神津はづきの学歴まとめ|偏差値69の東洋英和女学院とNY大学留学

神津はづきの学歴まとめ|偏差値69の東洋英和女学院とNY大学留学

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神津はづきさんの学歴について気になっている方は多いのではないでしょうか。

神津はづきさんは作曲家の神津善行さんと女優の中村メイコさんを両親に持つ芸能一家の次女として知られています。

東洋英和女学院高等部を卒業後、ニューヨーク大学への留学を経験しており、その学歴は華やかなキャリアの土台となりました。

この記事では、神津はづきさんの学歴や出身校の詳細、芸能一家での教育環境、そして学歴を活かした現在の活動までを幅広く整理していきます。

記事のポイント

①:東洋英和女学院高等部出身で偏差値69の名門校

②:卒業後にニューヨーク大学へ留学した経歴

③:55歳で刺繍作家に転身した背景と理由

④:母中村メイコへの想いを綴った著書が話題

神津はづきの学歴と名門校での学生時代

  • 東洋英和女学院高等部の偏差値と特徴
  • 芸能一家に生まれた生い立ちと教育環境
  • 父親・神津善行と母親・中村メイコの教育方針
  • 姉・神津カンナと弟・善之介の学歴
  • 学生時代に育まれた感性と人格形成
  • 女優デビューの経緯|父の一言がきっかけ

東洋英和女学院高等部の偏差値と特徴

神津はづきさんの学歴を語るうえで最初に押さえておきたいのが、出身校である東洋英和女学院高等部の情報です。

偏差値は69と都内でもトップクラスの名門女子校で、東京都港区六本木に位置する中高一貫のキリスト教プロテスタント系の私立校として知られています。

1884年設立の歴史ある女子校

東洋英和女学院は1884年にカナダ・メソジスト教会の宣教師マーサ・カートメルによって設立されました。

キリスト教にもとづく人格教育を理念に掲げ、知識の詰め込みだけでなく、広い教養と自分の考えを持つ力を育てるリベラルアーツ教育に力を入れています。

英語教育や国際交流にも積極的で、海外研修や留学制度が充実していることでも有名ですよ。

少人数制の授業を取り入れているため、生徒一人ひとりに目が行き届く環境が整っているのも特徴です。

英語や数学では習熟度別のクラス編成を行い、生徒の理解度に合わせたきめ細やかな指導が実施されています。

また、医学部への進学者が多いことでも知られており、学問への意識の高さがうかがえますよね。

著名な卒業生が多い名門校

東洋英和女学院高等部の卒業生には、作家でエッセイストの阿川佐和子さんや、俳優の大和田美帆さん、元参議院議員の安井美沙子さんなど、各界で活躍する女性が21名以上います。

テレビ朝日アナウンサーの武内絵美さんや大木優紀さんも同校の出身です。

こうした顔ぶれを見ると、東洋英和女学院がいかに文化的・知的な素養を重視した教育を行っているかが分かりますよね。

ちなみに、神津はづきさんと阿川佐和子さんは後に刺繍教室を通じて交流を持つことになります。

同じ学校の卒業生同士が異なる分野で活躍しながらも繋がりを持っているのは、東洋英和女学院のコミュニティの強さを物語っているといえるでしょう。

神津はづきさんがこの学校を選んだ背景には、芸能一家としての教育への意識の高さがあったと考えられます。

項目 内容
学校名 東洋英和女学院高等部
所在地 東京都港区六本木
設立 1884年
偏差値 69
種別 私立・女子校・中高一貫
宗教 キリスト教プロテスタント
特徴 リベラルアーツ教育・英語教育・留学制度
主な卒業生 阿川佐和子・大和田美帆・武内絵美ほか

芸能一家に生まれた生い立ちと教育環境

 
 
 
 
 
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神津はづきさんは、日本を代表する芸能一家「神津ファミリー」の次女として生まれました。

1962年8月31日、東京都で誕生しています。

項目 内容
名前 神津はづき(こうづ はづき)
生年月日 1962年8月31日
2026年04月05日現在の年齢 63歳
出身地 東京都
出身校 東洋英和女学院高等部
留学先 ニューヨーク大学
職業 女優・刺繍作家
杉本哲太(俳優)
子供 3人

