高校の有名な卒業生
クラーク記念国際高校は近年、芸能人の在籍が増えている高校としても知られています。
女優の北川景子さんやHKT48の指原莉乃さん、モデルの森泉さん、俳優の市原隼人さんなど、多くの芸能人がこの高校を卒業しています。
堀越高校や日出高校に次ぐ「芸能人御用達の高校」としてのポジションを確立しつつあると言えるでしょう。
なお永野芽郁さん自身は出身高校を公式に明かしていませんが、過去のインタビューで通信制高校に通学していたことを認めており、この高校への在籍情報が多数確認されていることから、クラーク記念国際高校出身で間違いないとされています。
高校サッカー応援マネージャーに抜擢
高校1年生の時、永野芽郁さんに大きなチャンスが訪れました。
第11代応援マネージャーに就任
結論から言うと、永野芽郁さんは高校1年生の時に全国高校サッカー選手権の第11代応援マネージャーに就任しています。
この応援マネージャーは若手女優の登竜門として知られるポジションで、広瀬すずさんの後任という形での抜擢でした。
全国高校サッカー選手権は冬の風物詩とも言える大会で、応援マネージャーを務めることは若手女優にとって大きな注目を集めるチャンスです。
永野芽郁さんは大会期間中、会場での取材やCM撮影、番組出演などを精力的にこなし、持ち前の明るい笑顔でサッカー少年たちにエールを送りました。
応援マネージャーの仕事は試合会場でのリポートだけでなく、大会のテーマソングのプロモーションや各チームへの取材など多岐にわたります。
高校1年生でこれだけの仕事量をこなした永野芽郁さんの度胸と行動力は、周囲の関係者からも高く評価されていたそうです。
歴代マネージャーの豪華な顔ぶれ
歴代の応援マネージャーには堀北真希さん、新垣結衣さん、広瀬アリスさん、川口春奈さんなど、のちにトップ女優となった方々が名を連ねています。
永野芽郁さんの後も大友花恋さん、清原果耶さん、森七菜さんと続いており、そうそうたるメンバーがずらりと並んでいます。
このようなビッグネームが務めてきたポジションに高校1年生で選ばれたことからも、当時の永野芽郁さんに対する業界の期待の高さが窺えますよね。
高校サッカーマネージャーがもたらした知名度
応援マネージャーに就任したことで、永野芽郁さんの知名度は一気に全国区へ広がりました。
テレビCMやスポーツ中継で繰り返し映ることで、それまで映画やファッション誌を中心に活動していた永野芽郁さんの名前が一般の視聴者にも広く認知されるようになっています。
この仕事がきっかけで様々なオファーが増え、高校時代の飛躍的な活躍につながっていったと言えるでしょう。
歴代マネージャーの多くがその後ブレイクを果たしていることからも、この役割が若手女優のキャリアにとっていかに大きな意味を持つかが分かります。
まさに若手女優にとってのターニングポイントのひとつだったと思います。
SEVENTEENモデルと女優業の急成長
高校時代の永野芽郁さんは、モデルとしても女優としても急速に成長を遂げた時期でした。
SEVENTEEN専属モデルへの起用
結論から言うと、高校1年生の時にファッション誌「SEVENTEEN」の専属モデルに起用されています。
「ニコ☆プチ」→「ニコラ」→「SEVENTEEN」と、年齢に合わせてステップアップしてきた形です。
同時期の「SEVENTEEN」の専属モデルには広瀬すずさんや中条あやみさん、飯豊まりえさん、藤井サチさんがおり、非常に豪華な世代でした。
永野芽郁さんはこの中でも人気モデルのひとりで、たびたび公式動画にも登場するなど雑誌の看板的な存在でした。
映画「俺物語!!」での飛躍
高校1年生の2015年には、中学3年生の時にオーディションで勝ち取った映画「俺物語!!」が公開され、女優として大きな注目を集めました。
この映画で共演した鈴木亮平さんからは大きな影響を受けたと語っています。
永野芽郁さんは当時のインタビューで「15歳のときに初めてヒロインに抜擢されて、鈴木亮平さんのプロ意識にこれまでの自分が中途半端だったことを突きつけられた」と振り返っています。
「10代だからって言い訳できないし、甘えも通用しない。芝居をするなら、みんな同じ土俵なんだ」という気づきは、永野芽郁さんの女優人生にとって決定的な転機になったはずです。
連続ドラマ初主演「こえ恋」
高校2年生の時には「こえ恋」で連続ドラマにはじめて主演として起用されています。
テレビドラマでの主演は映画とはまた違った緊張感がありますが、永野芽郁さんは見事にその重責を果たしました。
さらに同じ高校2年生の2016年からは、多部未華子さんと深田恭子さんとともにUQモバイルのCMにも起用されています。
人気女優ふたりと並んでCMに出演するということ自体が、当時の永野芽郁さんの勢いを物語っていますよね。
ドラマや映画、CM、モデルと、高校時代はまさにマルチに活躍した充実の日々だったことが分かります。
朝ドラ「半分、青い。」ヒロイン獲得
永野芽郁さんの高校時代を語るうえで欠かせないのが、NHK朝ドラのヒロイン抜擢です。
オーディションでの意外なエピソード
結論から言うと、永野芽郁さんは高校3年生の時にNHK連続テレビ小説「半分、青い。」のヒロインの座を射止めています。
NHK朝ドラのヒロインは若手女優にとって最大の登竜門であり、その座をオーディションで勝ち取ったのは見事としか言いようがありません。
ただ本人は「オーディションではいつも通り力を抜いて自由にやっていた」と語っており、周りには「落ちました。無理です」と言っていたそうです。
