※当記事は公開情報をまとめた考察記事です。記載内容は執筆時点で確認できた情報に基づきます。
※本サイトのコンテンツには、商品プロモーションが含まれています。
志賀紅音さんは、女子アイスホッケー日本代表「スマイルジャパン」のエースとして世界で活躍するアスリートです。
2001年3月に北海道帯広市で生まれ、6歳でアイスホッケーを始めた経歴を持ちます。
大学は北海道文教大学 健康栄養学科に進学し、競技と勉学を両立させながら管理栄養士の国家資格を取得したことが大きな特徴です。
2022年北京オリンピックでは初出場で2得点を挙げ、現在はスウェーデンのプロリーグで世界最高峰の経験を積んでいます。
姉・志賀葵さんとともにスマイルジャパンの主力として、ミラノ・コルティナ2026にも出場しました。
①:出身は北海道帯広市・大学は北海道文教大学
②:管理栄養士国家資格を在学中に取得
③:北京2022とミラノ2026に出場
④:姉・志賀葵と姉妹でスマイルジャパン
志賀紅音の学歴|帯広出身から北海道文教大学への道
- 志賀紅音の学歴一覧と基本プロフィール
- 帯広市の出身|スケートの街でアイスホッケーを始めた理由
- 中学校時代に日本代表へ飛び級招集された実力
- 北海道帯広三条高等学校時代と平昌2018落選で知った悔しさ
- 北海道文教大学・健康栄養学科への進学
- 大学在学中の管理栄養士国家資格取得と北京五輪
志賀紅音の学歴一覧と基本プロフィール
この投稿をInstagramで見る
まず、志賀紅音さんの学歴と基本プロフィールを整理してみましょう。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | 志賀 紅音(しが あかね) |
| 生年月日 | 2001年3月 |
| 2026年04月06日現在の年齢 | 25歳 |
| 出身地 | 北海道帯広市 |
| 競技 | 女子アイスホッケー |
| ポジション | フォワード(元:ディフェンス) |
| 主な所属 | デンソー北海道(2023年4月〜)/ Luleå Hockey/MSSK(スウェーデン) |
| 資格 | 管理栄養士 |
次に学歴の一覧を表で確認してみましょう。
| 学校種別 | 学校名 | 偏差値・備考 |
|---|---|---|
| 小学校 | 帯広市内(詳細非公表) | 6歳でアイスホッケー開始 |
| 中学校 | 帯広市内(詳細非公表) | 帯広レディース所属 / 中3で代表合宿招集 |
| 高校 | 北海道帯広三条高等学校 | 代表活動と競技を両立 |
| 大学 | 北海道文教大学 健康栄養学科 | 偏差値:BFランク(2019〜2023年3月卒) |
さらに、主要な競技成績も確認しておきましょう。
| 年 | 大会 | 結果 | 得点 |
|---|---|---|---|
| 2019 | 世界選手権 | 8位 | 1得点 |
| 2021 | 世界選手権 | 6位 | 4得点 |
| 2022 | 北京オリンピック | 6位 | 2得点1アシスト |
| 2022 | 世界選手権 | 5位 | 3得点 |
| 2023 | FISUワールドユニバーシティゲームズ | 銀メダル(史上初) | - |
| 2026 | ミラノ・コルティナオリンピック | 9位 | - |
北海道文教大学 健康栄養学科とは
北海道文教大学は北海道恵庭市に本部を置く私立大学です。
健康栄養学科は、食と栄養に関する専門知識を習得できる学科で、卒業後に管理栄養士の国家試験受験資格が得られるカリキュラムが組まれています。
偏差値はBFランク(ボーダーフリー)相当で受験難易度は高くありませんが、管理栄養士国家試験に向けた学習量が多く、しっかりとした勉強が求められる学科です。
志賀さんが在学した時期、大学には女子アイスホッケー支援部が設けられており、体幹トレーニングへのサポートや公認スポーツ栄養士の資格を持つ教員による食・栄養指導など、アスリートが競技を続けながら学べる環境が整備されていました。
管理栄養士資格という隠れた強み
志賀さんが大学在学中に取得した管理栄養士の国家資格は、アスリートとして非常に価値の高い資格です。
