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立憲民主党の参議院議員として3期目を務める徳永エリさんは、北海道札幌市出身の政治家です。
テレビリポーターとして30年にわたり活躍した異色の経歴を持ち、藤女子高等学校から法政大学法学部法律学科(通信教育課程)に進学し中退という学歴が注目されています。
この記事では、徳永エリさんの学歴を小学校から大学まで時系列で整理し、各学校の偏差値や学生時代のエピソード、そして学歴がリポーターや政治家としてのキャリアにどう繋がったのかを詳しく解説します。
①:藤女子中高はカトリック系名門女子校出身
②:法政大学法学部は通信課程で中退
③:在学中からテレビリポーターで活躍
④:学歴が政治活動の土台になっている
目次
徳永エリの学歴は藤女子高校から法政大学中退まで
- 【一覧表】徳永エリの学歴と偏差値
- 札幌市立緑丘小学校での幼少期
- 藤女子中学校に進学した背景と校風
- 藤女子高等学校の偏差値と学校生活
- 法政大学法学部を選んだ理由
- 法政大学を中退した経緯と真相
【一覧表】徳永エリの学歴と偏差値
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まず徳永エリさんの学歴を一覧で整理してみます。
| 学校区分 | 学校名 | 入学年 | 卒業年 | 偏差値(当時目安) |
|---|---|---|---|---|
| 小学校 | 札幌市立緑丘小学校 | 1968年 | 1974年 | —(公立) |
| 中学校 | 藤女子中学校 | 1974年 | 1977年 | 約45〜50 |
| 高校 | 藤女子高等学校 | 1977年 | 1980年 | 約52〜56 |
| 大学 | 法政大学法学部法律学科(通信教育課程) | 1980年頃 | 1981年中退 | —(通信課程) |
続いて、徳永エリさんのプロフィールも確認しておきましょう。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | 徳永エリ |
| 生年月日 | 1962年1月1日 |
| 2026年04月06日現在の年齢 | 64歳 |
| 出身地 | 北海道札幌市 |
| 所属政党 | 立憲民主党 |
| 選挙区 | 北海道選挙区 |
| 当選回数 | 参議院議員3期 |
| 家族構成 | 母親・長男 |
| 座右の銘 | 座して進まず、歩けば道 |
学歴一覧から見える特徴
徳永エリさんの学歴で最も注目すべきは、中学受験を経てカトリック系の藤女子中学校に進学しているという点です。
1970年代の北海道において、私立中学を受験すること自体がまだ一般的ではなかった時代でしょう。 それにもかかわらず、あえて藤女子中学校を選んだことから、教育に対する意識の高さがうかがえます。
また、法政大学法学部法律学科は通信教育課程に在籍していたという情報も重要です。 通信教育課程は入学試験がなく書類選考のみで入学できるため、一般的な偏差値の概念が当てはまりません。 ただし卒業には通学課程と同等の単位取得が必要で、卒業率は非常に低いとされています。
偏差値の捉え方について
藤女子高等学校の偏差値は現在では概ね52〜56程度とされていますが、徳永エリさんが在籍していた1970年代後半とは入試制度や受験者層が異なります。 当時の北海道では私立女子校の選択肢が限られており、藤女子高等学校は札幌市内でも有数の伝統校として知られていました。
法政大学法学部法律学科の通学課程は偏差値57〜62程度のMARCHの一角ですが、通信教育課程には偏差値が存在しません。 ただし通信教育課程であっても法政大学の教授陣による指導を受けられる環境は、法律の基礎を学ぶには十分な内容だったと考えられます。
札幌市立緑丘小学校での幼少期
徳永エリさんが最初に通ったのは、札幌市立緑丘小学校です。
緑丘小学校はどんな学校か
札幌市立緑丘小学校は北海道札幌市中央区に位置する公立小学校です。 徳永エリさんは1968年に入学し、1974年に卒業しています。 当時から住宅街として発展していたエリアで幼少期を過ごしたことがわかります。
1960年代後半の札幌市は、1972年の札幌冬季オリンピック開催に向けて都市整備が急速に進んでいた時期です。 地下鉄の建設計画が動き出し、市内各地で道路拡張やインフラ整備が進められていました。 まさに街全体が活気に満ちた環境で、徳永エリさんは小学校時代を過ごしていたわけですね。
