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羽生結弦さんの学歴について、気になっている方は多いのではないでしょうか。
フィギュアスケート界の伝説として知られる羽生さんですが、早稲田大学人間科学部通信教育課程(eスクール)を2020年9月に卒業したことが公式に発表されています。
競技活動との両立のため留年しながらも諦めずに卒業を果たしたその姿は、スポーツと学業の両立における一つの理想形として広く尊敬を集めています。
この記事では、羽生結弦さんの出身校や各学校の偏差値、意外と知られていない学生時代のエピソードを詳しくまとめています。
①:仙台市立七北田小学校・七北田中学校という公立校出身で、4歳からフィギュアスケートを始めた
②:東北高校スポーツコース(偏差値42)に進学し、在学中にソチ五輪へ向けた準備でカナダへ拠点を移した
③:高校時代に焼きそばを席にまかれるイジメを経験していたことが後に報道で明らかになった
④:早稲田大学eスクールで「フィギュアスケートとモーションキャプチャ技術」を卒業研究テーマに選んだ知的な一面も
羽生結弦の学歴|小学校から高校までの歩みと学校情報
- 羽生結弦の学歴一覧と各校の偏差値まとめ
- 出身小学校:仙台市立七北田小学校での幼少期
- 出身中学校:仙台市立七北田中学校とジュニア時代の躍進
- 出身高校:東北高校スポーツコースへの進学
- 高校時代の焼きそばイジメとは?
- 東北高校の同級生・著名な卒業生
羽生結弦の学歴一覧と各校の偏差値まとめ
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まず羽生結弦さんの学歴を表で整理します。
| 学校 | 校名 | 偏差値 | 所在地 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 小学校 | 仙台市立七北田小学校 | なし(公立) | 宮城県仙台市泉区 | 4歳からスケート開始 |
| 中学校 | 仙台市立七北田中学校 | なし(公立) | 宮城県仙台市泉区 | ジュニアGP初優勝 |
| 高校 | 東北高校スポーツコース | 42(容易) | 宮城県仙台市青葉区 | スポーツ推薦入学 |
| 大学 | 早稲田大学人間科学部eスクール | なし(書類・面接選考) | 東京都(通信教育) | 2020年9月卒業 |
公立の小中学校から地元の私立スポーツ強豪校へ進み、大学は通信制という、スポーツ選手ならではの学歴ルートを歩んできた羽生さん。
早稲田大学通信制での7年間在学を経て卒業した事実は、フィギュアとの両立がいかに過酷だったかを示しています。
羽生結弦のプロフィール基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | 羽生結弦(はにゅう ゆづる) |
| 生年月日 | 1994年12月7日 |
| 2026年06月10日現在の年齢 | 31歳 |
| 出身地 | 宮城県仙台市 |
| 身長 | 171cm |
| 体重 | 57kg |
| 主な実績 | ソチ・平昌五輪2連覇、国民栄誉賞(史上最年少) |
幼少期の小児喘息克服がスケート人生の出発点
羽生さんは2歳の頃から小児喘息を患っており、その克服のために4歳の頃からスケートを始めています。
父親は中学校の教師で、「どんなにフィギュアの練習が大変でも勉強は続けなさい。一流の選手である前に一流の社会人になってほしい」という教育方針を持っていました。
この父親の言葉が、後に競技と学業を両立させた羽生さんの根底にある信念を形作ったといえます。
家族全員で支えたフィギュアへの道
フィギュアスケートは大変お金がかかるスポーツです。
7歳年上のお姉さんは弟のためにフィギュアスケートを辞め、衣装は母親が手作りするなど、仙台の県営住宅に住む一般家庭が家族一丸となって羽生さんを支えていたというエピソードは、多くの人の胸を打ちます。