管理栄養士は医療機関・学校・福祉施設などで活躍できる専門家で、国家試験の合格率は毎年50〜60%程度と、決して簡単な資格ではありません。
オリンピック強化選手として練習・試合・海外遠征をこなしながらこの資格を取得したことは、志賀さんの学習意欲と精神力を証明しています。
アイスホッケーという激しい競技を続けるうえで食事管理の知識は体づくりや回復力に直結しており、競技者として自分自身に活かせる「実践的な武器」でもあると言えますよね。
帯広市の出身|スケートの街でアイスホッケーを始めた理由
志賀紅音さんが生まれ育った北海道帯広市は、スピードスケートの名産地として知られる街です。
高木美帆さんや高木菜那さんをはじめとする世界的なスピードスケーターを多数輩出しており、帯広市はウインタースポーツが盛んな土地柄です。
帯広市というアスリートが育つ土地
帯広市は北海道十勝地方の中心都市で、冬の寒さが厳しく、スケートリンクなどのスポーツ施設が充実しています。
そういった環境が優秀なウインタースポーツ選手を生み出す土壌になっており、志賀さん姉妹もその恵まれた環境の中で育ちました。
スピードスケートが盛んな地域でありながら、志賀さんがアイスホッケーの道を選んだのには、ある理由があります。
6歳で始めたアイスホッケーと姉の影響
志賀さんがアイスホッケーを始めたのは6歳のころ、小学校1年生の2006年ごろのことです。
きっかけは1歳年上の姉・志賀葵さんでした。
志賀さんは後のインタビューで「姉が始めたいって言ったから、ついでっていう感じだったと思います」と語っています。
いわば姉についていく形でリンクに足を踏み入れたことが、後にオリンピック選手になる道の第一歩でした。
何でもふたりで一緒にやる年子の姉妹らしいエピソードで、ほほえましいですよね。
スケートよりアイスホッケーを選んだ背景
帯広市はスピードスケートで知られる地域ですが、志賀さん姉妹はスピードスケートではなくアイスホッケーに進みました。
幼少期からスケートには親しんでいたものの、姉がアイスホッケーを選んだことで自然な流れでアイスホッケーを始めることになったのです。
アイスホッケーは「氷上の格闘技」とも称される激しいスポーツです。
時速40kmを超えるスピードでリンクを駆け回り、体をぶつけ合いながら戦うこのスポーツに、志賀さんは早くからのめり込んでいきました。
後年の志賀さんは「激しくぶつかり合い、一触即発の密集にも躊躇なく向かっていく」と評されるほどのプレースタイルで知られるようになります。
この果敢な姿勢の原点は、幼少期から培われた帯広の地での鍛錬にあるのかもしれません。
中学校時代に日本代表へ飛び級招集された実力
志賀さんの才能が本格的に開花したのは中学校時代のことです。
2013年に中学校へ入学した志賀さんは、地元の社会人クラブチーム「帯広レディース」に所属してアイスホッケーを続けました。
帯広レディースでのプレーと成長
帯広レディースは志賀さん曰く「ものすごくレベルが高いというわけではなくて、みんなで楽しく」というクラブです。
しかし、その環境でのびのびとプレーしたことが、志賀さんの技術の礎になりました。
社会人クラブに所属することで年上の選手と交流し、アイスホッケーの様々な側面を吸収しながら着実に成長を遂げていきました。
中学生が社会人チームに混じってプレーするというのは、それだけ早くから実力が認められていたということでもあります。
中学3年生で代表合宿へ飛び級招集
そして驚くべきことが起きます。
中学3年時、志賀さんは日本代表の選手選抜合宿に飛び級招集されました。
これは異例の抜擢です。
通常、日本代表に招集されるのは高校生以上が一般的ですが、中学3年生という若さで招集を受けたのは、志賀さんの突出した実力の証明と言えます。
志賀さんはこの時のことを「嬉しいというのもあったけど、驚きの方が大きかったかな。あのテレビで見てたメンバーと一緒にプレーできるというのが信じられなかったですね」と語っています。
中学生がテレビで見ていた日本代表の選手たちと同じリンクに立つ、という経験がどれほど衝撃的だったか、想像するだけでワクワクしますよね。
ソチ2014を見て芽生えたオリンピックへの憧れ
