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桐谷広人さんの学歴について、気になっている方は多いのではないでしょうか。
自転車で街中を走り回り、株主優待券を使い切るユニークなライフスタイルはテレビでもおなじみですよね。
資産7億円を誇る投資家として知られる桐谷さんですが、「東大卒」という噂がネット上に広まっているのをご存知でしょうか。
実際の学歴は広島県立竹原高校卒業で、大学には一切進学していません。
なぜ東大卒という誤情報が広まったのか、そして高校卒業後にどのようにしてプロ棋士・投資家へとキャリアを積み上げたのかを詳しく解説します。
①:学歴は広島県立竹原高校卒で大学未進学
②:東大卒の噂は将棋界の比喩と憶測が原因
③:18歳で奨励会に入り25歳でプロ棋士に
④:資産7億円・保有1400銘柄の投資家へ
桐谷広人の学歴|広島県立竹原高校卒とプロ棋士への道
- 桐谷広人の学歴と基本プロフィール
- 【真相】桐谷広人が東大卒という噂はなぜ広まったのか
- 高校卒業後に歩んだ奨励会での修行時代
- プロ棋士としての棋歴|コンピューター桐谷の異名
- 桐谷広人を将棋の道に導いた父親と妹3人の家族
桐谷広人の学歴と基本プロフィール
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ここでは桐谷広人さんの学歴と基本的なプロフィールを整理します。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | 桐谷広人 |
| 読み方 | きりたに ひろと |
| 生年月日 | 1949年10月15日 |
| 2026年04月06日現在の年齢 | 76歳 |
| 出身地 | 広島県竹原市 |
| 最終学歴 | 広島県立竹原高校 卒業 |
| 大学進学 | なし(高校卒業後に将棋の道へ) |
| 職業 | 元プロ棋士・投資家 |
| 段位 | 八段(2025年4月昇格) |
| 棋士時代の成績 | 327勝483敗 |
| 将棋引退 | 2007年(57歳) |
| 現在の総資産 | 約7億円 |
| 保有銘柄数 | 1400〜1500銘柄 |
桐谷広人さんは1949年10月15日、広島県竹原市に生まれました。
竹原市は広島県の東部に位置する歴史ある街で、「安芸の小京都」とも呼ばれる風情ある城下町です。
桐谷さんはその竹原市で幼少期を過ごし、地元の公立小学校・中学校に通ったと考えられます。
小中学校に関する具体的な情報は公開されていませんが、地元の公立校に通ったことはほぼ間違いないでしょう。
最終学歴は広島県立竹原高校卒業
桐谷さんの最終学歴は広島県立竹原高校の卒業です。
広島県立竹原高校は竹原市にある公立高校で、地域の進学校として知られています。
桐谷さんはこの高校を卒業後、大学には進学せずに将棋のプロを目指して上京する道を選びました。
日本将棋連盟の公式データベースにも大学卒業の記載はなく、最終学歴が高校卒業であることは公式に確認できます。
「東大卒」「駒澤大学中退」などの情報がネット上に出回ることがありますが、これらはすべて誤情報です。
桐谷さん自身が「大学に進学した」と公の場で口にしたことは一度もありません。
高卒から億万長者になった稀有なキャリア
桐谷さんのキャリアを振り返ると、高校卒業→将棋プロ棋士→投資家という珍しいキャリアパスを歩んでいます。
大学進学という一般的なルートをたどらずに、プロ棋士として32年間活躍し、その後投資家として資産7億円を築き上げたという実績は非常に際立っています。
学歴だけが成功の条件ではないことを体現している存在と言えるでしょう。
ここ、気になるポイントですよね。
プロ棋士として培った深い思考力と読み解く力が、投資の世界でも存分に活かされたのかもしれません。
【真相】桐谷広人が東大卒という噂はなぜ広まったのか
結論から言うと、桐谷広人さんは東大卒ではありません。
この噂が広まった原因は明確に2つ考えられます。
東大卒説の根拠とその検証
東大卒という噂が広まった第一の原因は、将棋界でよく使われる比喩表現の誤解です。
将棋の世界では「プロ棋士になることは東京大学に入るよりも難しい」という言い回しが古くから使われています。