小学校5年生の頃には5種類の3回転ジャンプを跳べるようになり、「天才少年」としてマスコミにも報道されるようになっています。
出身小学校:仙台市立七北田小学校での幼少期
羽生結弦さんの出身小学校は、宮城県仙台市泉区にある仙台市立七北田(ななきた)小学校という地元の公立校です。
難関私立とは対照的に、ごく普通の公立小学校でフィギュアスケーターとしての才能を開花させていきました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 学校名 | 仙台市立七北田小学校 |
| 所在地 | 宮城県仙台市泉区七北田 |
| 種別 | 公立(仙台市立) |
| 特徴 | 普通の公立小学校 |
小学校低学年のスケートへの向き合い方
羽生さんは小学校低学年の頃はあまり練習熱心ではなかったといいます。
自主性を重んじる父親から「辞めてもいい」と言われた場面もありましたが、それでもフィギュアスケートを続けることを自分で選択しています。
この「自分で選んだ」という経験が、後に過酷な練習環境でも折れない精神力の源になったのかもしれません。
天才少年として注目された小5の頃
小学校5年生の頃、羽生さんは5種類の3回転ジャンプを習得し、「天才少年」としてマスコミに取り上げられるようになります。
通常では難しい5種類の3回転習得を小学生で達成したことは、まさに天賦の才能と努力の賜物です。
この時点でフィギュアスケーターとしての将来が大きく開けてきたといえるでしょう。
仙台という土地とフィギュアスケート
宮城県仙台市はフィギュアスケートの盛んな地域として知られています。
東北高校をはじめとした強豪校があり、仙台という環境が羽生さんのスケーター人生の基盤を作ったともいえます。
地元に根ざした育ちが、2011年の東日本大震災被災後にも「仙台を代表して頑張る」という強い使命感につながっていきます。
出身中学校:仙台市立七北田中学校とジュニア時代の躍進
羽生さんの出身中学校も、地元仙台市の公立校・仙台市立七北田中学校です。
中学時代はフィギュアスケーターとして飛躍的な成長を遂げ、国際舞台での活躍が始まります。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 学校名 | 仙台市立七北田中学校 |
| 所在地 | 宮城県仙台市泉区 |
| 偏差値 | なし(公立) |
| 中学3年時の実績 | ジュニアGPシリーズ初優勝、ジュニアGPファイナル最年少優勝 |
中学3年で史上最年少のジュニアGPファイナル優勝
中学時代の羽生さんは、フィギュアスケーターとして急激に成長します。
中学3年生の時にはジュニアグランプリシリーズに初優勝し、さらにジュニアグランプリファイナルで史上最年少(14歳)での優勝を果たしています。
これは当時の世界記録であり、羽生さんが「早咲きの天才」であることを世界に知らしめた瞬間でした。
学校は休みがちでも成績は優秀
スケートの遠征で学校を休みがちだった羽生さんですが、成績は優秀だったことが中学3年生の担任の先生の発言から明らかになっています。
「ひと言で言えば頑張りやです。中学の時はいろいろなスケートの大会に出るので学校は休みがちでした。練習があるので塾にも行けない。普通なら勉強が遅れてしまいます。彼は自分で問題集を買ってコツコツやっていました。遅れるどころか成績は良かったです」(日刊ゲンダイ)
塾にも通えない状況で自分で問題集を購入してコツコツ取り組む姿は、父親の教育方針を忠実に実践していたものと言えるでしょう。
学校を休んだ分の埋め合わせと気遣い
スケート大会などで学校を休みがちだったことを気にしていた羽生さんは、学校に登校した際には掃除係などに積極的に取り組んでいました。
この気遣いがあったことから、高校時代とは対照的に中学時代はクラスメイトたちに好かれていたといいます。
責任感と気遣いを兼ね備えた、中学生とは思えない成熟した人間性が垣間見えます。
出身高校:東北高校スポーツコースへの進学
羽生さんが進学したのは、宮城県仙台市にある東北高校スポーツコースです。