ちょうどこの時期、2014年にロシア・ソチで冬季オリンピックが開催されました。
志賀さんはテレビでソチオリンピックを観戦し、オリンピックへの憧れを強くしたと言います。
テレビの向こうで輝くオリンピアンたちの姿は、当時中学2〜3年生だった志賀さんの心に深く刻まれ、「いつか自分もオリンピックに出たい」という強い意志を生み出しました。
憧れが現実の目標に変わっていく瞬間でした。
その後、志賀さんは姉とともに日本代表に定着し、オリンピックを目指す道を歩んでいきます。
北海道帯広三条高等学校時代と平昌2018落選で知った悔しさ
この投稿をInstagramで見る
志賀さんの高校時代は、アイスホッケーと学業を並行しながら代表入りを目指した時期です。
具体的な高校名は北海道帯広三条高等学校で、代表活動を続けながら学業にも取り組んだことは間違いありません。
代表入りを目指した高校時代の競技活動
中学3年時に代表合宿に招集された志賀さんは、高校進学後も引き続き日本代表の活動に携わっていきます。
高校生として学業と競技を両立させながら、日本代表のレベルに少しずつ自分を近づけていきました。
当時はディフェンダーとしてプレーしており、姉・葵さんと同じポジションで代表を目指していました。
姉妹で同じポジションを争う関係でもあり、互いに切磋琢磨する環境が成長を促したはずです。
姉か妹か?という最後の選考
平昌2018オリンピックのメンバー選考では、志賀さんにとって忘れられない経験が待っていました。
事前合宿の本当に最後の最後まで残りながら、最終的にメンバーから外れたのです。
志賀さんは「最後は、姉か、私かみたいな感じでした。だから姉が選ばれて、納得のほうが大きかったかなって思います」と振り返っています。
姉妹で同じポジションを争うという状況は、精神的に非常に難しい立場だったはずです。
最終的に選ばれたのは葵さんで、紅音さんは平昌行きを逃しましたが、「悔しい気持ちもありつつ、納得もありつつ」という複雑な感情を抱えながら前を向き続けました。
この悔しさがその後の大きな原動力になったことは、後の活躍が証明しています。
落選を機にディフェンスからフォワードへの転換
平昌落選は、志賀さんにとって重要なターニングポイントでもありました。
平昌2018が終わった夏の海外遠征で、志賀さんのポジションがディフェンスからフォワードへ変わったのです。
通常、攻撃的なフォワードが守備に回るケースはありますが、志賀さんはその逆で守備者から攻撃者へのコンバートでした。
志賀さん自身は「もともと攻めるのが好きだったのもありますし、やっぱ自分で得点を入れたい気持ちが大きかったと思います」と語っています。
このポジション変更は結果的に大成功で、その後の志賀さんはスマイルジャパンのエースとして得点を量産するようになっていきます。
落選という苦い経験が、より大きな選手への扉を開いたのです。
北海道文教大学・健康栄養学科への進学
高校卒業後、志賀さんは北海道文教大学 健康栄養学科へ進学しました。
この進学先の選択には、競技と学業の両立を実現するための明確な意図がありました。
苫小牧方面への拠点移転という決断
平昌オリンピックが終わると、姉・葵さんはアイスホッケーの盛んな苫小牧の大学へ進学しました。
紅音さんも1年遅れて苫小牧方面へと拠点を移し、北海道文教大学(恵庭市)に入学します。
苫小牧エリアは北海道内でもアイスホッケーが特に盛んな地域であり、練習環境や競技コミュニティの充実度が帯広とは大きく異なります。
姉と同じエリアに移ることで練習環境と生活環境の両方を整え、代表活動の強化に集中できる態勢を作りました。
ポジション変更と環境の変化が重なったこの時期から、志賀さんは自分でもレベルアップを実感しながらアイスホッケーに取り組んだと言います。
北海道文教大学を選んだ背景
北海道文教大学は、女子アイスホッケー支援部を設けてアスリートの競技と学業の両立を支援している大学です。
アイスホッケーの強化選手として年間を通じて代表活動が続く中でも、大学側のサポートがあることで学業を続けやすい環境が整っていました。
また、公認スポーツ栄養士の資格を持つ教員が栄養指導を行うなど、アスリートの競技パフォーマンス向上に直結する学習環境も魅力だったと考えられます。