プロ棋士になれるのは年間でわずか数名。
奨励会という養成機関に入会しても、プロになれる人は全体の一割にも満たないとされています。
この比喩が、いつしか「桐谷さんはプロ棋士だから東大卒業と同等の頭脳の持ち主だ」という誤解に転化し、さらに「東大卒だ」という情報として出回るようになったと考えられます。
つまり、将棋の世界での能力の高さを表現した比喩が、実際の学歴情報にすり替わってしまったわけです。
「資産7億円の億万長者は高学歴のはず」という憶測
第二の原因は、高額の資産を運用できる人物は高学歴だろうという憶測です。
資産7億円、保有銘柄1400〜1500という驚くべき投資実績を誇る桐谷さんを見て、「これだけの実績があるなら名門大学出身に違いない」と思う人が多かったようです。
特に「東大を出てから棋士になった」「東大の投資研究会出身だ」などの憶測がネット上で独り歩きしたとみられます。
しかし実際は、桐谷さんの投資哲学は大学で学んだ理論によるものではなく、証券マンとの交流や独自の研究、そして数々の失敗から学んだ実践的な知恵によって形成されたものです。
「駒澤大学中退」という噂も一部で出回りますが、こちらも根拠のない情報です。
桐谷さんは高校卒業後すぐに上京し、将棋連盟の奨励会に入会しています。
大学に通う時間的余裕はなかったはずですし、大学に通ったとする記録も一切存在しません。
公式な情報で確認できること
日本将棋連盟の公式プロフィールにも学歴に関する記載はなく、大学名は一切登場しません。
竹原市の公式サイトでも桐谷さんを「広島県竹原市出身の将棋棋士・投資家」として紹介しており、大学進学に触れた記述はありません。
また、桐谷さん自身も各種インタビューや書籍の中で「高校卒業後に奨励会に入った」と繰り返し語っており、これが事実であることは間違いありません。
東大卒という噂は完全な誤情報であり、実際の学歴は広島県立竹原高校の卒業が最終学歴です。
この噂に惑わされないよう、正確な情報を把握しておくことが大切ですね。
高校卒業後に歩んだ奨励会での修行時代
桐谷広人さんが広島県立竹原高校を卒業したのは1968年のことです。
18歳で東京に上京し、日本将棋連盟の新進棋士奨励会(奨励会)に入会しました。
奨励会とはプロ棋士を目指す若者が集まる養成機関で、全国から選りすぐりの将棋の才能が集まる超難関の場所です。
師匠・升田幸三名人との出会い
桐谷さんが師事したのは、将棋界の大御所・升田幸三名人です。
升田幸三名人は「伝説の棋士」として将棋ファンに広く知られる存在で、GHQに「日本の将棋は西洋のチェスより優れている」と啖呵を切ったエピソードでも有名な人物です。
桐谷さんはその升田名人の弟子として将棋の修行に励みました。
名門の師匠のもとで学べた経験は、棋士としての技術だけでなく、将棋に対する精神的な姿勢も培ってくれたはずです。
アルバイトで食いつないだ苦学の日々
奨励会時代の生活は決して楽なものではありませんでした。
桐谷さんは後のインタビューでこう語っています。
「親からの仕送りもなく、当時はアルバイトで食いつないでいました。将棋のレッスンに行ったり、プロ棋士の対局の記録係をしたり。将棋専門誌の発送を手伝って日当をもらったこともありました」
収入源はアルバイトのみ。
将棋のレッスンをしながら、プロ棋士の対局を記録する係を務め、将棋雑誌の発送作業まで手伝うという、まさに苦学の日々を送っていました。
高校を出たばかりの18歳が、故郷を離れて東京で一人暮らしをしながら夢を追い続けた姿は、かなりたくましいですよね。
奨励会入会から7年4カ月でプロ入り
奨励会での修行は長期にわたりました。
奨励会に入会してから7年4カ月後の1974年(25歳の時)、四段に昇段して正式にプロ棋士となりました。
一般的に奨励会からプロ入りするのは10〜20代が多く、退会(プロになれずに引退)する人が大半という厳しい世界です。
桐谷さんが25歳でプロ入りできたのは、相当な才能と努力があったからこそです。
プロ入り後は棋士としての収入が大幅に増え、「奨励会時代の貧乏暮らしのままぜいたくはしなかったので、毎月何十万円というペースでお金が残った」と語っています。
その余剰資金を定期預金に積み立てていたことが、後に株式投資を始めるための資金基盤となりました。
プロ棋士としての棋歴|コンピューター桐谷の異名
