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坪井智也さんは、2021年世界ボクシング選手権バンタム級で日本人史上初の金メダルを獲得したプロボクサーです。
静岡県浜松市出身で、小学生時代には極真空手で全国3位に輝くなど、幼少期から類まれな格闘技センスを発揮していました。
静岡県立浜松工業高校を経て日本大学に進学し、大学時代には全日本選手権4連覇という偉業を成し遂げています。
現在は帝拳ジムに所属するプロボクサーとして、世界王座獲得を視野に入れた戦いを続けています。
この記事では、坪井智也さんの学歴を小学校から大学時代まで時系列で振り返り、ボクシング世界王者へと駆け上がった道のりを詳しく紹介します。
①:極真空手で全国3位からボクシングへ転向
②:出身高校は静岡県立浜松工業高校
③:日本大学で全日本選手権4連覇を達成
④:世界選手権金メダル後に帝拳ジムでプロ転向
目次
坪井智也の学歴|小学校から浜松工業高校時代
- 【一覧表】坪井智也の学歴と基本プロフィール
- 小学校時代|極真空手で全国3位の格闘センス
- 出身中学とボクシングへの転向
- 浜松工業高校ボクシング部での3年間
- 高校時代のライバル|田中恒成と井上拓真
【一覧表】坪井智也の学歴と基本プロフィール
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結論から言うと、坪井智也さんの学歴は浜松市内の小学校・中学校を経て、静岡県立浜松工業高等学校から日本大学へと進学しています。
まずは坪井智也さんの基本プロフィールと学歴を表で整理してみます。
坪井智也の基本プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | 坪井智也(つぼい・ともや) |
| 生年月日 | 1996年3月25日 |
| 2026年04月06日現在の年齢 | 30歳 |
| 出身地 | 静岡県浜松市 |
| 身長 | 161cm |
| 階級 | バンタム級 |
| 所属 | 帝拳ジム |
| 最終学歴 | 日本大学卒業 |
坪井智也の学歴一覧
| 学校種別 | 学校名 | 偏差値 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 小学校 | 浜松市内の小学校(校名非公表) | — | 極真空手で全国3位 |
| 中学校 | 浜松市内の中学校(校名非公表) | — | ボクシングに本格転向 |
| 高校 | 静岡県立浜松工業高等学校 | 50〜58 | インターハイ3位×2回 |
| 大学 | 日本大学 | 42〜66(学部による) | 全日本選手権4連覇 |
学歴から見える成長の軌跡
坪井智也さんは小学1年生で空手を始め、小学6年生でボクシングに転向するという早い時期から格闘技の道を歩み始めました。
浜松工業高校ではインターハイ3位を2回記録し、日本大学では全日本選手権4連覇を達成するなど、進学するたびに実績を積み上げています。
大学卒業後は自衛隊体育学校を経て、世界選手権金メダルという歴史的快挙を成し遂げました。
静岡県の公立工業高校から日本大学へという進路選択も、ボクシングの競技環境を重視した結果と考えられます。
ここ、気になりますよね。
各学校時代のエピソードは、この後のセクションで順に紹介していきます。
小学校時代|極真空手で全国3位の格闘センス
坪井智也さんの格闘技人生は、小学1年生のときに始まりました。
最初に取り組んだのはボクシングではなく空手だったんです。
小学1年生で始めた格闘技の原点
坪井智也さんは小学1年生で空手を習い始めています。
浜松市で育った坪井智也さんが空手を始めたきっかけについて詳細は語られていませんが、幼少期から体を動かすことが好きだったことは間違いないでしょう。
小学校の校名は公表されていませんが、浜松市内の小学校に通っていたことは確かです。
坪井智也さんが取り組んだのは極真空手で、小学2年生から5年生までの約4年間にわたって本格的に稽古を積んでいました。
極真空手で全国3位という実力
驚くべきことに、坪井智也さんは極真空手の全国大会で3位に入賞しています。