アイスホッケーに専念するために環境を選んだことが、後の北京オリンピック出場と管理栄養士資格取得という二つの大きな結果に繋がりました。
健康栄養学科という選択の意味
栄養学を専攻したことは、アスリートとしての志賀さんのキャリアと深く結びついています。
アイスホッケーは消費エネルギーが非常に大きい競技であり、食事管理・栄養補給・疲労回復のための食戦略は競技パフォーマンスに直結します。
管理栄養士の国家資格を取得することで、食の専門知識を自分の体づくりに活かせるというのは、アスリートとして非常に理にかなった選択です。
学科の選択からも、志賀さんの「競技をより高いレベルで続けるために学ぶ」という姿勢が伝わってきます。
大学在学中の管理栄養士国家資格取得と北京五輪
北海道文教大学に入学した志賀さんは、在学中に大きな二つの成果を手にしました。
一つは管理栄養士国家資格の取得、もう一つは2022年北京オリンピックへの出場です。
文武両道への挑戦:勉強と競技の両立
大学在学中の志賀さんは、アイスホッケー日本代表として世界選手権や国際試合をこなしながら、同時に管理栄養士の国家試験合格を目指していました。
代表活動では海外への長期遠征もあり、授業への出席が難しい時期もあったはずです。
そのような状況の中でも、北海道文教大学の女子アイスホッケー支援部によるサポートを受けながら単位を取得し続けました。
周囲のサポートと志賀さん自身の強い意志が、難しい両立を可能にしました。
管理栄養士国家試験という高いハードル
管理栄養士の国家試験は、合格率が毎年50〜60%程度と、決して容易ではない試験です。
4年間で修得すべき栄養学・臨床医学・食品衛生学など多岐にわたる専門知識を身につけながら、国家試験本番に臨まなければなりません。
日本代表選手として遠征や試合が続く中でこの試験に合格したことは、並大抵の努力ではなかったはずです。
限られた時間の中で最大限の成果を出す能力が、アスリートとしての競技力向上にも繋がっているのかもしれません。
北京2022での初オリンピックと2得点
2022年2月、いよいよ北京オリンピックが開幕しました。
平昌に行けなかった4年間、志賀さんは姉とともにこの舞台を目指して戦い続けてきました。
北京オリンピックに初出場した志賀さんは5試合に出場し、2ゴール1アシストを記録してチームの準々決勝進出に貢献しました。
日本女子アイスホッケー史上初の決勝トーナメント進出という快挙の立役者の一人です。
しかし、準々決勝のフィンランド戦では1-7で大敗を喫し、悔しさも同時に味わいました。
この経験が「日本は得点力不足という最大の課題を解決しなければならない」という強い意識を生み、その後の4年間の取り組みにつながっていきます。
北海道文教大学アイスホッケー支援部のサポート
北海道文教大学は、志賀さんの活躍を後押しするためにアイスホッケー支援部を設けていました。
具体的なサポート内容として、運動器具「レッドコード」を用いた体幹トレーニングや公認スポーツ栄養士の資格を持つ教員による食・栄養に関するアドバイスが提供されていました。
志賀さんが北京オリンピックに出場した2022年3月には、大学での祝賀・報告会も開催され、大学全体で志賀さんの活躍を称えました。
志賀さんが在学中にオリンピック出場と管理栄養士資格取得という二大成果を達成できた背景には、こうした大学の手厚いサポートがあったことは間違いありません。
志賀紅音の学歴を支えた競技歴|代表から世界舞台へ
- 大学卒業後のデンソー北海道入社とPWHL挑戦
- スウェーデン移籍と得点力を磨いた日々
- 姉・志賀葵との姉妹代表という特別な絆
- ミラノ・コルティナ2026での活躍と目標
- 志賀紅音の学歴が示す文武両道の精神
大学卒業後のデンソー北海道入社とPWHL挑戦
この投稿をInstagramで見る
2023年3月に北海道文教大学を卒業した志賀さんは、同年4月にデンソー北海道へ入社しました。
アイスホッケー選手として競技を続けながら、社会人としての新たなキャリアも歩み始めた時期です。
アスナビを通じたデンソー北海道への内定