1974年にプロ四段に昇段した桐谷広人さんは、その後約32年間にわたってプロ棋士として活躍しました。
2007年に七段で引退するまでの生涯成績は327勝483敗です。
「コンピューター桐谷」と呼ばれた研究熱心な棋風
桐谷さんは将棋界において「コンピューター桐谷」という異名で知られていました。
この名前の由来は、徹底的な研究と分析を行う姿勢がコンピューターのようだと称えられたことからきています。
当時の棋士としては珍しいほど局面の研究に時間を費やし、膨大な変化を記憶・分析する能力で知られていました。
この研究熱心な姿勢は後に投資家として株主優待銘柄を徹底的に分析するスタイルにも受け継がれていると言えるでしょう。
「桐谷マッサージ戦術」という独自の戦法
棋風は居飛車党の受け将棋で、「桐谷マッサージ戦術」と呼ばれる独自の戦術が有名です。
これは相手の攻め駒を攻めることで駒得を重視する戦術で、桐谷さんが開発・実践した特徴的なスタイルです。
相手の攻撃を受け流しながら着実に駒を取っていく、守備的かつ粘り強い戦法はまさに桐谷さんの性格を反映したものと言えます。
この「じっくり待って確実に利益を取る」という発想は、株式投資における長期保有・優待活用のスタイルとも共通していますね。
七段で引退・その後八段へ昇格
2007年、桐谷さんは七段で棋士を引退しました。
当時57歳。
引退後は投資家・タレントとして活動の場を移しましたが、将棋界との縁は続きます。
2025年4月1日には特別昇段制度によって八段に昇格しています。
七段での引退から約18年越しの昇格で、将棋ファンからも大きな拍手で迎えられました。
現在も将棋のトークショーや指導対局などで将棋界への貢献を続けており、女流棋士たちとの交流も活発です。
プロ棋士としての32年間の経験は、桐谷さんの人格形成と思考力の礎となっており、投資家としての成功の土台にもなっています。
桐谷広人を将棋の道に導いた父親と妹3人の家族
桐谷広人さんが将棋の道に進んだ背景には、家族の影響が大きく関わっています。
特に父親の存在は、桐谷さんが将棋士を目指すうえで決定的な役割を果たしました。
アマチュア将棋士だった父親の影響
桐谷さんの父親はアマチュアの将棋士でした。
幼い頃から将棋に親しんでいた桐谷さんは、父親との対局を通じて将棋の面白さを覚えていきます。
しかし子供の頃は父親に全くかなわなかったといいます。
何度挑んでも父親に勝てないという悔しさが、桐谷さんの将棋への情熱に火をつけたのかもしれません。
父親がアマチュアとはいえ将棋の腕を持っていたことで、早いうちから本格的な将棋と向き合う環境が自然と整っていたわけです。
将棋界で「プロ棋士になるのは東大に入るより難しい」と言われるほどの難関を突破できたのも、幼少期から父親という手強い相手と将棋を指し続けた経験が基礎を作ったからとも言えます。
妹3人との兄弟関係
桐谷さんには妹が3人います。
兄弟4人の長男として育った桐谷さんにとって、妹たちは特別な存在です。
テレビ番組『月曜から夜ふかし』では「兄弟4人の旅」というエピソードが放送され、桐谷さんが妹たちと楽しそうに旅する姿が話題となりました。
この放送では妹たちの職業が明かされ、視聴者から「スゴすぎ」「すごい家族だ」などの驚きの声が上がりました。
また、桐谷さんが株式投資でリーマンショックの打撃を受けて資金に困った際、父親や妹から支援を受けて乗り越えたというエピソードも伝わっています。
家族の絆の強さが、投資家としての再起を支えた一因となったわけです。
広島の竹原市という地元から上京し、孤独な修行時代を乗り越えられたのも、こうした家族の温かいサポートがあったからこそでしょう。
桐谷さんの人柄の穏やかさや庶民的な感覚は、こういった家族との温かい関係性の中で育まれたのかもしれませんね。
桐谷広人の学歴と投資家への転身|資産7億円の軌跡
- 証券業界との出会いから始まった株式投資の世界
- バブル崩壊とリーマンショックで学んだ教訓
- 株主優待生活への転換と桐谷スタイルの確立
- 現在の総資産7億円と1400銘柄の優待生活
- 桐谷広人の学歴と今後の活動への期待
証券業界との出会いから始まった株式投資の世界