スポーツの強豪として知られるこの高校は、フィギュアスケート部もトリノオリンピック金メダリストの荒川静香さんをはじめ多くの選手を輩出しています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 学校名 | 東北高校 |
| コース | スポーツコース |
| 偏差値 | 42(容易) |
| 所在地 | 宮城県仙台市青葉区小松島4-3-1 |
| 設立 | 1894年 |
| 主な卒業生 | 荒川静香(フィギュアスケーター) |
高校1年でのシニアデビューと震災被災
羽生さんは高校1年生でシニアデビューを飾っています。
しかし高校1年生の終わり頃、2011年3月11日に発生した東日本大震災で実家が全壊し、避難所生活を強いられるという過酷な経験をしています。
「スケートをしている場合ではない」と感じながらも、ボランティア活動をしながら東北高校野球部が甲子園で戦う姿を見てスケートへの意欲を取り戻したというエピソードは有名です。
カナダへの練習拠点移転と学業との二重生活
高校3年生の夏、羽生さんはブライアン・オーサーコーチのもとで練習するため、カナダのトロントに練習拠点を移します。
その後はほとんど学校に通えない状態となりましたが、両親の教育方針を守り、遠征先でも参考書を持参して勉強を続けたといいます。
成田空港でも勉強に励んでいたというエピソードからは、「一流の選手である前に一流の社会人に」という父親の言葉を忠実に実践していた姿が目に浮かびます。
オール5の成績という事実
これだけ学校を休みがちで、海外でも多忙を極めていた羽生さんですが、高校時代の成績はオール5だったことが知られています。
フィギュアスケートでも日本人としては前人未到の記録を次々に打ち立てながら、学業でもオール5という事実は、常人離れした集中力と努力の賜物といえます。
高校時代の焼きそばイジメとは?
羽生さんの高校時代には、あまり知られていない苦い経験があります。
学校にほとんど通えない状況だったこともあり、友人がほとんどおらず、孤立した学校生活を送っていたことが複数の報道から明らかになっています。
高校時代の孤立と「友達をつくろうとしない」姿勢
当時の同級生とされる人物の証言がNEWSポストセブンに掲載されています。
「学校で笑顔を見たことはほとんどありません。友達も全然いなくて、授業のノートを見せ合ったりして仲がいいなという印象だったのは、野球部の男子1人と陸上部の女子1人ぐらいでした。むしろ、友達をつくろうという気もなさそうな感じ。今でも連絡を取り合う高校の同級生は、その2人ぐらいじゃないですか」
世界を目指すスケーターとして、学校での人間関係よりも競技に全力を注いでいた姿が伝わってきます。
「ビッグマウス・ナルシスト」と呼ばれていた
同じくNEWSポストセブンには、こんな証言も掲載されています。
「いつもニコニコしているし、愛想はいいんです。でも、とにかくビッグマウスで、”カッコつけ”だの、”ナルシスト”だのと言われ、友達は多くなかった。むしろ、彼は”嫌われてもいいや”ぐらいに思っていたように思います」
自分の目標に向かって直進する強さと、周囲からの評価を気にしない割り切りの良さが、当時から際立っていたようです。
席に焼きそばをまかれたイジメ行為
最も衝撃的なエピソードが、席に焼きそばをまかれるというイジメめいた行為です。
この「焼きそばイジメ」に関する画像がTwitter(現X)で拡散し、大きな波紋を呼びました。
さらに同校の上級生によるイジメも報道されており、高校時代の羽生さんが置かれた環境の厳しさが浮き彫りになっています。
世界トップクラスのフィギュアスケーターが、学校ではこのような仕打ちを受けていたという事実は、多くの人に複雑な思いを抱かせます。
東北高校の同級生・著名な卒業生
東北高校はスポーツ強豪校として知られ、各界に多くの著名な卒業生を輩出しています。
フィギュアスケート部では特にトリノオリンピック金メダリストの荒川静香さんが先輩として存在感を示しています。