志賀さんのデンソー北海道入社は、JOC(日本オリンピック委員会)が実施するアスリートの就職支援ナビゲーション「アスナビ」を通じて実現しました。
アスナビは2010年より始まった取り組みで、企業とトップアスリートのマッチングを図り、競技に集中できる生活環境をサポートする制度です。
デンソー北海道は「北海道から世界へ」をスローガンに掲げる企業で、世界を目指す志賀さんを全力でバックアップすることを表明しました。
内定が発表されたのは2022年10月で、正式入社は2023年4月です。
志賀さんは内定にあたって「競技に集中する環境を与えてくださったこと、とても感謝しております。今後は社会人として、また一競技者として常に上を目指し、応援してくださる皆さまに恩返しができるよう日々精進します」とコメントしています。
PWHLとは何か?北米女子プロホッケーリーグの誕生
デンソー北海道へ入社後も、志賀さんの挑戦は続きます。
2023年11月にカナダへ渡り、北米の海外選手が多数参加するトライアウトに挑みました。
そこで見事に「PWHL Ottawa(カナダ・オタワを本拠とするチーム)」との契約を勝ち取ります。
PWHL(プロフェッショナル・ウィメンズ・ホッケー・リーグ)は2024年1月に初シーズンを開幕した、女子アイスホッケー北米プロリーグです。
日本人選手がPWHLに参戦したことは画期的であり、志賀さんの実力と挑戦心の高さを世界に示しました。
オタワ・チャージでのカナダ経験
カナダでのプレーは、志賀さんにとって多くの発見をもたらしました。
「たとえば空港についてホッケーの防具を持ってカートを押していたら、『ホッケーやってるんだね、頑張ってね』って話しかけられます。地域に根付いてるというか、ホッケーというだけで仲間になれるじゃないですけど、そういう感じが日本と違いますよね」と語っています。
ホッケーが国民文化の一部となっているカナダの環境の中で、志賀さんはより高い競技意識を持つ選手たちとともにプレーしてレベルアップを図りました。
この北米経験がその後のスウェーデン移籍につながっていきます。
スウェーデン移籍と得点力を磨いた日々
PWHL参戦後、志賀さんは2024年末にスウェーデン北部ルーレオのクラブチーム「Luleå Hockey/MSSK」へ移籍しました。
これはさらなるレベルアップを求めての決断でした。
Luleå Hockey/MSSKへの移籍とその環境
Luleå Hockey/MSSKはスウェーデン女子プロリーグの名門クラブです。
スウェーデン北部のルーレオという街に本拠を置くチームで、ヨーロッパのトップレベルの選手たちと毎週1〜2試合のリーグ戦をこなす環境に身を置くことになりました。
サッカーと同じようなシーズン制でリーグ戦が行われるスウェーデン女子プロリーグは、世界最高水準の一つとして知られています。
アイスホッケーにどっぷりと浸かる環境の中で、志賀さんはあらゆる側面で成長を続けました。
氷点下20度・極夜の中でのトレーニング
ルーレオでの生活は過酷な環境との戦いでもありました。
冬は氷点下20度まで気温が下がり、12月下旬は朝10時頃に日が昇り午後1時過ぎには日が沈む「極夜」と呼ばれる状態が続きます。
日照時間が極端に短く寒さも厳しいこの環境の中で、志賀さんは自分の価値を問い続けながらトレーニングに打ち込みました。
故郷の帯広市も冬の寒さは厳しい地域ですが、スウェーデン最北部の環境はさらに上を行くものでした。
この過酷な環境での経験が、精神的な強さをさらに磨いたことは言うまでもありません。
「シュートを打つ」メンタルの変化と成果
海外でのプレーを通じて志賀さんが最も向上させたのは、得点力とそれを生むメンタリティです。
「海外でプレーして、やっぱり海外の選手は自分で点を決めるっていう気持ち、メンタルの部分ですごいです。そのメンタルを取り入れつつ、パスを選択してしまうような場面でもとにかく打つということを意識してきました」と語っています。
日本的な協調性を保ちながらも、個人として得点を奪う意識を高めていくという変化は、スウェーデン移籍後に大きく加速しました。
2025年2月のオリンピック最終予選では3試合で2得点3アシストを記録し、得点力の向上を実証しています。