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桐谷広人さんが株式投資の世界と接点を持ったのは1979年のことです。
プロ棋士として活躍していた29歳の頃、証券業界の福利厚生団体「東京証券協和会」の将棋部の師範になりました。
東京証券協和会は東証近くの日本証券業協会のビルにあり、昼休みや株式市場が引けた後に証券マンが集まって将棋を楽しむ交流の場でした。
「株はギャンブル」から一転した転機
実は最初の5年間、桐谷さんは証券マンとの付き合いを意識的に避けていました。
「当時は株はギャンブルだから、ギャンブラーと付き合ってはいけないと本気で思っていました。指導が終わったらすぐにさようならです」と語っています。
将棋の指導を終えたらすぐに帰宅し、証券マンの誘いには一切乗らなかったというのです。
そんな桐谷さんが投資の世界に足を踏み入れるきっかけとなったのは、1984年に証券会社の支店長が桐谷さんの住む阿佐谷(東京・杉並区)の店舗に着任したことでした。
その支店長は将棋が大好きで、「お茶を飲みに来ませんか」と声をかけてきました。
証券会社の支店は若い女性がたくさん働く華やかな場所。
桐谷さんはそこで「いい格好をしようと思って、店の商品(株)を買おうとした」というユニークな動機で、初めて株を購入しました。
偶然にも購入したのが仕手株銘柄で、わずか1カ月で5万円の利益が出たことから、株式投資にのめり込んでいきます。
その後も定期預金を解約しながら株を増やし、バブル絶頂期には資産が1億円に達しました。
棋士時代の余剰資金を着実に積み上げてきた成果が、ここで大きく花開いたわけです。
「株はギャンブル」と思い込んでいた人が、ひょんなことから投資家への道を歩み始めたというエピソードはなかなか面白いですよね。
ちなみに桐谷さんは20面指しと呼ばれる指導スタイルを将棋部で行っており、20人を相手に同時対局するという圧巻の光景も見せていたそうです。
証券マンとの20年にわたる交流が、株式投資への理解を深め、後の株主優待スタイルに繋がる人脈と知識の基盤を作っていきました。
高校を卒業してプロ棋士になり、そして投資の世界と出会う。
学歴は高卒でも、人との縁と好奇心が人生を大きく広げることを桐谷さんの歩みは教えてくれます。
バブル崩壊とリーマンショックで学んだ教訓
桐谷広人さんの投資人生は決して順風満帆ではありませんでした。
バブル崩壊とリーマンショックという2度の大きな試練を経て、現在のスタイルを確立しています。
バブル崩壊での初の大失敗
1989年のバブル絶頂期、資産が1億円に達した桐谷さんは「自分は株の天才だ」と有頂天になり、信用取引を始めました。
1990年の大発会から株価の値下がりが始まりましたが、先輩棋士の市場予想レポートや証券会社のレポートを信じて信用取引に力を入れた結果、損失が膨らみ続けました。
最終的に9月28日に大損覚悟で清算。
その週末に株価が急反発するという皮肉な結末になり、大きなショックを受けました。
この経験から株式投資を一時休止し、将棋に専念する時期を設けました。
リーマンショックで生活を救った株主優待品
2007年に棋士を引退した桐谷さんは、今度はデイトレードで稼ごうと再び株式市場に挑戦しました。
しかし2008年1月4日の大発会、著名な株式評論家のコラムを信じて大量に株を購入したのが致命傷となります。
信用取引で2000万円近くの買い建てをしたところ、その後リーマン・ブラザーズの破綻で株価が暴落し、追い証(追加証拠金)の請求が次々と届くことになりました。
「3億円だった資産が1億数千万円まで減った。月給ゼロで家賃も払えず、食べ物もない。本当に死ぬかと思った」と桐谷さんは語っています。
そんな最悪の状況で桐谷さんを救ったのが株主優待品でした。
現物株として保有していた株式から次々と優待品が届き、お米・レトルト食品・調味料・菓子などが生活を支えてくれたのです。
「優待品があったから生き延びられた」という実体験が、その後の株主優待投資への完全シフトを決意させました。
失敗から学んで立ち上がるこの経験が、桐谷さんを今日の「株主優待の達人」へと成長させた転機だったのです。
バブル崩壊でも一時的に株式投資を休止し、将棋に専念することで感情を落ち着けたように、桐谷さんには「失敗したら立ち止まる」という冷静さがあります。