「神津ファミリー」という特別な環境

父親は作曲家の神津善行さん、母親は2歳で映画デビューし生涯現役を貫いた女優の中村メイコさんです。

姉は作家・エッセイストの神津カンナさん、弟は画家の神津善之介さんという、まさに芸術一家の中で育ちました。

さらに夫は俳優の杉本哲太さんで、義理の息子まで芸能界という徹底ぶりです。

家庭には常に音楽や演劇、文学の話題があふれ、幼い頃から芸術的な感性が自然と磨かれる環境だったといえます。

母親の中村メイコさんは「家でも女優だった」と神津はづきさん自身が語っており、幼稚園のバザーでも芝居がかった振る舞いをする母親の姿を間近で見て育ったそうですよ。

「ごめんなさいね〜!ゴミ拾わせてね〜!」と焼き芋屋のオジサンみたいな声色でゴミ拾いをする母親に、幼い神津はづきさんは困惑していたそうです。

4歳のときに父親の神津善行さんに「ママを普通のママにして」と訴えたところ、「はーちゃんのママは変なんだよ。だから、諦めなさい」と諭されたエピソードは有名です。

この「人は変えられない」という気づきが、神津はづきさんの人格形成の原点になったと本人も振り返っています。

文句を言っても何も生まれないから、面白いことにした方が楽しいと思うようになったのだとか。

こうした特殊な家庭環境が、東洋英和女学院という名門校を選択した背景にもつながっていると考えられます。

父親・神津善行と母親・中村メイコの教育方針

神津はづきさんの学歴を語るうえで、両親の教育方針は欠かせないテーマです。

父親の神津善行さんは麻布中学校から国立音楽高等学校を経て、国立音楽大学器楽科を卒業した音楽家です。

項目 父親・神津善行 母親・中村メイコ
職業 作曲家 女優
出身校 麻布中→国立音楽高校→国立音楽大学 正規の学校教育をほぼ受けていない
教育方針 芸術と教養を重視 自分らしく生きる姿を見せる

対照的な両親の教育スタイル

父親の神津善行さんは、名門の麻布中学校出身であり、教養や学問を大切にする方でした。

麻布中学校は偏差値60を超えるエリート校で、自由で自主性を重んじる校風が特徴です。

そこから国立音楽高校、国立音楽大学と音楽の道を歩んだ父親は、娘たちにも学問と芸術の両立を望んでいたと推測されます。

一方で、母親の中村メイコさんは2歳で映画デビューし、小学校もほとんど通っていなかったという異色の経歴の持ち主です。

「人生は喜劇的でありたい」が口癖だった中村メイコさんは、子供たちに対して何かを教え込むというよりも、自分の生き方そのものを背中で見せるタイプだったようです。

中村メイコさんの父親は戦前にユーモア小説で知られた作家の中村正常さんで、戦争で筆を折ると自分で娘に勉強を教えたという経歴があります。

神津はづきさんは、母親の前では泣いたことがなかったと語っています。

「母はそういう係の人じゃない」と幼い頃から感じていたそうで、問題を相談しても「あらぁ、あたしも昨日こんなことがあったのよ」と自分の話に変わってしまうのが常だったとか。

こうした環境が、神津はづきさんの自立心や観察力を自然と育てたのかもしれませんね。

父親が娘たちに名門校への進学を勧めたのは、芸能の世界だけでなく幅広い教養を身につけてほしいという思いがあったと考えられます。

学問を重んじる父と、生き方で教える母という対照的な組み合わせが、神津はづきさんの多面的な才能を育んだのでしょう。

姉・神津カンナと弟・善之介の学歴

神津家の3人の子供たちは、それぞれ異なる道に進んでいます。

姉の神津カンナさんは作家・エッセイストとして活躍しており、ラジオ日本で「神津カンナのあんな話こんな話」というトーク番組のパーソナリティも務めています。

続柄 名前 職業 備考
長女 神津カンナ 作家・エッセイスト ラジオパーソナリティとしても活動
次女 神津はづき 女優・刺繍作家 東洋英和女学院高等部→NY大学留学
長男 神津善之介 画家 芸術家として活動