そのため合格が決まった時には「まさか、どういうこと?」とパニックになったとのことです。
母親への感動的な報告
ヒロイン発表会見の10分前に母親に連絡したところ、母親は泣きながら「おめでとう」と言ってくれたそうです。
永野芽郁さんは「親孝行できたと思いました」と語っており、母子家庭で育ててくれた母親への感謝の気持ちが伝わってきますよね。
小学3年生の時にスカウトで芸能界に入ってから約8年、高校3年生で朝ドラヒロインという最高の結果を出したわけですから、母親の感動もひとしおだったことでしょう。
学業と仕事の両立に奮闘した高校時代
朝ドラの放映自体は高校卒業後でしたが、オーディションや準備は高校在学中に行われています。
永野芽郁さんは高校時代を通じて、学業と仕事の両立にかなり奮闘していたようです。
通信制のクラーク記念国際高校だからこそ柔軟にスケジュール調整ができましたが、それでもレポートの提出やスクーリングへの出席は欠かせません。
「勉強はもともと好きではなかった」と語っていますが、きちんと高校を卒業しているあたりに真面目な性格が表れています。
なお朝ドラの前に同じ事務所の葵わかなさんが「わろてんか」のヒロインを務めており、そのバトンを受け取る形で「半分、青い。」のヒロインとなったのは何とも縁を感じさせるエピソードです。
大学に進学せず女優に専念した決断
永野芽郁さんは2018年3月にクラーク記念国際高校を卒業した後、大学には進学していません。
大学に進学しなかった背景
結論から言うと、永野芽郁さんが大学に進学しなかった理由は、高校卒業直後にNHK朝ドラ「半分、青い。」の放送が控えていたからです。
朝ドラは半年間にわたって毎日放送される長丁場のドラマであり、ヒロインとしてほぼ全てのシーンに出演する必要があります。
大学に通いながらこのスケジュールをこなすのは物理的に不可能に近く、女優業に専念する道を選んだのは自然な流れだったと言えるでしょう。
中学2年生の時に映画「繕い裁つ人」で女優としての覚悟を決め、高校時代に朝ドラヒロインという最高のチャンスを掴んだ永野芽郁さんにとって、進学よりも女優の道を歩むことは迷いのない選択だったはずです。
朝ドラ後の飛躍と主演作品
「半分、青い。」で一躍国民的女優となった永野芽郁さんは、その後も数々の映画やドラマで主演を務め、日本を代表する女優のひとりとして活躍しています。
2019年には映画「そして、バトンは渡された」で主演を務め、高い評価を受けました。
テレビドラマでも「3年A組」「ハコヅメ〜たたかう!交番女子〜」「ユニコーンに乗って」など話題作に次々と出演しています。
高校卒業から数年で女優としてのキャリアを確固たるものにしたことを考えると、大学に進学せず女優に専念したという判断は正しかったと言えるでしょう。
学歴にとらわれない生き方
永野芽郁さんの学歴は小学校から高校まで、すべて芸能活動との両立を意識した選択がなされています。
小中学校は地元の公立校で普通の学生生活を楽しみながら子役活動を続け、高校では通信制を選んで本格的に女優業へシフトしました。
大学に進学しなかったことを気にする声もあるかもしれませんが、中学時代にカナダ留学を希望するなど向学心は十分に持っていた方です。
琴、ウクレレ、ギター、サックス、ドラムと多くの楽器を独学でマスターしていることからも、学ぶことへの意欲は非常に高いことが分かります。
「大学に行かなかった」のではなく「女優という道を全力で選んだ」という表現の方が、永野芽郁さんの生き方にふさわしいのではないでしょうか。
永野芽郁の学歴と芸能活動の総まとめ
- 永野芽郁は1999年9月24日生まれ、東京都西東京市出身でスターダストプロモーション所属の女優である
- 出身小学校は西東京市立田無小学校で、小学3年生の時に吉祥寺のサンロードでスカウトされた
- 小学4年生で「ニコ☆プチ」のレギュラーモデルとなり、表紙7回は歴代3位の記録で飯豊まりえと並ぶ看板モデルだった
- 小学5年生で映画「ハード・リベンジ、ミリー ブラッディバトル」にて映画デビューを果たすも当時は芸能界に興味がなかった
- 出身中学校は西東京市立田無第三中学校で、陸上部に3年間「仮入部」という珍しい形で在籍していた
- 中学2年生で出演した映画「繕い裁つ人」の地方ロケで体調不良を乗り越えた経験が女優としてのターニングポイントとなった
- 中学2年生の2013年から「ニコラ」の専属モデルに就任し、清原果耶や香音と並ぶ看板モデルとして公式動画にも多数登場していた
- 中学時代にギター・サックスを習得し、後にドラムもマスターするなど5種類以上の楽器を扱える音楽の才能にも恵まれている
- 出身高校はクラーク記念国際高校の通信制課程で、演技やダンスを学ぶパフォーマンスコースに在籍していた
- 高校1年生で全国高校サッカー選手権の第11代応援マネージャーに就任し、広瀬すずの後任として全国区の知名度を得た
- 高校1年生で「SEVENTEEN」の専属モデルとなり、広瀬すずや中条あやみらと同世代の豪華な看板モデルとして活躍した
- 高校3年生でNHK朝ドラ「半分、青い。」のヒロインをオーディションで獲得した
- 大学には進学せず、高校卒業直後の朝ドラ放送に合わせて女優業に専念する道を選び、その後も主演作が続いている
- 両親は離婚しており、母親に育てられた母子家庭出身で、朝ドラ合格時に母親が泣いて喜んだエピソードが印象的である
- 子役時代の葵わかなとの友情は現在も続き、ともにNHK朝ドラヒロインを務め「わろてんか」から「半分、青い。」へバトンタッチした