極真空手は「直接打撃制」と呼ばれるフルコンタクトの空手流派で、実戦的な格闘技として知られています。
その全国大会で小学生ながら3位に入るというのは、並大抵の実力ではありません。
この時期に培われた打撃の基礎技術や間合いの取り方は、後にボクシングへ転向した際にも大きなアドバンテージになったと考えられます。
実際、坪井智也さん自身もプロ転向後のインタビューで、格闘技を始めた時期の早さが強みの一つだと語っています。
小学6年生でのボクシング転向
坪井智也さんは小学6年生のタイミングでボクシングに転向しました。
空手で全国3位まで上り詰めた実力がありながら、あえて別の格闘技に挑戦するという決断をしたわけです。
ボクシングは拳のみで戦う競技であり、空手とはルールも技術体系も大きく異なります。
それでも坪井智也さんは空手で鍛えたスピードと反射神経を武器に、ボクシングでもすぐに頭角を現していくことになります。
小学校時代から格闘技の基盤をしっかりと築いていたことが、後の快進撃につながったのは間違いないでしょう。
出身中学とボクシングへの転向
坪井智也さんの出身中学校について、具体的な校名は公表されていません。
浜松市内の中学校に通っていたことは確実ですが、情報が限られているのが現状です。
浜松市内の中学校に進学
坪井智也さんは浜松市東区(現・浜松市中央区)の出身とされており、地元の公立中学校に通っていたと考えられます。
中学校の校名が公表されていない理由は定かではありませんが、ボクシングは個人競技であるため、学校の部活動というよりもジムでの練習が中心だった可能性が高いです。
浜松市は静岡県西部の主要都市であり、スポーツ施設やジムも充実しています。
坪井智也さんも中学時代から地元のボクシングジムに通い、本格的なトレーニングを積んでいたのではないでしょうか。
中学時代のボクシング経験
小学6年生でボクシングに転向した坪井智也さんにとって、中学時代はボクシングの基礎技術を徹底的に叩き込む重要な期間だったはずです。
ボクシングはフットワーク、ジャブ、ストレート、フックといった基本技術の習得に時間がかかる競技です。
極真空手で培った打撃力やスタミナは大きなアドバンテージでしたが、拳だけで戦うボクシング独自の技術を身につける必要がありました。
坪井智也さんの場合、スピードと反射神経には自信があったものの、中学時代はまだ全国トップレベルの選手たちに追いつけていなかったとみられます。
それでも日々の練習を怠らず、地道にスキルを磨き続けていたことが、後の飛躍につながりました。
高校進学への道筋
中学卒業後の進路として、坪井智也さんが選んだのはボクシング部の名門として知られる静岡県立浜松工業高等学校でした。
浜松工業高校は地元の公立校であり、通学の利便性も高かったと考えられます。
ボクシングで上を目指すという明確な意志を持った上での進学だったことは間違いないでしょう。
中学時代に積んだ基礎練習の成果は、高校入学後すぐに発揮されることになります。
浜松工業高校ボクシング部での3年間
坪井智也さんの学歴において、大きなターニングポイントとなったのが静岡県立浜松工業高等学校への進学です。
ここでボクシングの実力を大きく伸ばし、全国大会で結果を残すようになりました。
浜松工業高校の概要とボクシング部
静岡県立浜松工業高等学校は浜松市にある公立の工業高校で、偏差値は学科によって50〜58程度とされています。
機械科、電気科、建築科、土木科など複数の工業系学科を擁する伝統校です。
全校生徒は約1100人の大規模校であり、部活動も盛んに行われています。
中でもボクシング部は静岡県内でトップクラスの実力を持ち、豊田浩一監督の指導のもと多くの優秀なボクサーを輩出してきました。
坪井智也さんがこの高校を選んだのも、ボクシング部の環境と指導体制に魅力を感じたからだと考えられます。
インターハイ3位を2度記録
浜松工業高校に入学した坪井智也さんは、すぐにボクシング部の主力選手として活躍を見せます。
全国高等学校総合体育大会(インターハイ)で3位に2回入賞、さらに国民体育大会(国体)では2位という成績を残しました。
全国大会でベスト4に入ること自体が非常にハイレベルな実力の証明です。