札幌で育った環境が与えた影響
徳永エリさんは現在も本籍地・現住所ともに札幌市としており、生粋の札幌っ子です。 公式プロフィールでは趣味に「山登りなどのアウトドア」を挙げていますが、北海道の自然豊かな環境で育ったことがこうした趣味の原点になっているのかもしれません。
また、家族構成として母親と長男の存在が公表されていますが、幼少期の詳しいエピソードは多く語られていません。 ただし公立小学校から私立の藤女子中学校に進学している点を踏まえると、教育熱心な家庭環境だったと推測されます。 札幌中央区という利便性の高い地域に住んでいたことも、教育環境への意識が高い家庭だったことをうかがわせます。
中学受験への布石
緑丘小学校を卒業した後、徳永エリさんはそのまま地元の公立中学校に進まず、私立の藤女子中学校を受験しています。 1970年代の北海道で私立中学を受験する小学生は非常に少数派でした。
当時の北海道の中学受験率は全国的に見ても低く、私立中学校の数自体が限られていました。 そのなかで藤女子中学校を選んだ背景には、カトリック系の教育方針に共感した家族の意向があったのではないでしょうか。 小学校時代から勉強に対する意識が高かったことは間違いなさそうです。 ここから始まる藤女子での6年間の学びが、徳永エリさんの人生を大きく方向づけることになります。
藤女子中学校に進学した背景と校風
結論から言うと、徳永エリさんが進学した藤女子中学校は北海道を代表するカトリック系の私立女子校です。
藤女子中学校の基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 学校名 | 藤女子中学校 |
| 所在地 | 北海道札幌市北区 |
| 設立 | 1925年(大正14年) |
| 種別 | 私立・女子校 |
| 宗教 | カトリック(殉教者聖ゲオルギオのフランシスコ修道会) |
| 偏差値(目安) | 約45〜50 |
藤女子中学校は1925年に創立された歴史ある女子校で、北海道内では最も伝統のあるカトリック系女子教育機関の一つとされています。 中高一貫教育を実施しており、中学から入学した生徒の多くはそのまま藤女子高等学校に進学します。
カトリック系教育の特色
藤女子中学校のカトリック教育では、キリスト教的な価値観に基づく人間教育が重視されていました。 「愛と奉仕の精神」を建学の精神に掲げ、他者への思いやりや社会貢献の意識を育む教育方針が特徴です。
徳永エリさんが後にテレビリポーターとして社会問題を取材し、さらに政治家として「女性と子どもを取り巻く課題」に取り組むようになった原点には、この中学時代に受けたカトリック教育の影響があると考えられます。 尊敬する人にガンジーを挙げている点も、中学時代に培われた奉仕精神と無関係ではないでしょう。 「とてつもない強い意志と信念があるから」というガンジーを尊敬する理由からも、中学時代に芽生えた正義感の強さが感じ取れます。
1970年代の中学受験事情
徳永エリさんが藤女子中学校に入学したのは1974年です。 当時の北海道の中学受験は現在と比べてかなりマイナーな選択肢でした。 札幌市内で私立中学を受験する家庭はごく少数で、多くの生徒は地元の公立中学校に進むのが一般的だった時代です。
それにもかかわらず藤女子中学校を選んだということは、ご家庭がカトリックに関わりがあったか、あるいは質の高い女子教育を求めていた可能性が高いですよね。 いずれにしても、この時期に私立中学を選択したことが、徳永エリさんの学歴の方向性を大きく決定づけたと言えます。
藤女子高等学校の偏差値と学校生活
藤女子中学校からの内部進学で、徳永エリさんは藤女子高等学校に1977年に入学しています。
藤女子高等学校の偏差値と特徴
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 学校名 | 藤女子高等学校 |
| 所在地 | 北海道札幌市北区 |
| 偏差値(目安) | 約52〜56 |
| 種別 | 私立・女子校・中高一貫 |
| 系列大学 | 藤女子大学 |
藤女子高等学校は北海道内の私立女子校としてはトップクラスの伝統を持つ学校です。 偏差値は現在の基準で概ね52〜56程度とされていますが、1970年代後半の当時は北海道の私立女子校自体が少なく、藤女子は名実ともに道内屈指の女子校として知られていました。