3人それぞれが芸術の道へ

姉の神津カンナさんは文筆業の道を選び、エッセイや小説を通じて社会に発信する力を身につけました。

ラジオ番組では毎月さまざまなゲストを招いてトークを展開しており、小澤征悦さんや松本梨香さんなど豪華な顔ぶれが出演しています。

弟の善之介さんは画家の道を選び、芸術家として活動を続けています。

作曲家の父親と女優の母親を持つ家庭で育った3人が、全員が芸術に関わる職業に就いているのは偶然ではないでしょう。

神津はづきさん自身は「本当は歌を歌いたかった」と明かしていますが、父親の神津善行さんから「あなたが暖簾を継ぎなさい」と指名され、母親と同じ役者の道に進むことになりました。

芸能一家でありながら、押しつけではなく個々の適性を見極めた進路選択が行われていた点は注目に値しますよね。

神津ファミリーの子供たちがそれぞれの分野で活躍していることは、両親の教育方針が功を奏した結果だといえるでしょう。

ちなみに神津はづきさんの夫である杉本哲太さんも俳優で、1992年に結婚しています。

芸術一家に嫁いだというよりも、芸術一家が俳優を迎え入れた形で、家族全員が何らかの表現活動に携わっているのは圧巻です。

母親の中村メイコさんの父、つまり神津はづきさんの祖父は戦前のユーモア小説家・中村正常さんで、3世代にわたって表現の世界に身を置く一族なのです。

こうした家系を見ると、神津家にとって芸術は職業というよりも、家族のDNAに刻まれたものだと感じます。

学生時代に育まれた感性と人格形成

神津はづきさんが東洋英和女学院高等部で過ごした学生時代は、その後のキャリアに大きな影響を与えました。

キリスト教にもとづく道徳教育と、多様な価値観に触れるリベラルアーツ教育が、神津はづきさんの感性を形作ったといえます。

名門校での多面的な学び

東洋英和女学院では、学業だけでなくボランティア活動や国際交流の機会が多く提供されています。

異なる文化や価値観に直接触れる経験が、神津はづきさんの柔軟な思考とオープンな姿勢を育んだと考えられます。

自宅では芸能界のスターたちが出入りする特殊な環境でしたが、学校では一般の同級生と同じ目線で学び合う日々を送っていたはずです。

母親の中村メイコさんのたった1人の大親友だった美空ひばりさんをはじめ、郷ひろみさん、秋吉久美子さん、黒柳徹子さんなど、昭和を代表するスターたちが家に出入りする環境で育ったことは想像を絶するものがあります。