| 卒業生名 | 職業・活動 | 備考 |
|---|---|---|
| 荒川静香 | フィギュアスケーター | トリノ五輪金メダリスト、羽生さんの先輩 |
| 羽生結弦 | フィギュアスケーター | ソチ・平昌五輪2連覇 |
荒川静香先輩の存在と早稲田大学進学への影響
羽生さんが早稲田大学を選んだ理由の一つが、高校の先輩である荒川静香さんの影響です。
「早稲田大学を卒業された荒川静香さんが(トリノ五輪で)金メダルを獲ったときに強く意識しました。荒川さんは人間性のある素晴らしいスケーターで、知的なコメントもされますし、社会的な存在で憧れています」とインタビューで語っています。
先輩への憧れが大学選択にも影響したというエピソードは、羽生さんの素直な人間性を示しています。
スポーツコースという選択の意味
東北高校のスポーツコースは偏差値42と高くはありませんが、スポーツ選手として最高の環境を得るための最適な選択でした。
フィギュアスケートに特化した練習と学業を両立するための環境を優先した結果であり、スポーツ選手の学歴選択としては合理的な判断といえます。
羽生結弦の学歴|早稲田大学と競技人生の全貌
- 出身大学:早稲田大学eスクールという選択の理由
- 大学時代の苦労とオリンピック2連覇
- 卒業研究「フィギュアスケートとモーションキャプチャ」
- 7年での卒業が示すもの
- 引退後の活動と大学院進学への意欲
- 羽生結弦の学歴が教えてくれること
出身大学:早稲田大学eスクールという選択の理由
羽生さんが高校卒業後に進学したのは、早稲田大学人間科学部通信教育課程(eスクール)です。
通常の早稲田大学の学部と同じく卒業すれば同等の扱いを受けますが、入学方法や授業の受け方は大きく異なります。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 大学名 | 早稲田大学 |
| 学部・課程 | 人間科学部通信教育課程(eスクール) |
| 専攻 | 人間情報科学科 |
| 入学方法 | 書類選考・面接(学力試験なし) |
| 偏差値 | なし(通信制のため) |
| 卒業率 | 40〜50%前後(卒業が非常に難しい) |
| 学費 | 4年間で約450万円 |
| 在学年数 | 7年(2013〜2020年) |
なぜeスクールを選んだのか
高校3年生の夏からカナダに練習拠点を移していた羽生さんにとって、通学制の大学への入学は現実的ではありませんでした。
eスクールは講義の受講・レポート提出・小テストなどをほぼすべてインターネットで行うため、練習の合間や移動中でも学べるスタイルが羽生さんのライフスタイルに合っていたと語っています。
「自分が取り組んでいるフィギュアスケートを科学的にいろいろな視点で研究したいです。また、練習が終わってからすぐ勉強できるスタイルがあっていて、eスクールに進学しました」とインタビューで話しています。
ANA所属とのセットでの大学進学
大学進学と同時に、羽生さんはANA(全日本空輸)と所属契約を結んでいます。
これにより航空券などのサポートを受けられるようになり、カナダでの練習とeスクールでの学習を組み合わせた生活が可能になりました。
「アスリートこそ社会性を身につけるべき」という考えから大学進学を選んだという発言は、父親の教育方針を受け継いでいることを感じさせます。
大学時代の苦労とオリンピック2連覇
大学時代の羽生さんは、競技と学業の両立という厳しい日々を送っていました。
入学年度(2013年)はソチオリンピックへ向けた準備で多忙を極め、最初の1年間はほとんどカリキュラムをこなすことができなかったと話しています。
ソチオリンピック(大学1年)での金メダル
大学1年生の2014年、羽生さんはソチオリンピックで見事に金メダルを獲得します。
20歳での冬季五輪金メダルという快挙を達成しながら、学業もこなそうとする姿勢は周囲から尊敬を集めていました。
ソチ後から巻き返しを図りましたが、平昌オリンピックへの準備で再び学業に遅れが生じます。