中高一貫の学習環境
徳永エリさんは藤女子中学校からの内部進学で高校に上がっています。 中高一貫校のメリットとして、高校受験に追われることなく6年間を通じた教育カリキュラムを受けられる点があります。
藤女子高等学校ではカトリック精神に基づいた全人教育が行われ、学業だけでなく品性や社会性を重視した指導が特徴的です。 こうした教育環境で6年間過ごしたことは、後のリポーター・政治家としてのコミュニケーション能力の基礎になったのではないでしょうか。 実際に徳永エリさんが30年もの間テレビの世界で活躍できた背景には、藤女子で身につけた教養と表現力があったはずです。
藤女子から法政大学への進路選択
藤女子高等学校の卒業生には系列の藤女子大学に進学する生徒も多くいます。 しかし徳永エリさんは系列大学には進まず、東京の法政大学法学部法律学科(通信教育課程)を選択しました。
この進路選択は、北海道から東京へ活動拠点を移すきっかけになった重要な決断です。 法学部を選んだ理由として、社会問題に対する関心がすでに高校時代からあった可能性が考えられます。 1980年の卒業後、すぐに法政大学の通信教育課程に入学し、新たな学びの場に身を投じています。 系列大学ではなくあえて東京の大学を選んだ行動力は、後の大胆なキャリアチェンジを予感させるものですよね。
法政大学法学部を選んだ理由
徳永エリさんが進学先に選んだのは、法政大学法学部法律学科の通信教育課程です。
法政大学の概要と法学部の位置づけ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 大学名 | 法政大学 |
| 所在地 | 東京都千代田区 |
| 設立 | 1880年(明治13年) |
| 大学群 | MARCH・東京六大学 |
| 法学部偏差値(通学課程) | 約57〜62 |
| 通信教育課程 | 書類選考のみ(偏差値なし) |
法政大学は1880年創立の歴史ある総合大学で、MARCHの一角として知られています。 特に法学部は法政大学の看板学部であり、「法律学校」として出発した大学の原点ともいえる学部です。
通信教育課程を選んだ背景
ここで注目すべきは、徳永エリさんが通学課程ではなく通信教育課程に在籍していたという点です。 法政大学の通信教育課程は1947年に開設された日本でも有数の歴史を持つ通信制大学教育で、入学に際しては書類選考のみで偏差値の概念がありません。
通信教育課程を選んだ理由として、いくつかの可能性が考えられます。 ①北海道から東京に出てすぐに働きながら学ぶ必要があった、②経済的な事情で通学課程の学費負担が難しかった、③自分のペースで法律を学びたいと考えた、といった背景が推測されます。
いずれにしても、法律を学びたいという強い意志があったからこそ、通信教育課程という選択をしたのでしょう。 この法学部での学びは、後に政治家として法律や政策に携わる際の基礎知識に繋がっています。
法政大学法学部で学べる内容
法政大学法学部法律学科では、憲法・民法・刑法といった基本六法を中心に幅広い法律分野を学ぶことができます。 通信教育課程であっても通学課程と同等のカリキュラムが組まれており、レポート提出やスクーリング(面接授業)を通じて単位を取得する仕組みです。
ただし通信教育課程の卒業率は一般的に10〜20%程度とも言われ、独学での学習を継続することの難しさがうかがえます。 徳永エリさんも在学中からテレビリポーターとしての仕事を始めたことで、学業との両立が困難になり、結果的に中退という選択に至っています。
法政大学を中退した経緯と真相
結論から言うと、徳永エリさんは在学中にテレビリポーターとしての活動を始めたことが中退の直接的な理由とされています。
中退の時期と状況
公式プロフィールによれば、徳永エリさんは1981年に法政大学を中退しています。 入学からわずか1年程度という短期間での中退であり、通信教育課程での学業を続けることよりも実務の世界に飛び込むことを選んだかたちです。
参議院の公式プロフィールには「在学中より在京キー局において事件リポーターとして活躍」と記載されており、大学に籍を置きながらすでにテレビ業界でキャリアをスタートさせていたことがわかります。 1981年には「オフィス・もんた」に所属し、本格的な芸能活動の体制も整えています。