この「特殊な家庭」と「普通の学校生活」という二面性が、神津はづきさんの幅広い視野を生んだのかもしれません。

東洋英和女学院のキリスト教教育で学んだ倫理観や道徳観は、芸能一家の華やかさとは異なる価値観を提供してくれたことでしょう。

家庭で培われた観察力と表現力

母親の中村メイコさんの影響で、神津はづきさんは幼い頃から人間観察の力を身につけていました。

母親が常に芝居がかった言動をする中で、「誰かが言ったことを話すときは、その人の物真似で喋るようになった」と本人が語っています。

口数の少ない子供だった神津はづきさんが、内面では豊かな感性を蓄えていたことが分かるエピソードですよね。

友達のお母さんに何か言われたことを母親に話すと、中村メイコさんは「似てない。ちょっと違うのよ」と同じセリフを真似してみせたそうです。

「え?そこ?」と言いたくなるような反応ですが、こうしたやり取りの繰り返しが、神津はづきさんの表現力を磨いていきました。

この観察力と表現力が、後の女優業や刺繍作家としての活動の基盤になっているのは間違いないでしょう。

女優デビューの経緯|父の一言がきっかけ

神津はづきさんが女優の道に進んだきっかけは、父親の神津善行さんの一言でした。

「あなたが(母の)暖簾を継ぎなさい」という父の言葉が、女優としてのキャリアを決定づけたのです。

東洋英和からニューヨーク大学へ

東洋英和女学院高等部を卒業した神津はづきさんは、その後ニューヨーク大学への留学を経験しています。

名門女子校での教養教育に加え、アメリカでの留学経験が国際的な視野をさらに広げたと考えられます。

ニューヨーク大学はマンハッタンに位置する名門私立大学で、芸術学部や映画学科が世界的に有名です。

演劇や映画の分野では全米トップクラスの評価を受けており、マーティン・スコセッシ監督やアンジェリーナ・ジョリーなど多くの著名人を輩出しています。

ニューヨークという世界の文化の中心地で学んだ経験は、表現者としての神津はづきさんにとって大きな財産になったことでしょう。

東洋英和女学院で培った英語力と国際感覚が、留学生活をスムーズにした可能性も高いです。

1983年のデビューまでの道のり

本当は歌手になりたかったという神津はづきさんですが、父親に指名されたことで女優業を選択しました。

1983年に花王名人劇場「わが家はカタログ」で女優デビューを果たします。

母親の中村メイコさんは2歳でデビューしていたのに対し、神津はづきさんは21歳でのデビューでした。

早くから芸能界に入るのではなく、しっかりと学業を修めてからデビューしたあたりに、神津家の教育方針が表れています。

東洋英和女学院での教養とニューヨーク大学での経験を経て、神津はづきさんは知性と感性を兼ね備えた女優として歩み出したのです。

ここ、注目ポイントですよね。芸能一家の子供でありながら、きちんと学歴を積み上げてからデビューするというのは、神津家ならではの方針だったのでしょう。

母親が2歳でデビューした家庭なのに、娘には21歳まで待たせたという事実が、父親・神津善行さんの教育観をよく表しています。

神津はづきの学歴を土台にした現在の活動

  • 1983年のドラマデビューと女優業
  • 【転機】55歳で刺繍作家に転身した理由
  • 刺繍教室の評判|阿川佐和子も通う人気
  • 家着ブランドR-60の設立と展開
  • 著書『ママはいつもつけまつげ』と母への想い

1983年のドラマデビューと女優業

神津はづきさんは1983年、花王名人劇場「わが家はカタログ」で女優としてデビューしました。

若手演技派として注目を集め、テレビドラマや映画、舞台と幅広い分野で活躍しています。

母親譲りの演技力と多方面の才能

母親の中村メイコさんは2歳で映画デビューし、生涯現役を貫いた大女優でした。

そんな母親の背中を見て育った神津はづきさんは、自然と演技の基礎を身につけていたといえます。

テレビドラマだけでなく、映画、舞台、エッセイ、ラジオのDJなど多方面で才能を発揮してきました。

東洋英和女学院で培った教養とニューヨーク大学での留学経験が、役柄の幅を広げることに貢献したのは間違いないでしょう。

特に、英語力を活かした国際的な場面での活動や、知性を感じさせるトーク力は学歴に裏打ちされたものです。

ただ、神津はづきさんの人生は女優業だけにとどまりませんでした。

杉本哲太との結婚と主婦時代

1992年には俳優の杉本哲太さんと結婚し、3人の子供に恵まれています。

杉本哲太さんは「あまちゃん」「龍馬伝」などNHKドラマでおなじみの実力派俳優です。

夫と子供たちを支える主婦としての20数年間を過ごしたことが、後の人生に大きな転機をもたらすことになります。

「特にあせりもなく暮らしてきた」という言葉からは、芸能一家に育ちながらも穏やかな家庭生活を送っていた様子がうかがえますよね。

この主婦時代の経験が、後に刺繍作家やブランド設立者として花開くことになるのです。

東洋英和女学院で学んだ教養と、ニューヨーク大学での留学経験、そして女優としてのキャリア。

これらすべてが、主婦時代を経て50代で開花する新たな才能の土壌を作っていたのかもしれません。

人生において「遠回り」に見える時間が、実は最も大切な準備期間だったという好例ですよね。

神津はづきさんの女優時代は、華やかな活躍というよりも、後の人生につながる経験を積む時期だったといえるでしょう。

【転機】55歳で刺繍作家に転身した理由

神津はづきさんの人生で最も大きな転機となったのが、55歳での刺繍作家への転身です。

2017年、55歳の夏に刺繍教室を開いたことが、全く新しいキャリアの始まりとなりました。

萬田久子さんへのプレゼントがきっかけ

そのきっかけは、女優の萬田久子さんの誕生日にプレゼントしたテーブルナプキンの刺繍でした。

萬田久子さん本人の特徴を可愛くおしゃれに縫い取ったもので、それを見た知人たちから「素敵、私にもやり方を教えて」という声が相次いだそうです。

「じゃ1回だけ」と開いた刺繍教室が大好評で、「楽しい、もっと続けて」という声に押されて、月2回のレギュラークラスを持つようになりました。

若い頃から針仕事が好きだったとはいえ、学校で習ったことがない完全な自己流だったというのも驚きですよね。

「人様に針仕事を教えることになるなんて、私も家族もびっくり」と本人も語っています。

「下手なほうが可愛い」という哲学

神津はづきさんの刺繍に対する考え方はとてもユニークです。

「刺繍に決まりはないし、下手なほうが可愛いって思っていて。失敗したと思っても、そのまま続ければ何とかなったりします」と語っています。

「好きなら、間違えてもそのまま新しいものにしていけばいい」という姿勢は、まさに母親の中村メイコさんから受け継いだ「人生は喜劇的でありたい」という精神に通じるものがあります。