勉強するときは「勉強だけに集中する」スタイル
羽生さんが実践していた学習スタイルは独特なものでした。
「オフの日にまとめて授業をオンデマンド受講し、遠征の移動中の飛行機でレポートを書き、到着した空港で提出する」という日々を繰り返していたと早稲田大学の広報誌で明かしています。
勉強するときは勉強だけに集中するという「切り替え力」が、フィギュアの練習にも学業にも最大限のパフォーマンスを発揮させていました。
平昌オリンピック(大学5年)での連覇達成
大学5年生にあたる2018年の平昌オリンピックで、羽生さんは日本人男子として前人未到のオリンピック2連覇を達成します。
この連覇達成後、国民栄誉賞を史上最年少で受賞するという名誉も受けています。
在学中の受賞という異例の事態でしたが、学業は卒業まで続けると意思を示していました。
卒業研究「フィギュアスケートとモーションキャプチャ」
羽生さんの卒業研究のテーマは「フィギュアスケートにおけるモーションキャプチャ技術の活用と将来展望」でした。
3Dモーションキャプチャ装置を自身の体に装着してジャンプし、その動作をデジタルデータ化するという、アスリートならではの実践的なアプローチが注目を集めました。
フィギュアスケートを科学的に分析する試み
羽生さんは早稲田大学の広報誌でこのように話しています。
「目まぐるしく進化する情報という分野から、フィギュアスケートだけでなく、人間というものを見つめてみたい。そんな思いから、人間情報科学科を専攻しました。競技だけでなく、研究という領域でも突破口を開きたかったんです」
フィギュアスケートの演技要素を入力すると最高得点が自動計算されるプログラムを自ら構築したというエピソードも明かしており、プログラミングへの関心の高さも伺えます。
得点計算プログラムの自作と競技への活用
「フィギュアスケートの世界で歩み続けてきましたが、数値やデータで表された自分を見てみたいという思いがありました。数値は感覚の裏付けなので、競技にも役立っています。採点方法が更新されるたびに、プログラムをアップデートしながら、現在も活用しているんですよ」
競技の第一線で活躍しながら、自分のパフォーマンスを科学的に分析するシステムを自作していたという事実は、羽生さんの知的好奇心の深さを示しています。
将来のフィギュアスケート界への貢献を見据えた研究
「将来的には、選手の技術向上やAIによる自動採点など、フィギュアスケート界の発展に役立てたいです」という言葉からは、自分の専門性を競技界の発展に還元しようという強い意志が感じられます。
一人の選手としてだけでなく、競技の未来を見据えた研究者としての視点を持っていた点が、羽生さんの学歴を単なる「学校歴」以上の意味を持たせています。
7年での卒業が示すもの
羽生さんは2013年に入学し、2020年9月に早稲田大学を卒業しています。
通常の4年を大幅に超えた7年での卒業という事実は、それだけ学業と競技の両立が困難だったことを示しています。
卒業率40〜50%のeスクールで7年をかけた粘り強さ
早稲田大学eスクールの卒業率は40〜50%前後と言われており、4年間での卒業は非常に困難です。
しかも世界最高峰のフィギュアスケート選手として活動しながら、7年の歳月をかけて諦めずに卒業した羽生さんの粘り強さは驚異的です。
睡眠時間が2時間程度になることもあったという証言もあり、その努力の凄まじさが伝わります。
「学びを無駄にしたくない」という強い意志
早稲田大学の広報誌で、羽生さんは大学生活についてこう振り返っています。
「eスクールでの学修は、自分で時間のやりくりや、気持ちの切り替えを学ぶ機会になりました。学びの場を作るのは自分次第だなって。学びきる気持ちがあれば、自分の価値観や知識に影響を与えてくれる場になります。せっかくの学びを無駄なものにだけはしたくない。その思いは強かったです」
「学びを無駄にしない」という強い意志が、7年間の長期在学を乗り越えさせた原動力だったのでしょう。
引退後の活動と大学院進学への意欲