リポーター活動と学業の両立が困難に
1981年、徳永エリさんは日本テレビの「ルックルックこんにちは」のリポーターとして本格的にテレビ業界で活動を始めています。 当時のテレビリポーターは事件現場に飛び回る激務であり、通信教育課程とはいえレポート提出やスクーリングへの出席を維持することは非常に困難だったはずです。
大学中退と聞くとネガティブな印象を持つ方もいるかもしれません。 しかし徳永エリさんの場合は、実践的なテレビリポーターの仕事を通じて社会問題を直接学ぶ道を選んだという見方が適切でしょう。
中退という選択が開いた道
この中退という決断がなければ、その後30年にわたるテレビリポーターとしてのキャリアも、参議院議員としての活動も実現しなかった可能性があります。 法学部で学んだ法律の基礎知識は短期間であっても蓄積され、後の取材活動や政治活動に活かされることになります。
実際にテレビリポーター時代には法律が絡む事件取材を数多く担当し、政治家になってからは農林水産業の振興や環境問題といった政策立案に携わっています。 大学を中退しても学びの姿勢を失わなかったことが、徳永エリさんのキャリア形成において大きな意味を持っているといえますね。
徳永エリの学歴がリポーターと政治に繋がる道
- 大学中退から在京キー局リポーターへ
- 事件取材で鍛えられた現場力
- 北海道に拠点を移した背景
- 飲食店経営と資格取得への挑戦
- 学歴が参議院議員の活動に活きる理由
大学中退から在京キー局リポーターへ
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徳永エリさんは法政大学中退後、すぐにテレビリポーターとしての本格的なキャリアをスタートさせています。
最初の仕事は日本テレビ
1981年、日本テレビ「ルックルックこんにちは」のリポーターに就任したのが、テレビ業界でのキャリアの始まりです。 この番組は当時の人気ワイドショーで、事件や話題のニュースをリポーターが現場から伝えるスタイルが特徴でした。
北海道から上京し、19歳の若さでカメラの前に立つ生活が始まったわけです。 同番組では1981年から1983年まで約2年間活動し、リポーターとしての基礎を固めています。 当時のワイドショーは視聴率競争が激しく、新人リポーターにも即戦力としてのスキルが求められる厳しい環境だったと考えられます。
複数のキー局で活躍した実績
日本テレビでの経験を積んだ後、徳永エリさんはさらに活動の幅を広げています。
| 期間 | 番組名 | 放送局 |
|---|---|---|
| 1981〜1983年 | ルックルックこんにちは | 日本テレビ |
| 1984〜1987年 | 森本ワイドモーニングEye | TBS |
| 1984〜1987年 | こんにちは2時 | テレビ朝日 |
日本テレビ・TBS・テレビ朝日という在京キー局3局で同時期に活動していた点は注目に値します。 フリーランスのリポーターとして複数局から声がかかる実力を、20代前半にして身につけていたことがわかりますよね。
大学中退が転じてプラスに
大学を中退したことで学業に費やす時間を全てリポーター活動に充てられるようになり、キャリア形成のスピードが加速しました。 もし大学を卒業してからテレビ業界に入っていたら、20代前半でこれほどの経験を積むことは難しかったでしょう。
法政大学の通信教育課程は「働きながら学ぶ」ことを前提にした課程ですが、徳永エリさんの場合は「学ぶより働く」ことを選んだ結果、テレビ業界での立ち位置を確立することができたわけです。 この時期に培った取材力と行動力は、後の政治活動においても大きな武器になっています。
事件取材で鍛えられた現場力
徳永エリさんがリポーター時代に担当した取材内容は、日本の報道史に残る大事件ばかりです。
担当した主な事件一覧
| 事件名 | 発生年 | 概要 |
|---|---|---|
| グリコ・森永事件 | 1984〜1985年 | 食品企業を標的にした脅迫・誘拐事件 |
| ロス疑惑 | 1981年〜 | ロサンゼルスでの保険金殺人疑惑事件 |
| 大韓航空機撃墜事件 | 1983年 | ソ連軍による民間機撃墜事件 |
| 日航機墜落事故(御巣鷹山) | 1985年 | 520名が犠牲になった航空史上最悪の事故 |