ただし坪井智也さん自身は「目標の日本一に届かなかった」と、高校時代を振り返って悔しさを語っています。
この「あと一歩」の悔しさが、大学進学後の飛躍的な成長の原動力になりました。
恩師・豊田浩一監督の指導
浜松工業高校ボクシング部の豊田浩一監督は、坪井智也さんにとって最初の恩師と言える存在です。
2021年の世界選手権で金メダルを獲得した際には、母校に凱旋して豊田監督にチャンピオンベルトを見せています。
「喜んでくれた。ベルトを見せられてうれしかった」と坪井智也さんは笑顔で語っていました。
豊田監督との出会いがなければ、世界王者への道は開けていなかったかもしれません。
高校時代に感じた日本一への壁
坪井智也さんは高校時代、全国大会で上位に食い込む実力がありながらも、優勝には手が届きませんでした。
同世代には田中恒成さんや井上拓真さんといった強豪選手がひしめいており、トップ戦線に食い込むのは容易ではなかったのです。
この経験が「もっと強くなりたい」という向上心に火をつけ、大学でのさらなる飛躍へとつながっていきます。
高校時代のライバル|田中恒成と井上拓真
坪井智也さんの高校時代を語る上で欠かせないのが、同世代のライバルたちの存在です。
彼らとの競争が、坪井智也さんのボクシング人生に大きな影響を与えました。
田中恒成との5度の対戦と全敗
坪井智也さんにとって最大のライバルだったのが、中京高校の田中恒成さんです。
田中恒成さんは後にプロボクシングで世界王者に輝く実力者で、高校時代からその才能は際立っていました。
坪井智也さんと田中恒成さんは同じ東海ブロックに所属しており、地区大会で頻繁に顔を合わせる関係でした。
坪井智也さん自身が語ったところによると、田中恒成さんとは合計5回対戦して全て負けているとのことです。
「でも負ければ負けるほど次は勝ってやろうと思っていた。勝てばまた違う世界が見えてくる」と坪井智也さんは振り返っています。
この負けず嫌いの精神が、後の成長を支える原動力になったのは間違いありません。
井上拓真と岩田翔吉の存在
田中恒成さん以外にも、坪井智也さんの高校時代には手強いライバルがいました。
綾瀬西高校の井上拓真さんは、後にプロで世界王者に輝くことになる逸材です。
井上拓真さんは井上尚弥さんの弟としても知られ、高校時代からすでに完成度の高いボクシングを見せていました。
さらに日出高校の岩田翔吉さんは、インターハイで田中恒成さんと井上拓真さんの両方を破るという快挙を成し遂げた選手です。
坪井智也さんはこの3人が争うトップ戦線には及べなかったと語っていますが、彼らと同じ時代に戦った経験は確実に実力を底上げしました。
ライバルたちとの競争が生んだ成長
坪井智也さんは高校時代、全国のトップに立つことはできませんでした。
しかし田中恒成さん、井上拓真さん、岩田翔吉さんといった後のプロ世界王者クラスの選手たちと高校時代から切磋琢磨してきた経験は、計り知れない財産になっています。
強い相手と戦い続けることで、自分に何が足りないのかを痛感し、そのギャップを埋めるための努力を重ねてきました。
「取り組む姿勢はあの頃のまま」と坪井智也さんが語っている通り、高校時代に身につけた向上心と粘り強さは、大学以降の飛躍的な成長につながっています。
ライバルたちの存在があったからこそ、坪井智也さんは世界の頂点に立てたと言っても過言ではないでしょう。
坪井智也の学歴|日本大学から世界王者への軌跡
- 日本大学ボクシング部での全日本4連覇
- 梅下新介監督との師弟関係と人間的成長
- 自衛隊体育学校での飛躍と世界選手権金メダル
- プロ転向|帝拳ジムでのA級デビュー
- 学歴が育んだ坪井智也の強さの本質
日本大学ボクシング部での全日本4連覇
浜松工業高校を卒業した坪井智也さんが進学先に選んだのは、日本大学でした。
日大のボクシング部は大学ボクシング界でも屈指の名門であり、ここで坪井智也さんは飛躍的な成長を遂げています。
日本大学を選んだ理由
日本大学はボクシング部が全国的に強豪として知られる総合大学です。
日本大学の偏差値は学部によって42〜66程度と幅広く、坪井智也さんが在籍した学部については公表されていません。
ただし、ボクシングで日本一を目指すという明確な目標があった坪井智也さんにとって、充実した練習環境と優秀な指導者がいる日大は最適な進学先だったはずです。