「攻撃はもちろん戦術もあるんですけど、やっぱり個人の判断っていうのも大事なので」という言葉には、海外経験で得た自立した思考が表れています。
姉・志賀葵との姉妹代表という特別な絆
この投稿をInstagramで見る
志賀紅音さんを語るうえで欠かせないのが、姉・志賀葵さんの存在です。
姉妹揃って日本代表として同じリンクに立つという特別な関係は、志賀さんのアイスホッケー人生に大きな影響を与え続けています。
志賀葵のプロフィールと実績
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 氏名 | 志賀 葵(しが あおい) |
| 生年月日 | 1999年7月生まれ |
| 2026年04月06日現在の年齢 | 26歳 |
| 紅音との関係 | 1歳年上の姉(学年は1つ上) |
| ポジション | ディフェンス |
| オリンピック出場 | 平昌2018・北京2022・ミラノ2026(3大会連続) |
葵さんは紅音さんより1学年上で、平昌2018・北京2022・ミラノ・コルティナ2026の3大会連続でオリンピックに出場しています。
2026年のハルビン冬季アジア大会では女子アイスホッケーで金メダルを獲得した実績も持つ実力者です。
3組の姉妹が揃ったスマイルジャパン
ミラノ・コルティナ2026のスマイルジャパン全23選手には、志賀姉妹のほかにも野呂姉妹、床姉妹と、合計3組の姉妹が選出されました。
一見すると不思議な現象のように見えますが、志賀さんは「ウインタースポーツは結構兄弟姉妹が同じ競技をしていることが多い。やっぱり送り迎えとか大変だったりするのかな」と語っています。
幼少期にスポーツを始める際は親のサポートが必要で、その手間を考えると同きょうだいが同じ競技をするケースが自然と多くなるということです。
確かに合理的な話ですし、同じ競技に取り組む姉妹であれば互いに理解しあい励まし合える点でも有利です。
コロナ禍を2人で乗り越えた経験
2020年のコロナ禍では、世界中のスポーツ活動が大きな制約を受けました。
アイスホッケーも例外ではなく、リンクが閉鎖されて練習ができない時期が続きました。
この困難な時期、志賀さんと葵さんはともに暮らしながら乗り越えました。
「姉と一緒に暮らしてたので、一緒に走ったりとか、家の中でトレーニングしたりとか。そこはなんか2人でいたから乗り越えられたんじゃないかなっていうのは思います」と語っています。
競技でもライバルであり、生活では支え合う存在。姉妹ならではの特別な絆が伝わってくるエピソードです。
ミラノ・コルティナ2026での活躍と目標
2026年のミラノ・コルティナ冬季オリンピックは、志賀さんにとって2度目のオリンピック出場となりました。
前回の北京から4年間、世界の舞台で経験を積んだ志賀さんがスマイルジャパンの真のエースとして臨む大会でした。
2度目のオリンピックへの出場
ミラノ・コルティナ2026では、スマイルジャパンは予選を勝ち抜いて本大会に出場しました。
結果は9位でしたが、志賀さん自身は「思い通りの結果にはならなかった。だけど、自分としては成長したところも発見できた」と前向きに語っています。
目標だった決勝トーナメント進出は果たせませんでしたが、4年前とは比べものにならない実力を持つチームとして挑んだ大会でした。
現在もスウェーデンで競技を続ける志賀さんは、次の舞台に向けて早くも歩み始めています。
メダル獲得というチームの共通目標
チームとしての目標はメダル獲得でした。
「全員がひとつになって戦わないと絶対に叶えられない目標だと思うし、そこに少しでも自分の得点力というのをプラスして、チームの勝利に貢献できたらな」と語る志賀さんの言葉には、チームへの強い思いが込められています。
日本の強みはチームプレーの組織力であり、体格差を補うのは連携力と献身性だという認識は、志賀さんが世界を肌で感じる中で積み上げてきた信念です。
「日本の魅力としては、チームプレーは他国からも評価されてるかなと思います。体が小さかったり手足が短かったりとかで結構不利なことが多いんですけど、そこを組織力というところで補って、チームとして戦っていくというのは日本の強みかな」という言葉は重みがあります。