いずれも1980年代を代表する大事件であり、20代の若さでこれだけの重大事件を取材した経験は、並大抵のことではありません。
現場主義が培われた背景
これらの事件取材を通じて、徳永エリさんは「現場に足を運び、自分の目で確かめる」という姿勢を徹底的に叩き込まれたと考えられます。 グリコ・森永事件では日本中を震撼させた犯人からの脅迫状や毒入り菓子の問題を追い、日航機墜落事故では御巣鷹山の現場周辺で取材に当たっています。
事件リポーターという仕事は、危険な現場に駆けつけ、限られた時間で正確な情報を伝えなければなりません。 この経験が後に参議院議員として東日本大震災の復興支援活動に取り組む際の行動力に直結しているのは間違いないでしょう。 現場で培った判断力と実行力は、どんな教科書からも学べないスキルです。
法学部の知識が活きた取材活動
法政大学法学部は中退したものの、法律の基礎知識を学んでいたことは事件取材において大きなアドバンテージになったはずです。 刑事事件の法的な背景や裁判の仕組みを理解した上で取材できるリポーターは、当時から貴重な存在だったと推測されます。
特にロス疑惑のような複雑な法律問題が絡む事件では、法学部で学んだ知識が取材の質を高めることに役立ったでしょう。 「学歴」として形に残らなくても、学んだことは確実にキャリアの糧になっていたわけですね。 法学部中退という経歴は、むしろ実践と理論の両面から社会を見る力を養う結果になったと言えるでしょう。
北海道に拠点を移した背景
在京キー局で活躍していた徳永エリさんですが、1990年にハワイ・ホノルル市へ渡り、1994年には出身地の北海道に戻っています。
ハワイでの映像制作プロ経営
1990年から1994年まで、徳永エリさんはハワイのホノルル市で映像制作プロダクション「HULA MOON」を経営しています。 東京のテレビ局でリポーターとして活躍していた人物が、突然ハワイで映像制作会社を立ち上げるというのは、かなり大胆な決断ですよね。
テレビリポーターとして培った映像の知識と人脈を活かし、自分自身で映像コンテンツを制作するプロダクションを運営していたわけです。 この4年間の海外経験は、国際的な視野を広げる貴重な機会になったと考えられます。
UHBのりゆきのトークDE北海道
1994年に北海道に帰郷した徳永エリさんは、UHB(北海道文化放送)の人気番組「のりゆきのトークDE北海道」のリポーターに就任しています。 この番組では1994年から2009年まで約15年間にわたってリポーターを務め、北海道の視聴者に広く知られる存在となりました。
在京キー局での全国放送から地方局の地域密着番組へという転身は、一見するとキャリアダウンにも見えるかもしれません。 しかし結果的にこの選択が、北海道での知名度と信頼を築き、後の参議院選挙での当選に繋がる重要な布石となっています。
地元回帰が政治家への道を開いた
北海道に拠点を移してから15年以上にわたり、地域の課題や住民の声を直接聞く機会に恵まれたことは、政治家としての活動に大きな影響を与えています。 テレビリポーターとして現場を歩き回り、北海道各地の農業・漁業・観光などの産業や、そこで暮らす人々の生活に触れた経験は、参議院議員としての政策立案の基盤になっています。
藤女子高等学校を卒業した札幌の地に戻り、地元に根ざした活動を続けたことが、徳永エリさんのキャリアにおいて最も重要な転換点だったと言えるでしょう。
飲食店経営と資格取得への挑戦
テレビリポーターの仕事と並行して、徳永エリさんは1997年から飲食店「風音」の経営と有限会社イーズ(現・株式会社クオリア)の設立を行っています。
飲食店「風音」の経営
1997年に札幌で飲食店「風音」を開業した徳永エリさん。 テレビリポーターでありながら飲食業にも進出するという、マルチなキャリアの一面がうかがえます。 飲食店経営の経験は、後に農林水産業の振興を政策の柱に据える際の現場感覚に繋がっていると考えられます。
食材の仕入れから調理、接客までを経験することで、食の生産から消費までの流れを肌で理解できたことは、政治家としての強みになっているでしょう。 北海道の豊かな食材を活かした飲食店経営は、地元の農業や漁業との関わりを深めるきっかけにもなったはずです。
調理師をはじめとする多彩な資格
徳永エリさんが保有する資格は以下の通りです。
| 資格名 | 関連分野 |