梅下新介監督率いるボクシング部は大学王座決定戦で何度も優勝を果たしており、高いレベルの練習が日常的に行われていました。
高校時代には届かなかった「日本一」の夢を叶えるために、坪井智也さんは日大の門を叩いたのです。
関東リーグ1年目からの全勝街道
日本大学に入学した坪井智也さんは、1年目から関東大学ボクシングリーグ戦で全勝を記録しています。
ライトフライ級はチームの第1試合を任される重要なポジションであり、勝敗がその後の流れを大きく左右します。
この大役を1年生で任され、しかも全勝で完遂したことで、坪井智也さんは確かな手応えを掴みました。
「ようやく夢と現実の差が生まれ始めた」と坪井智也さんが語っている通り、大学で初めて全国トップレベルの実力を実感できたのです。
関東リーグでの4年間全勝は歴史上わずか4人しか達成していない大記録であり、坪井智也さんはこの偉業に迫る活躍を見せました。
全日本選手権4連覇の偉業
日本大学在学中の坪井智也さんが成し遂げた最大の成果が、全日本選手権ライトフライ級での4連覇です。
全日本選手権はアマチュアボクシングの最高峰の大会であり、1度優勝するだけでも大変な難しさがあります。
それを4年連続で制覇したということは、大学時代の坪井智也さんが国内で圧倒的な強さを誇っていたことの証明です。
高校時代には田中恒成さんや井上拓真さんに及ばなかった坪井智也さんが、大学で一気に日本のトップに駆け上がったわけです。
この急成長の裏には、日大ボクシング部での質の高い練習と梅下監督の指導がありました。
国体優勝2回と主将のリーダーシップ
全日本選手権4連覇に加えて、坪井智也さんは国民体育大会でも2回優勝を果たしています。
さらに2017年には日大ボクシング部の主将として全日本大学ボクシング王座決定戦に出場し、近畿大学の廣本彩人選手に5-0で勝利してチームの大会4連覇に貢献しました。
個人の実績だけでなく、チームを率いるリーダーシップも備えていたことがわかります。
また、日大4年秋の2017年愛媛国体では、同級生の木村蓮太朗さんと共に静岡県勢初の2階級制覇を飾るという快挙も達成しています。
梅下新介監督との師弟関係と人間的成長
坪井智也さんの大学4年間を語る上で、梅下新介監督の存在は欠かせません。
技術面だけでなく、人間としての成長に大きな影響を与えた恩師です。
梅下新介監督の人物像
梅下新介監督は日本大学ボクシング部を率いて数々の実績を残してきた名将です。
全日本大学ボクシング王座決定戦での連覇をはじめ、多くの優秀なボクサーを育て上げてきました。
坪井智也さんが主将として出場した2017年の王座決定戦でも、セコンドとして試合を見守っていた姿が確認されています。
選手一人ひとりに寄り添い、技術だけでなく人格形成にも力を注ぐ指導スタイルが特徴的です。
「負けるな」という言葉に救われた瞬間
坪井智也さんのボクシング人生には、何度も「やめよう」と思った瞬間がありました。
特に東京五輪の代表を逃したときは、引退を真剣に考えたと本人が語っています。
そのとき梅下監督が「負けるな」という言葉をかけてくれたことが、競技を続ける大きなきっかけになりました。
「何も成せずにやめるのはダサい」と自分を奮い立たせた坪井智也さんですが、その根底には梅下監督の存在があったのです。
2021年の世界選手権で金メダルを獲得した直後には、時差をものともせず電話で梅下監督に報告しています。
「日本人史上初の世界選手権優勝を日大OBの自分が成し遂げたことで、監督に恩返しができた」と語る坪井智也さんの言葉からは、深い師弟の絆が伝わってきます。
人間としての基盤を培った4年間
坪井智也さんは日本大学での4年間について「本当に忘れられない楽しい思い出ばかり」と振り返っています。
「人としてどう生きていかなければならないのかという、心の基盤を培わせていただいた」という言葉は、日大での経験がいかに大きかったかを物語っています。
梅下監督や仲間たちとの日々が、ボクサーとしてだけでなく人間としての坪井智也さんを形作ったのです。
坪井智也さんが好きな言葉として挙げている「感謝」というキーワードも、日大時代の人間関係から生まれたものでしょう。