そしてリーマンショックの経験が「信用取引には頼らない、優待で生活を支える」という確固たる投資哲学を生みました。
逆境を糧に自分のスタイルを確立していく姿勢は、プロ棋士時代に培った忍耐力と思考力があってこそです。
株主優待生活への転換と桐谷スタイルの確立
リーマンショックの打撃を乗り越えた桐谷広人さんは、信用取引から完全に撤退し、株主優待投資に特化する方針を公言しました。
マネー誌『日経マネー』などで「優待投資専門で行く」と宣言したことが、後の「株主優待の達人」としてのブランドを確立するきっかけとなります。
自転車で優待券を使い切るライフスタイル
桐谷さんの生活スタイルは非常にユニークです。
家賃や公共料金以外の生活費のほぼすべてを株主優待と配当でまかなっているという徹底ぶりで、食費・外食・映画・サウナ・ホテルまですべて優待券を活用しています。
優待券には使用期限があるため、期限内に使い切ろうと毎日自転車で街を駆け回る姿が印象的です。
「朝は株主優待の宅急便に起こされる」という生活は、テレビで紹介されるたびに視聴者の笑いと共感を呼んできました。
『月曜から夜ふかし』で全国区の人気に
桐谷さんが全国的に知られるようになったきっかけは、日本テレビ系バラエティ番組『月曜から夜ふかし』です。
大富豪なのに優待券使い切りに汗をかき自転車で走り回る姿が、庶民的な親しみやすさとユニークさで大きな話題を集めました。
番組内でも「総資産7億円なのに質素な生活」というギャップが笑いと感動を生み、桐谷さんは投資家の枠を超えたタレント的な人気を獲得しました。
現在は広い3LDKのマンションで一人暮らしをしていますが、優待品が次々と届くため部屋は荷物でいっぱい。
来客がある際は荷物を他の部屋に移動させるという日常もたびたび紹介されています。
この独特のライフスタイルは桐谷さんにしかできない個性的な生き方ですが、同時に株主優待投資の魅力を多くの人に伝える役割も果たしています。
投資を始めるハードルを下げ、庶民に寄り添った形で株式市場への関心を高めてきた功績は大きいと思います。
また桐谷さんの生活は「お金がなくても株主優待があれば豊かに暮らせる」という新しいライフスタイルの提案でもあります。
株式投資を難しいものとして敬遠している人にとって、桐谷さんの日常は「まずは一銘柄から」という勇気を与えてくれます。
庶民的で親しみやすいキャラクターと、実際の投資実績の説得力が組み合わさって、桐谷さんは今や日本でもっとも有名な個人投資家の一人になっています。
現在の総資産7億円と1400銘柄の優待生活
桐谷広人さんの現在の総資産は約7億円とされています。
リーマンショックで資産が激減した時期もありましたが、地道な株主優待投資を続けることで着実に資産を回復・拡大させてきました。
開示されている資産規模と保有銘柄の実態
2024年10月放送の『月曜から夜ふかし』で、桐谷さんは「保有銘柄数は1400〜1500銘柄、総資産は7億円ぐらい」と自ら明かしています。
保有銘柄数1400〜1500というのは、個人投資家としては圧倒的な規模です。
株式投資を始めた当初は4000万円程度からスタートしたとされており、バブルやリーマンショックなど相場の波にもまれながら現在の7億円規模まで成長させたことになります。
投資の元手が4000万円で最終的に7億円以上になるというのは、単純計算で17倍以上の成長です。
もちろん途中の損失や回復を考えると単純ではありませんが、長期間にわたる優待投資の効果を如実に示しています。
配当と優待だけで生活できる仕組み
桐谷さんの生活費は株主配当と優待でほぼまかなわれています。
1400〜1500銘柄という膨大な数の株を保有することで、毎日のように何らかの優待品が届く仕組みができあがっています。
食品・外食券・日用品・エンタメ・宿泊など多岐にわたる優待品が生活のあらゆる場面をカバーしており、現金を使う機会が極めて少ない生活を実現しています。
X(旧Twitter)でも毎日のように保有株や届いた優待品を写真付きで紹介しており、現在も精力的に発信を続けています。
dポイントカードの残高が24万ポイント以上あることが話題になったこともあり、日常生活のあらゆる場面で優待・ポイントを最大限に活用する姿勢が貫かれています。
2025年4月には将棋の八段に昇格するという嬉しいニュースもあり、将棋と投資の両面で充実した生活を送っています。