2022年7月19日に競技からの引退とプロスケーターへの転向を発表した羽生さんですが、学びへの意欲は衰えていません。
早稲田大学の大学院への進学意欲についての報道もあり、競技引退後の知的探求への意志を見せています。
プロスケーターとしての新たな活動
引退後は「プロ・フィギュアスケーター」として活動を展開し、単独アイスショーを開催するなど精力的に活動しています。
2023年8月には結婚も発表し、競技以外の人生においても新たな章が始まっています。
アスリートとしての現役生活を終えた後も、学びと創造への姿勢を持ち続ける羽生さんの生き方は、多くの人の手本となっています。
フィギュアスケートの科学的発展への貢献
卒業研究で開発したモーションキャプチャを活用した分析手法は、今後のフィギュアスケート指導や採点技術の発展に貢献できる可能性を持っています。
羽生さんが競技者として培った経験と大学での学びが合わさることで、フィギュアスケート界の新しい可能性を切り開く存在になることが期待されています。
羽生結弦の学歴が教えてくれること
羽生結弦さんの学歴から学べることは、「環境が人を作る」という単純な話以上のものがあります。
公立の小中学校から偏差値42の高校、そして通信制の大学へという学歴は、決して「エリート教育コース」ではありません。
学歴ではなく「学ぶ意志」が成否を分ける
難関大学を出た選手が必ずしも世界一になるわけではありませんし、スポーツ推薦で偏差値の低い高校に入った選手が世界を制することもあります。
羽生さんの学歴が示しているのは、どこで学ぶかよりも「何のために学ぶか」「どれだけ本気で学ぶか」が重要だということです。
「学びを無駄にしたくない」という言葉はそのままに、すべての学習者へのメッセージでもあります。
父親の教育方針が生んだ「社会人としての羽生」
「一流の選手である前に一流の社会人になってほしい」という父親の言葉を守り続け、スポーツ選手として頂点に立ちながらも学業を続けた羽生さん。
その姿は、スポーツ界における学業の重要性を改めて示すとともに、スポーツと教育の両立という課題に対する一つの回答を提示しています。
世界が羽生結弦に感じる魅力の源泉
氷上での圧倒的なパフォーマンスだけでなく、インタビューでの知的で深みのある言葉、研究者としての視点など、羽生さんが世界中から愛される理由は多岐にわたります。
その魅力の源泉の一つが、困難な状況でも学びを諦めなかった7年間の早稲田大学生活にあることは間違いないでしょう。
まとめ:羽生結弦の学歴と早稲田大学から五輪2連覇への軌跡
- 羽生結弦さんは1994年12月7日生まれ、宮城県仙台市出身のフィギュアスケーター
- 出身小学校は仙台市立七北田小学校という地元の公立校で、4歳からスケートを開始した
- 2歳で小児喘息を患い、その克服のためにスケートを始めたという経緯がある
- 出身中学校は仙台市立七北田中学校で、中3でジュニアGPファイナル史上最年少優勝を達成した
- 学校を休みがちだったが成績は優秀で、自分で問題集を買いコツコツ勉強する姿勢が担任に評価された
- 出身高校は東北高校スポーツコース(偏差値42)で、荒川静香さんの後輩にあたる
- 高校時代は席に焼きそばをまかれるイジメに遭うなど、孤立した学校生活を送っていた
- 高校成績はオール5で、遠征先でも参考書を持参して勉強を続けていた
- 大学は早稲田大学人間科学部eスクール(通信教育)に2013年入学した
- 荒川静香先輩への憧れが早稲田大学を選んだ理由の一つである
- 大学1年(2014年)でソチオリンピック金メダル、大学5年(2018年)で平昌オリンピック金メダルを獲得した
- 卒業研究は「フィギュアスケートとモーションキャプチャ技術」という独自テーマを選んだ
- 2020年9月に7年かけて早稲田大学を卒業し、大学院進学への意欲も示している
- 2022年7月に競技引退・プロ転向を発表、2023年8月に結婚を発表した
- 「学びを無駄にしたくない」という言葉通り、競技と学業の両立を最後まで貫いた人物である