「本当に人の縁に恵まれている」と語る坪井智也さんの姿勢は、大学時代に培われた人間力そのものです。
自衛隊体育学校での飛躍と世界選手権金メダル
日本大学を卒業した坪井智也さんは、自衛隊体育学校でボクシングを続ける道を選びました。
ここから世界選手権金メダルという歴史的偉業につながっていきます。
自衛隊体育学校に進んだ経緯
坪井智也さんは2018年に自衛官となり、自衛隊体育学校に所属しています。
自衛隊体育学校はオリンピックや世界大会を目指すアスリートが競技に専念できる環境が整っており、多くのトップ選手が在籍しています。
大学卒業後もアマチュアボクシングを続けるためには、こうした組織のサポートが不可欠です。
坪井智也さんにとって、自衛隊体育学校は五輪金メダルという夢を追いかける最適な場所でした。
東京五輪出場を逃した挫折
坪井智也さんにとって最大の挫折は、リオ五輪に続いて東京五輪の出場も逃したことでした。
大学在学中のリオ五輪では途中で代表選考から外れ、東京五輪では全日本選手権フライ級決勝で田中亮明さんにポイント2-3の僅差で敗れています。
「自分としては負けたとは思っていない」と語りつつも、結果的に2大会連続で五輪を逃す形となりました。
「これは縁がないのかな」と思い、競技をやめようかと本気で悩んだ時期もあったそうです。
しかし「何も成せずにやめるのはダサい」という思いと、梅下監督の「負けるな」という言葉に支えられ、練習への取り組み方をすべて見直す決意をしました。
世界選手権での歴史的快挙
すべてを見つめ直した坪井智也さんが挑んだのが、2021年セルビア・ベオグラードで開催されたAIBA男子世界選手権大会です。
通常より1つ上のバンタム級(54kg)にエントリーし、全5試合を勝ち抜いて日本人男子アマチュアボクシング史上初となる金メダルを獲得しました。
それまでの日本勢最高成績は2011年ミドル級での村田諒太さんの準優勝だったため、まさに歴史的快挙です。
2回戦ではリオ五輪金メダリストのゾイロフ選手(カザフスタン)を撃破し、準決勝・決勝も勝ち切りました。
「勝ちにこだわらず、楽しんで戦えた」と語る坪井智也さんですが、その裏には東京五輪を逃した悔しさから生まれた徹底的な準備がありました。
岡澤セオンとの同時金メダル
この世界選手権では、ウエルター級の岡澤セオンさんも金メダルを獲得しており、日本勢が2階級で同時に世界一に輝くという快挙を達成しています。
坪井智也さんと岡澤セオンさんは同い年であり、大会中もお互いの対戦相手を分析し合うなど協力関係を築いていました。
「同世代で日本人初のメダルを2個も獲れたというのは素晴らしいこと」と坪井智也さんは語っています。
仲間との切磋琢磨が最高の結果につながった、まさに理想的な形でした。
プロ転向|帝拳ジムでのA級デビュー
世界選手権金メダルという偉業を成し遂げた坪井智也さんは、その後プロボクシングの世界に足を踏み入れます。
ここでもアマチュア時代の経験が存分に活かされています。
パリ五輪断念からプロ転向への決意
世界選手権金メダルの後、坪井智也さんの次なる目標は2024年パリ五輪での金メダルでした。
しかしパリ五輪への出場は叶わず、2024年にアマチュアボクシングの一線から退くことになります。
このまま競技人生を終えてもおかしくない状況でしたが、転機が訪れました。
WBA世界バンタム級王者の堤聖也さんにスパーリングパートナーを頼まれたことがきっかけで、トレーニングを再開したのです。
堤聖也さんは坪井智也さんと同じ1995年度生まれの「黄金世代」であり、長年の戦友でもありました。
再びリングに立つ感覚を取り戻した坪井智也さんは、プロ転向を決意します。
日本史上初のA級デビュー
坪井智也さんのプロデビューは2025年3月13日でした。
驚くべきは、A級プロテスト合格後にいきなりA級8回戦でデビューしたという点です。
通常のプロボクサーは4回戦から始めて6回戦、8回戦と段階を踏んでいきますが、坪井智也さんはアマチュア時代の圧倒的な実績が評価され、最初からA級での試合が認められました。
これは日本ボクシング史上初の快挙です。
デビュー戦の相手はWBOアジアパシフィック2位のブーンルエン・ファヨンさん(タイ)で、坪井智也さんは2回2分34秒TKO勝ちという圧巻の内容で勝利を収めています。