1銘柄あたりの株主優待の価値は数百円から数万円まで様々ですが、1400銘柄以上から届く優待品の総額は年間で相当な規模になります。
家賃は現金で支払いますが、それ以外の生活コストの大半を優待・配当でまかなえる体制が確立しており、キャッシュフローの観点からも非常に安定した生活を実現しています。
桐谷さんの投資スタイルは「大儲けを狙わず、着実に優待と配当を積み重ねる」という長期安定志向で、信用取引を使わないことが今や鉄のルールとなっています。
桐谷広人の学歴と今後の活動への期待
桐谷広人さんの学歴は広島県立竹原高校卒業という高卒です。
しかしその後の歩みを見ると、学歴だけが人生の成功を決めるわけではないことを強く示してくれています。
高卒から学ぶ投資哲学と人生の教訓
桐谷さんが体現しているのは、実践と失敗から学び続けることの重要性です。
バブル崩壊でもリーマンショックでも大きな痛手を受けながら、そのたびに学びを得て方針を転換し、最終的に資産7億円という結果を出しています。
プロ棋士時代に培った「徹底した局面分析」「長期的な視野」「粘り強く受け続ける忍耐力」が、投資の世界でも大きく活かされたのでしょう。
学歴ではなく、実践の中で磨かれた思考力とメンタルが桐谷さんの最大の強みです。
投資教育や講演活動への貢献
現在も桐谷さんは各地での講演や投資セミナーへの登壇を通じて、株主優待投資の魅力を広く伝える活動を続けています。
楽天証券のメディア「トウシル」をはじめ、各種マネー誌でのコラムや記事でも積極的に情報発信を行っています。
「難しい投資理論より、実際に株主優待を受け取って生活を豊かにする喜びを伝えたい」という姿勢は、株初心者にとって非常に参考になります。
また将棋の世界でも引き続き指導対局やトークショーに出演し、次世代の棋士たちとの交流を大切にしています。
高校卒業後に将棋一本で上京し、苦学してプロになり、投資でも大きな成功を収めた桐谷さんの生き方は、多くの人に「学歴より行動力と情熱が大切だ」というメッセージを伝え続けています。
今後も独自の優待生活スタイルと投資哲学を発信し続けてくれることが期待されます。
また、将棋八段という新たなステータスを得た桐谷さんが、将棋の普及活動にも一層力を入れていくことが予想されます。
投資家・元プロ棋士という二足のわらじを履きながら、テレビ出演やSNS発信を通じて多くの人に夢と希望を与え続けている桐谷さんの今後の活躍から、ますます目が離せません。
「学歴がなくても情熱と行動力があれば何でもできる」という生き様を、これからも体現し続けていただきたいですね。
桐谷さんの一日一日の優待生活の報告がXに投稿されるたびに、株式投資に対する新鮮な視点をもらえる気がします。
今後のご活躍と、新しい投資の知恵をこれからも楽しみにしています。
桐谷広人の学歴総まとめ|竹原高校から投資家への道
- 桐谷広人さんの最終学歴は広島県立竹原高校卒業で、大学には進学していない
- 東大卒・駒澤大学中退という噂はいずれも誤情報で、公式な記録に大学名は一切ない
- 東大卒説が広まった原因は「プロ棋士になるのは東大合格より難しい」という比喩の誤解
- もう一つの原因は資産7億円の億万長者は高学歴のはずという憶測
- 1968年(18歳)に竹原高校を卒業後、上京して新進棋士奨励会に入会
- 師匠は将棋界の大御所・升田幸三名人で、7年4カ月の修行を経てプロ入り
- 奨励会時代は親の仕送りなしでアルバイトをしながら苦学した
- 1974年(25歳)に四段昇段でプロ棋士となり、「コンピューター桐谷」の異名を持つ
- 棋風は居飛車党の受け将棋で、独自の「桐谷マッサージ戦術」が有名
- 2007年に七段で引退、生涯成績327勝483敗、2025年4月に八段昇格
- 1984年に証券会社の支店長との縁で株式投資を開始、当初は4000万円規模からスタート
- バブル崩壊・リーマンショックで大きな損失を経験したが、株主優待品に助けられて再起
- 現在の総資産は約7億円、保有銘柄は1400〜1500銘柄
- 家賃・公共料金以外の生活費はほぼ株主優待と配当でまかなう独自スタイル
- 高卒から始まったキャリアが将棋とinvestment両分野で大きな実績を残しており、今後も活躍が期待される