|---|---|
| 調理師 | 飲食・食品 |
| カウンセラー | 心理・福祉 |
| ワインコーディネーター | 飲食・サービス |
法政大学を中退した後も学び続ける姿勢を崩さず、実務に直結する資格を複数取得しています。 調理師免許は飲食店経営に直結する実用的な資格であり、カウンセラーの資格は後に「女性と子どもを取り巻く課題」に取り組む活動の基盤になっていると推測されます。 ワインコーディネーターの資格からは、食文化への深い造詣がうかがえますね。
会社経営者としての一面
有限会社イーズ(現・株式会社クオリア)を1997年に設立し、経営者としての活動も始めています。 テレビリポーター・飲食店オーナー・会社経営者という三足のわらじを履いていた時期があるわけですね。
法政大学法学部で法律の基礎を学んだ経験は、会社設立や経営に関する法的な知識として役立っていたはずです。 大学は中退しても、法律を学んだことが実務の様々な場面で活きている好例と言えるでしょう。 こうした多方面での経験の蓄積が、後に政治家として幅広い政策分野に対応できる力の源泉になっています。
学歴が参議院議員の活動に活きる理由
2010年、徳永エリさんは参議院議員選挙(北海道選挙区)に初当選し、政治家としてのキャリアをスタートさせています。
初当選から3期目までの歩み
| 選挙回 | 年 | 結果 |
|---|---|---|
| 第22回参議院議員選挙 | 2010年 | 初当選 |
| 第24回参議院議員選挙 | 2016年 | 2期目当選 |
| 第26回参議院議員選挙 | 2022年 | 3期目当選 |
テレビリポーターとして30年、飲食店と会社の経営者として13年の経験を積んだ上での政界進出です。 48歳で初当選という年齢は政治家としては決して早くはありませんが、それまでの多彩な経験が有権者からの支持に繋がったと言えます。 UHBの番組を通じて15年間にわたり北海道各地の課題を報じてきた実績は、有権者にとって大きな信頼材料だったでしょう。
農林水産業への取り組みと学歴の関連
参議院議員としての徳永エリさんは、農林水産委員会を中心に活動しています。 飲食店経営で食の現場を知り、テレビリポーターとして北海道各地の農家や漁師を取材してきた経験が、この政策分野を選んだ大きな要因でしょう。
法政大学法学部で学んだ法律の知識は、法案審議や政策立案の場で基礎力として機能しています。 「多文化共生社会基本法」の立案に関わったり、環境委員長や東日本大震災復興特別委員長を務めたりと、法律の知識と現場経験の両方が求められるポジションで力を発揮しています。
学歴が意味するもの
徳永エリさんの学歴は、藤女子高等学校卒業・法政大学中退という形式上のものだけを見れば、決して華々しいとは言えないかもしれません。 しかし中学受験でカトリック系の名門女子校に入り、法学部で法律の基礎を学び、その後は実践の場で30年以上にわたって社会と向き合い続けてきたキャリアは、どんな学歴よりも説得力があります。
「座して進まず、歩けば道」という座右の銘の通り、学歴にとらわれず自ら道を切り拓いてきた姿勢こそが、徳永エリさんの真の学びの歴史と言えるのではないでしょうか。
徳永エリの学歴と経歴の総まとめポイント
- 徳永エリさんは1962年1月1日生まれの北海道札幌市出身
- 小学校は札幌市立緑丘小学校で公立校に通っていた
- 中学受験を経て藤女子中学校に進学しカトリック教育を受けた
- 藤女子高等学校は偏差値52〜56の道内有数の私立女子校である
- 法政大学法学部法律学科は通信教育課程に在籍し1981年に中退
- 在学中から日本テレビ「ルックルックこんにちは」でリポーターを開始
- TBS・テレビ朝日と在京キー局3局で同時期に活動した実績がある
- グリコ・森永事件や日航機墜落事故など日本の重大事件を取材
- ハワイで映像制作プロダクションを4年間経営した海外経験がある
- UHB「のりゆきのトークDE北海道」で15年間リポーターを務めた
- 調理師・カウンセラー・ワインコーディネーターの資格を持つ
- 1997年に飲食店「風音」と有限会社イーズを設立している
- 2010年に参議院議員に初当選し現在3期目を務めている
- 農林水産委員会を中心に農林水産業の振興や環境問題に取り組んでいる
- 座右の銘は「座して進まず、歩けば道」で学歴にとらわれない生き方を体現