プロ2戦目でのタイトル獲得
2025年6月8日、有明コロシアムで行われたプロ2戦目では、WBOアジアパシフィック・バンタム級王座決定戦に臨みました。
WBOアジアパシフィック1位のバン・タオ・トランさん(ベトナム)に3-0の判定勝利を収め、見事タイトルを獲得しています。
プロ2戦目での地域タイトル奪取は、日本ボクシング界でも異例のスピードです。
帝拳ジムに所属する坪井智也さんは、手数とスピード、そしてアマチュア時代に培ったディフェンス技術でプロの舞台でも圧倒的な存在感を見せています。
妻の支えと今後の展望
坪井智也さんのプロ転向を支えたのは、奥さんの存在も大きいです。
アマチュア引退時に「プロに行こう」と話した際、「あんたのやれるとこまで頑張りなさい」と背中を押してくれたそうです。
「いつも寛大な心で包んでくれている、本当に優しい嫁に感謝しています」と坪井智也さんは語っています。
今後の目標として、坪井智也さんはスーパーフライ級での世界王座獲得を掲げています。
アマチュアで世界一を経験し、プロでもすでにタイトルを手にしている坪井智也さんの挑戦から、目が離せません。
学歴が育んだ坪井智也の強さの本質
ここまで坪井智也さんの学歴を振り返ってきましたが、各学校での経験が今の強さにどう結びついているのかを整理します。
浜松工業高校で培われた基礎と精神力
浜松工業高校の3年間は、坪井智也さんのボクサーとしての基盤を作った時期です。
豊田浩一監督の指導のもとで基礎技術を徹底的に磨き、インターハイ3位を2回記録する実力を身につけました。
田中恒成さんや井上拓真さんといった同世代のトップ選手に全く歯が立たなかった経験は、「もっと上を目指す」という強い意志を育てています。
工業高校という環境で学んだ実直さや粘り強さも、競技生活を支える重要な要素になったのではないでしょうか。
日本大学で磨かれた技術と戦略性
日本大学での4年間は、坪井智也さんが全国トップレベルのボクサーへと飛躍した決定的な期間です。
梅下新介監督の指導のもとで技術を磨き上げ、全日本選手権4連覇という圧倒的な結果を残しました。
世界選手権で見せた「パンチの多様性」や「相手を分析して戦略を立てる力」は、大学時代に養われたものです。
また、主将としてチームをまとめた経験が、精神的な強さやリーダーシップにもつながっています。
諦めない姿勢が生んだ世界王者
坪井智也さんの学歴を通して一貫しているのは、「諦めずにやり続ける」という姿勢です。
高校ではインターハイで3位止まり、大学卒業後はリオ・東京と2度の五輪出場を逃しました。
それでも「結果を残すまでは絶対にやめない」という強い信念を貫き、世界選手権金メダルという歴史的偉業を成し遂げました。
「才能のない僕が世界一になれたのは、一つのことをやり続けたから」という母校・浜松工業高校での言葉が、すべてを物語っています。
浜松市内の小学校から始まり、浜松工業高校、日本大学と歩んできた学歴の各段階で、着実に実力と人間力を積み上げてきた坪井智也さんの歩みは、まさに努力の結晶と言えるでしょう。
坪井智也の学歴と格闘技人生の総まとめ
- 坪井智也は1996年3月25日生まれ、静岡県浜松市出身のプロボクサーである
- 小学1年生で空手を始め、極真空手で全国3位に輝いた
- 小学6年生でボクシングに転向し、格闘技の才能を開花させた
- 出身中学は浜松市内の中学校で、校名は公表されていない
- 高校は静岡県立浜松工業高等学校に進学しボクシング部に所属
- 高校時代はインターハイ3位を2回、国体2位を記録した
- 高校時代のライバルに田中恒成・井上拓真・岩田翔吉がいた
- 大学は日本大学に進学しボクシング部で主将を務めた
- 日大時代に全日本選手権4連覇・国体優勝2回の偉業を達成
- 恩師・梅下新介監督の指導で人間的な成長を遂げた
- 大学卒業後は自衛隊体育学校に進みボクシングを継続
- 2021年世界ボクシング選手権バンタム級で日本人史上初の金メダルを獲得
- パリ五輪出場は叶わなかったが、堤聖也との交流がプロ転向のきっかけに
- 帝拳ジム所属で日本史上初のA級デビューを果たしプロ2戦目で王座獲得
- 浜松工業高校と日本大学での経験が世界王者の基盤を形作った