主婦として20数年を過ごした後、50代半ばで新しいプロジェクトが一気に広がっていったのです。

「昔と比べて、人生は長くなりました。50代だって捨てたものじゃない。前向きにスイッチを入れ直したら、新しいドアが見つかるかもしれない」という言葉は、同世代の女性たちに大きな勇気を与えています。

不思議なことに、趣味として楽しんでいた刺繍が本業になるとは、本人も家族も予想していなかったそうです。

人生何が起こるか分からないとよく言いますが、神津はづきさんのケースはまさにその典型例かもしれませんね。

刺繍教室の評判|阿川佐和子も通う人気

神津はづきさんの刺繍教室は、著名人にも人気の高い教室として知られています。

東洋英和女学院の先輩にあたる作家の阿川佐和子さんも教室に通い、きもの姿のブローチ作りに挑戦したことが話題になりました。

東京ミッドタウンでの少人数制教室

教室は東京ミッドタウン六本木の「ukafe」で不定期に開催されています。

少人数制で、生徒一人ひとりに丁寧に指導するスタイルが好評です。

阿川佐和子さんとのエピソードでは、ストッキングをベースに綿で立体感を出し、刺繍で髪や顔を作る「ミニ佐和子ブローチ」を一緒に制作しました。

ストッキングで人形の顔を作り、刺繍糸で植毛していくという独創的な手法で、約1時間の作業で完成させたそうです。

母親のきものの端裂を使って人形にきものを着せ、帯揚げや帯締めまでコーディネートするという凝りようです。

「裏なんか見えないからいい加減でいいの」「卵焼きと一緒ですよ。人間だって隅から隅まで力が入りすぎると美しく見えないでしょ」という指導は、神津はづきさんらしい大らかさですよね。