「上と下の架け橋」になるという新たな使命
北京2022のころは「上の先輩方についていくだけで必死」だったという志賀さんですが、ミラノ2026では「上と下の架け橋」になることを意識していました。
「プレーも自分のことだけじゃなくて、周りに声をかけたりとかコミュニケーションはすごく意識しているところです」という言葉に、エースとしての自覚と成長が感じられます。
また、海外での経験から「上下関係なくて、誰の年齢が上か下かとかもわからない状況というのを日本に還元できればいいなとも思っています」と語っており、フラットなコミュニケーション文化をチームに持ち込もうとしています。
個人の得点力向上とチームの凝集力強化を両立しようとする姿は、まさにエースの自覚を持った選手の姿です。
志賀紅音の学歴が示す文武両道の精神
最後に、志賀紅音さんの学歴全体が示す意味を改めて整理してみましょう。
オリンピック強化選手でありながら管理栄養士国家資格を取得したことは、アスリートとしての志賀さんの特別な側面を表しています。
管理栄養士資格が競技に与える影響
管理栄養士の知識は、現役アスリートとして競技生活を送るうえで直接役立ちます。
アイスホッケーの試合は短時間に激しい消耗が繰り返され、シーズンを通じてコンディションを維持するための食事管理が非常に重要です。
試合前後の栄養補給のタイミング、疲労回復に必要な栄養素、体重管理と筋肉維持のバランスなど、管理栄養士の専門知識があれば自分自身の体を科学的に管理できます。
ただ「食べる」だけでなく「何を・いつ・どれだけ食べるか」を根拠を持って判断できる点は、競技者としての大きなアドバンテージです。
海外経験がもたらした「フラットな関係性」
学歴という観点からもう一つ重要なのは、大学卒業後に海外のプロリーグという「現場で学ぶ」場を選んだことです。
カナダ・スウェーデンでのプレーを通じて得た最大の気づきの一つが、「上下関係なし」という文化でした。
日本の縦社会的な上下関係に縛られない、オープンなコミュニケーション文化を日本代表に持ち込もうとしている姿勢は、学歴を超えた「生きた学び」の実践と言えます。
机の上で学んだ知識と、現場で学んだ経験の両方を兼ね備えた選手として、志賀さんはスマイルジャパンに新しい風を吹き込んでいます。
次世代のロールモデルとしての志賀紅音
学業と競技を両立して管理栄養士資格を取得し、大学卒業後も国内就職で終わらず北米・欧州のプロリーグへと飛び込んだ志賀さんの経歴は、若い世代のアスリートにとって大きな示唆を与えます。
「やらない後悔より、やる後悔」という言葉が志賀さんの行動哲学を表しています。
アイスホッケーというマイナー競技の中で、オリンピックを目指しながら資格取得という選択肢を諦めなかったことは、日本のスポーツ界における文武両道の理想形の一つとして語り継がれることでしょう。
志賀さんのこれからの活躍がますます楽しみですよね。
志賀紅音の学歴と競技経歴の最新まとめ総括
- 出身は北海道帯広市、スピードスケートが盛んな十勝の地で育った
- 6歳のころ、姉・葵の影響でアイスホッケーを始めた
- 小学校・中学校はいずれも帯広市内(詳細非公表)
- 中学校在学中は帯広レディース(社会人クラブ)に所属
- 中学3年時に日本代表の選手選抜合宿に飛び級招集された
- 高校名は非公表だが、代表活動と学業を並行した
- 高校卒業後は北海道文教大学 健康栄養学科(偏差値:BFランク)に進学
- 大学在学中に管理栄養士の国家資格を取得した
- 2022年の北京オリンピックに初出場し、2得点1アシストで日本の初準々決勝進出に貢献
- 2023年3月に大学を卒業し、同年4月にデンソー北海道へ入社
- 2024年1月から北米のPWHL Ottawa Chargeでプレーし、初の北米プロ挑戦を果たした
- 2024年末にスウェーデン・Luleå Hockey/MSSKへ移籍し現在も活躍中
- 姉・志賀葵と姉妹揃ってスマイルジャパンの主力として活動している
- 2026年のミラノ・コルティナオリンピックに2大会連続で出場し9位となった
- 管理栄養士の知識を競技に活かす文武両道のアスリートとして注目される存在