パリのギャラリーでも販売

神津はづきさんが手がけた刺繍ブローチは、パリのギャラリーでも販売されるようになりました。

趣味として始めた刺繍が、国際的に評価されるまでに至ったのは驚きです。

キュートでユーモア感覚たっぷりの作品は、見る人の心を掴む魅力があります。

東洋英和女学院で培ったセンスとニューヨーク大学での国際的な視野が、独自の作風につながっているのかもしれません。

教室の情報は「ukafe」のFacebookで告知されるので、気になる方はチェックしてみてください。

同じ東洋英和女学院の卒業生である阿川佐和子さんとの交流が、刺繍を通じて実現したのは運命的ですよね。

名門校のネットワークが、数十年の時を超えてこうした形でつながることもあるのだと実感させられます。

刺繍を通じた人のつながりが、神津はづきさんの活動をさらに広げているのですね。

家着ブランドR-60の設立と展開

刺繍教室と同時期に、神津はづきさんは大人の女性のための家着ブランドも立ち上げました。

2018年に設立した「Petit Tailor R-60」は、60代からの女性のためのホームウエアブランドです。

萬田久子さんのリクエストから誕生

このブランドも、きっかけは萬田久子さんからのリクエストでした。

「おしゃれだけれど、カジュアルにリラックスして着ていられる服がほしい」という要望に応える形で、ブランドが誕生したのです。

刺繍教室もブランド立ち上げも、人からの声に背中を押されて始まったという点が共通しています。

主婦としての20数年間で培った生活者としての視点が、ブランドのコンセプトに活かされているのでしょう。

50代からの新しいチャレンジ

神津はづきさんは自身のブランドの公式サイト(r-60.com)を運営し、情報発信も積極的に行っています。

「特にあせりもなく暮らしてきた」という神津はづきさんが、50代半ばで一気に新しいプロジェクトを展開していった姿は、多くの同世代の女性に勇気を与えています。

刺繍教室、ブランド、そして後に出版する著書と、55歳を境に人生が大きく動き出したのです。

ここ、気になるポイントですよね。年齢に関係なく新しいことにチャレンジできるという好例だと思います。

東洋英和女学院で学んだ「自分の考えを持つ力」や「多様な価値観を受け入れる姿勢」が、50代での挑戦を後押ししたのかもしれませんね。

学歴は若い頃のものだけではなく、人生のどの段階でも土台として機能し続けるということを、神津はづきさんの生き方が証明しています。

ブランド名の「R-60」は「60代からのリスタート」を意味しており、まさに神津はづきさん自身の人生観が込められたネーミングです。

刺繍教室とブランド運営を並行して行いながら、後に著書の執筆にも取り組むなど、50代以降のエネルギーは目を見張るものがありますよね。

著書『ママはいつもつけまつげ』と母への想い

神津はづきさんは2025年に著書『ママはいつもつけまつげ 母・中村メイコとドタバタ喜劇』(小学館)を出版しました。

2023年12月31日に89歳で亡くなった母親・中村メイコさんとの思い出をユーモアたっぷりに綴ったエッセイ集です。

10年以上書きためた母との記憶

実はこの本の内容は、10年以上も前から少しずつ書きためていたものだそうです。

「母と仲が悪かったことは1回もないけれど、恨みつらみは結構たまっていて。面白い笑える記憶に書き換えようとしてきた」と神津はづきさんは語っています。

その一部は『女性セブン』に連載されていたこともありましたが、母親が亡くなったことで改めてすべてを書き直したそうです。

「書きながら、気がつくと何度も泣いていました。60年もずっとがまんしてたんだな、かわいそうにって」と振り返っています。

母親の前で泣いたことがないという神津はづきさんが、文章を通じて初めて感情を解放した作品ともいえます。

本には美空ひばりさん、郷ひろみさん、秋吉久美子さん、萩原健一さん、森公美子さん、森繁久彌さん、伊東四朗さん、黒柳徹子さんなど、昭和の大スターたちとのエピソードも盛り込まれています。

「死んでも母親には仕事がある」

本を書く中で神津はづきさんが気づいたのは、「悲しいときは悲しいと言っていい」ということでした。

母親の中村メイコさんが「人生は喜劇的でありたい」と掲げていた姿勢を、60年間守り続けてきた神津はづきさん。

「4コマ目でオチがつけばいい、喜劇的ならいい、って信じて60年生きてきましたけど、悲しいときは悲しいと言っていいんだ」と語る言葉には深い実感がこもっています。

「死んでも母親には仕事がある。母と娘ってこういうことなんだと思います」という一文は、多くの読者の心に響いたことでしょう。

母親が亡くなってからは、台所で洗い物をしていると母と話している自分に気づくそうです。

父親の神津善行さんは食器棚の一角を母のコーナーにして毎日話しかけているそうですが、「よくよく聞いたら、あたしたちの悪口言ってんの!」というオチも神津家らしいですよね。

作家の林真理子さんも「母もすごいが娘たちも負けてはいない。はづきさんの観察力と文章力に驚嘆した」と絶賛しています。

神津はづきの学歴と経歴の総括まとめ

  • 神津はづきは1962年8月31日生まれ、東京都出身の女優・刺繍作家
  • 出身校は東洋英和女学院高等部で、偏差値69の名門女子校
  • 東洋英和女学院は1884年設立のキリスト教プロテスタント系私立校
  • 高等部卒業後にニューヨーク大学へ留学を経験
  • 父親は作曲家の神津善行(麻布中→国立音大卒)、母親は女優の中村メイコ
  • 姉は作家の神津カンナ、弟は画家の神津善之介
  • 1983年に花王名人劇場「わが家はカタログ」で女優デビュー
  • 1992年に俳優の杉本哲太と結婚し3児の母に
  • 2017年、55歳で刺繍作家に転身した
  • 萬田久子さんへのプレゼントがきっかけで刺繍教室を開始
  • 阿川佐和子さんも通う人気の少人数制教室を主宰
  • 刺繍ブローチはパリのギャラリーでも販売されている
  • 2018年に家着ブランド「Petit Tailor R-60」を設立
  • 著書『ママはいつもつけまつげ』で母・中村メイコとの思い出を綴る
  • 東洋英和女学院での教育が多方面での活躍の土台となっている